第6話

「今宵のステファニアは美しいな。まるで夜空に輝く月のようだ」

「え……あっ」


 アルベルトは普段口にしない誉め言葉らしきモノを口にしたかと思えば、恭しくステファニアの手を取り、手の甲に口づけた。聖女ではなく淑女として扱われること自体が久しぶり過ぎて反応に遅れてしまった。

 おかげで、後ろに立っているロザンナが殺気立っている。アルベルトは全く気にしていないが。


 ステファニアは己の手を奪い返すと、溜息を吐き、ジト目をアルベルトに向けた。


「こういうのは結構です。そういう仲でもありませんし」

「ははは! それもそうか。ちなみに今のは及第点か?」


 ステファニアは「そうですね……」と呟きながら小首を傾げる。

 それらしい言葉を並べていたように思うが、改めて思い出してみると……。ステファニアの服装はいつもと左程変わらない。普段聖女が着ている服から式典の時に身に纏う正装に替えただけ。ヴェールを被っているのだから顔が見えるわけでもない。いったいどこから『美しい』がきたのか。そして、『夜空に輝く月のようだ』というのは……よく聞く褒め言葉と似ているような気がするが、アルベルトが考えたとするならそのままの意味かもしれない。夜の闇にこの全身白の衣装は目立つだろうから。トータルすると……


「私もそういうのには疎い方なので詳しいことは言えませんが……ただ、不快な気持ちにはなりませんでしたから及第点と言ってもよいのではないでしょうか」

 ステファニアがにっこりと微笑むと、あからさまにアルベルトはホッとしたような表情になった。

「ならよかった。俺もこういうのは苦手でな。ただ、これからはそうも言ってはいられんし……」

「ああ。それを言われてしまったら、私も少しずつ慣れていかないといけませんが……。でも、今日は必要ありませんからね」

「わかったわかった」


 笑いながらアルベルトは手を差し出す。ステファニアはアルベルトにエスコートされ馬車へ乗り込んだ。馬車は動き出したが、車内は静かだ。


「もしかして、緊張されていますか?」

「ああ。いや……なんだか落ち着かなくてな。変、じゃないか?」


 そう言って己の服を示す。

 ステファニアはアルベルトの服装に目を向けた。ステファニアに合わせたのか白に近い、シルバーの衣装。正直、似合っていないわけではないが……。


「変ではないと思いますよ。ただ、そうですね。やはりアルベルト様にはもう少し濃い色合いのものの方が似合うと思います。せめて、いつも身に着けていらっしゃったあの情熱的な赤色のブローチをつけるとか……」


 ぐっと息をつめ、噎せるアルベルト。ステファニアは大丈夫ですか? と慌ててハンカチを取り出し渡そうとしたが断られた。アルベルトはズボンのポケットから赤いハンカチを取り出し、口元にあてるのかと思えばそこにはあてず、折りたたみなおして胸元のポケットにいれた。


「大丈夫だ」


 アルベルトは頬を微かに赤く染めたまま真顔で頷いた。ステファニアは目を瞬かせ、そして微笑みを浮かべる。

 緊張はすっかり解けたらしく、たわいない会話を楽しんでいるうちに王城へ到着した。アルベルトが先に降り、ステファニアもアルベルトの手を借りて降りる。そして、最後にロザンナが降りた。本当はアルベルトもいることだしロザンナには留守番をしてもらうつもりだったのだが、護衛でもある専属聖騎士が主の側を離れることはできないと断固拒否されてしまったのだ。一応プリモ大司教からは緊急時以外は大人しくしているようにときつく言い含められている。だからか、ロザンナは馬車の中でも一言も発することはなかった。ただ、視線はアルベルトの行動を逐一観察……というか監視していたが。


 プリモ大司教から預かった招待状を取り出し、受付係の騎士に手渡す。話は通っていたらしく、一枚の招待状で三人通してもらえた。いざとなったらロザンナには外で待っていてもらうしかないと考えていたのでホッとする。


「筆頭聖女様と、そのパートナーであるアルベルト様、そして聖騎士様のご入場です」


 扉が開かれ、アルベルトのエスコートでステファニアは会場へと足を踏み入れた。ロザンナが後に続く。ざわ、と空気がざわついた。いくつもの視線を感じる。その大半に筆頭聖女がパートナーをつれてきたことへの驚きが含まれているようだ。


 ――――やっぱり、誤解されるわよね。


 溜息を吐く。ヴェールのおかげで、周りには気づかれていないはずだ。

 普段は鬱陶しいこのヴェールもこういう時だけは助かる。


 ――――国王陛下達はまだかしら。はやく帰りたいのだけど。


 どうせ、聖女は踊ることも食事をすることもできないのだ。なぜ自分達が呼ばれたのか聞いて、サクッとその用件を終わらせて帰りたい。長居はしたくない。

 ただ、アルベルトが隣にいてくれることでむやみやたらに話しかけて来ようとする人がいないのは救いだった。皆遠巻きに見て何やら囁いているだけで近づいてはこない。けれど、そんな中でもステファニアに声をかけようとする猛者がいた。


「聖女様」

「あなたは」


 なんとなく覚えのある顔。でも、名前が出てこない。すると、彼女の方から答えを教えてくれた。


「コリオ男爵家のジュリアでございます。先日は、その、ルカのことで」

「……ああ。あの時の」

「は、はい。その時のことについて正式に謝罪をしたくてお声をかけました。あの時は大変申し訳ありませんでした」


 悲壮感を漂わせ、深く深く頭を下げるジュリア。この場には相応しくない行動だ。周りがなんだなんだとさらにステファニア達に注目する。ステファニアは溜息を吐きたくなった。さすがにこれだけ注目されている中ですることはできないが。


「わざわざ(このような場所で)ありがとうございます。ですが、謝罪の必要はありませんよ。すでにコリオ男爵から正式な謝罪はいただいていますから」

「ですが、それでは私の気持ちがおさまらないのです!」


 ヴェールの下、ステファニアは顔を顰めた。その話を今ここでするのはおかしい、と指摘してしまいたい。けれど、今ステファニアは『筆頭聖女』としてこの場に立っている。慈悲深い聖女の見本となる筆頭聖女が安易に断るわけにもいかない。


「わかりました。それではジュリア様からの謝罪も受け「だって!」」


 話を遮られてしまった。そして、気づく。目の前にいるジュリアには本当に謝ろうという気はないのだと。悲しみの色に染まった目の奥にドロドロとした妬みの色が見える。

 その色を隠すようにジュリアは目を伏せた。


「私の気持ちは聖女様に届いてはいないのですから」

「……どうしてそのようにお思いに?」

「ルカが、教会でお世話になっていると聞きました。それってルカは聖女様に許されたってことですよね。でも、私は未だに許されていません。あれから、私は婚約者から婚約破棄され、お父様の商会は経営悪化し、家の中も滅茶苦茶になりました。罰は充分受けたと思うんです。それなのに……これって不公平じゃないですか?!」


 ステファニアは言葉に詰まった。言われて見れば確かにルカだけを贔屓したように見えるかもしれない。でも……という気持ちが込み上げてくる。ただ、この気持ちをこの場で口に出すわけにはいかない。ジュリアもそれをわかっているからこそ、この場で話を切り出したのだろう。

 黙り込んだステファニアを見て、ジュリアはイライラを募らせる。繕う余裕があったのは最初だけらしい。


「聖女様はいいですよね? すぐに次のお相手ができて」


 吐き捨てるような言葉。それはさすがに違うとステファニアは口を開こうとした。

 けれど、アルベルトが待ったをかけた。ステファニアを守るように前に立ち、ジュリアを見下ろす。


 威圧感たっぷりのアルベルトに見下ろされて、さすがのジュリアも怯んだ。


「黙って話を聞いていれば随分自分勝手なことばかりを言うじゃないか。とうてい許しを乞うているようには見えなかったが。……被害者はあくまで聖女様だぞ。なのに、なぜ加害者であるおまえが被害者ぶっている?」

「は、はあ? そんなのあなたに関係ないでしょう! 関係ない人が横入りしてこないでくれますか?! 私は聖女様に話しかけてるんです。っていうかあなた誰よ? 聖女様、次期侯爵のルカの次がコレだなんてさすがにちょっと妥協しすぎじゃないですか?!」


 感情のまま捲し立てたジュリアの発言に一部から動揺の声が上がった。自業自得ではあるが、この先のことを思うとジュリアに同情せずにはいられない。

 平民上がりの男爵令嬢という生い立ちのせいもあるだろうが、アルベルト自身がずっと隣国にいたことも一因だろう。いや、もしかしたら商人である父親はアルベルトのことを知っていたかもしれないが。

 アルベルトの顔に獰猛な笑みが浮かぶ。


「俺か? 俺はお前のせいで聖女様との婚約を破棄せざるを得なくなった哀れなルカの兄だよ。だから関係はあるんだよ。俺も聖女様のパートナーは荷が重かったんだが、国王陛下のご指名だから仕方なく引き受けたんだ。それでも文句があるっていうなら直接国王陛下に言ったらどうだ?」

「は、はあ? そんなでたらめっ」

「本当のことよ。ルカとはあまり似ていないから信じられないかもしれないけど……知っている人は知っているはずよ。一応つけ加えておくと国王陛下からのご指名だというのも本当」


 そう言って会場の端の方で警備として立っている騎士達に視線を送った。つられてジュリアも視線を向ける。皆、国王陛下に忠誠を誓った騎士達だが、凄腕冒険者として名を馳せているアルベルトのことは知っているらしい。そのとおりだと頷き返している。ジュリアの顔色が青ざめていく。そんなジュリアを見て、アルベルトは鼻で笑った。


「素直に慰謝料を払って大人しく自領に引きこもって、ほとぼりが冷めるのを待っていればよかったものを……逃げるなら今の内だぞ?」


 これ以上は許さないと言外に含める。顔色だけでなく言葉も失ったジュリアはよろよろと後退り、そのまま身体を翻すと逃げるように会場から出て行った。国王陛下への挨拶もまだだったが、止める者はいなかった。先程の話でなんとなくことの顛末がバレてしまったのだろう。最初はジュリアに同情的な目を向けていた者達ですら声の一つもかけなかったのだから。


 なお、どうしてジュリアがあんな暴挙に至ったのか気になり後日調べてみてわかったことなのだが、どうやらコリオ男爵家はエンリーチ家だけでなくシッキターノ家からも慰謝料を請求され爵位返還の瀬戸際まで追い込まれていたらしい。ジュリアは両親からなんとしてでも聖女から許しをもらってくるようにと言い含められていたが、ルカと婚約解消したというのに平気そうな顔で現れたステファニアを見て、微かにあった罪悪感が消え、反対に怒りが込み上げてきて暴挙に至ったのだと言う。


 すごすごと逃げて行ったジュリアに「本当に逃げるとは」と不満げな顔を浮かべたアルベルトにステファニアは呆れた視線を向けた。

 ただ、ジュリアに対して、可哀相……とも言えなかった。ステファニア個人的としては彼女への悪感情は無い。でも、『聖女』として安易に許すことはできなかった。『聖女』の名前を出してきた彼女には。


 ステファニアとジュリアのやり取りを面白そうに見ていた野次馬は、アルベルトの顔が自分たちに向けられた途端蜘蛛の子を散らすように散っていった。


「あの程度でよかったのか?」


 今更聞いてくるアルベルトに、内心苦笑しながらもステファニアは頷き返した。


「ええ」

「もっとやり返すこともできたが」

「必要ありません」

「そうか? だったのか?」


 アルベルトの視線が刺さる。ステファニアは瞬きを繰り返した。


「それは、いったいどういう意味でしょう? 『聖女』としてのプライドのことを指しているのか……それともルカ卿のことを指しているのか」

「どちらもだが……しいて言うなら後者だな」


 そうですか、とステファニアは顎に指をひっかける。


「アルベルト様は存外兄弟思いの方だったんですね」

「そうでなければこうして今俺はここにいないだろう?」

「確かに?」


 本来ならアルベルトはエスコート役を断りたかったはず。たとえ国王陛下からの命令だったとしても。そうしなかったのはルカのことがあったからだろう。


 音が止まった。ようやく国王陛下がいらっしゃったらしい。手を差し伸べて来るアルベルト。その手に己の手を重ねた。


「筆頭聖女よ。よくきてくれた」

「国王陛下、この度はこのような場に私までお招きいただきありがとうございます」

「いや、なに。たまには筆頭聖女もこのような場に参加するのもよいだろうと思ってな。退任式まであと少しだろう?」

「そう、ですね」


 内心では『で? まさかそれが理由じゃないでしょう。本当の理由は何ですか?』と問いかけながらも、顔には出さない。それはステファニアの言いたいことを理解している国王陛下も同じだ。互いの表情からは何の意図もくみ取れない。


 ステファニアはちらりと素知らぬ顔で隣に立っているアルベルトを見た。視線を戻して国王陛下に微笑みを向ける。


「多忙な国王陛下に気にかけていただけるなんて光栄です。しかも、アルベルト様までわざわざ」

「おまえか! 泥棒猫は!」


 降って湧いた怒声。アルベルトの手がステファニアから離れたかと思えば、金属音が響き渡る。予想外の事態にステファニアも驚いて目を丸くした。アルベルトは国王陛下の護衛から奪った剣で襲い掛かってきた人物と応戦しているが、その顔には焦りが見える。国王陛下の護衛達は慌てて国王陛下を連れて離れる。

 いきなり襲いかかってきた女性は特徴的な真っ赤な髪をしていた。剣を振るうたびに、馬のしっぽのように結った髪が揺れている。その特徴的な髪を見て「ああ」とステファニアの口から小さく声が漏れた。


 アルベルトは剣を防ぐだけで反撃には出ない。というより、出られないと言った方が正しいだろう。このままでは埒が明かない。

 そう判断したステファニアは仕方なく力を解放することにした。両手の掌をぱんっと合わせる。その音をきっかけに暴れていた女性は動きを止めた。いや、正確には止めてはいないのだが、透明な狭い結界の中に入れられて身動きが取れなくなったのだ。申し訳ないが安全が確保できるまではそのままでいてもらおう。


「リタ王女これはいったいなんのつもりだ」


 国王陛下が睨みつける。相手が国王陛下だろうが構わずリタ王女と呼ばれた女性は吠えた。


「そちらこそどういうつもりだ! 私の愛するアルベルトにちょっかいをかける泥棒猫の味方をするなど!」

「ちょ、ちょっとお待ちください。まさか、その泥棒猫というのは私のことですか?」

「お前以外誰がいる!」


 怒りを露わにしたリタ王女。困惑するステファニアと国王陛下。そして、頭が痛いとでも言うように額を押さえるアルベルト。会場は混乱に包まれていた。

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