第8話
このところ快晴が続いていた反動か、今日は朝から雨が降っていた。とはいっても小雨程度。ただ、黒い雨雲が続いているところを見るとそろそろ本降りになるかもしれない。
ロザンナが空を見上げ難色を示す。
「ステファニア様、孤児院に行くのは別の日にしたらどうですか?」
「いいえ。今日行くわ。子供達が待っているはずですもの。それに、せっかく作ったクッキーを無駄にするわけにもいかないし」
「それは、そうかもしれませんが……というか、なぜ毎回毎回ステファニア様が代理を押し付けられているのですか? 他に手が空いている者はいたでしょうに」
「別に押し付けられたわけではないわよ。体調が悪そうだったから代わりに私が行くわって自分で言ったんだもの。そもそも、皆働き過ぎなのよ。たまにはゆっくり身体を休めないと」
「それはステファニア様も一緒でしょう」
「わ、私はいいの。そんなことより、はやく行きましょう。ね?」
ロザンナの背中を押せば、渋々だが歩き出した。
◇
教会の門扉を出てすぐのところに馬車が二台停まっていた。始めに目に入った馬車。その馬車には見覚えのある紋章が描かれていた。植物を模した紋章はシッキターノ侯爵家のものだ。
「あれ、ステファニア?」
「ルカ卿」
「もしかして見送り……なわけないよね」
鋭い視線をロザンナから向けられルカは慌てて口を閉じた。今まで通りに声をかけてしまったが、これからは許されない。握った拳に力が入る。
ステファニアは黙り込んだルカをじっと見つめた。
「先日……『もう大丈夫でしょう』とお伝えしましたが、それはあくまで
「はい。……
ルカの
「あ、あーっと、ところで、ステファニア様はこんな日に外出を?」
「ええ、まあ」
「そうなんですね。……想像していた以上に聖女の仕事は忙しいんだ」
最後の言葉はかろうじて聞き取れるかどうかくらいの声量だった。そもそもステファニアに聞かせるつもりはなかったのだろう。
「今までは、僕の為に貴重な時間を割いてくれていたんだな。それなのに、僕は……」
視線を逸らし自嘲するルカ。
今更そんなことを言われても何と答えていいかわからない。
気まずい雰囲気を壊したのはロザンナだ。
「ステファニア様、そろそろ行きましょう」
「え、ええ。そうね」
「あ、ステファニア様達は今からどちらに? よければ送っていきますが」
我に返ったルカが慌ててシッキターノ侯爵家の馬車を示す。けれど、ステファニアは首を横に振った。
「いいえ、私達は教会の馬車に乗っていきますから大丈夫です」
「いや、でも、その……こんなことを言うのは失礼ですが、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫、です」
念を押して答えたものの……ルカの心配はもっともだと思う。皆が向けた視線の先にある教会の馬車はかなり年季が入った馬車だった。
誤解されたくないので一応言っておくが、いつもはもっといい馬車に乗っている。ただ、その馬車は現在修理中なのだ。
というのも、昨晩何者かの手によって普段使っている馬車数台の車輪が全て壊されるという事件が起きた。犯人はまだ捕まっていない。
この馬車だけが何故無事だったかというと、あまりにおんぼろすぎて使う機会がないからと、別のところにしまわれていたためだ。ただ、見た目がおんぼろなだけで機能的には充分動く。これ以上突っ込まれる前にとステファニアはさっさと馬車に乗り込むことにした。
「それでは、私はいきますね。ルカ卿、体調にはくれぐれもお気をつけて」
「あ、ああ。ありがとう。ステファニア様も、お気をつけて」
ルカはステファニアが乗った馬車が見えなくなるまでその場に留まり続けた。
◇
予定にはなかったステファニアの来訪。それでも子供達は喜んでくれた。クッキーを大事そうに抱えて子供達が笑い合っている。その顔が見られただけでも、良かったと思う。孤児院で働いているシスターは恐縮しっぱなしだったけれど。
外は雨だが、教会の中は明るく感じる。子供達のおかげだろうか。
忙しそうにしながらも幸せそうな笑顔を浮かべているシスターを見て、将来はシスターとして働くのもありかもしれないと思案する。
聖女の任期を終えた後、結婚できなかった女性や、子供ができないと分かった女性達のほとんどは孤児院でシスターとして働くことが多い。この教会のシスターも元聖女だ。
――――もし、嫁ぎ先が見つからなければこの教会で働こうかしら。
そんなことを考えていると、腕を引かれた。
「どうしたの?」
「これ」
「あらっ可愛い!」
小さな花を使ったしおり。それをまだ十にも満たないであろう子供がそわそわとした様子で差し出してきた。ステファニアが「もしかして私に?」と聞けば、首がもげるんじゃないかという勢いで頷く。ステファニアは両手で受け取った。
「ありがとう。私、本を読むのが大好きなの。さっそく帰ったらこのしおりを使わせてもらうわね」
「は、はい! あ、後、もし破れちゃったり、もっとたくさん欲しいってなったら言ってください。それまでにいっぱい作っておきますから」
「嬉しい! ありがとう。その時はよろしくね!」
「は、はい!」
子供は頬を紅潮させ、パタパタと走り去っていく。ステファニアはシスターにそっと声をかけた。
「どうかされましたか?」
不安そうに聞いてくるので、ステファニアは安心させるように微笑み返した。
「こちらを」
「こ、これは?」
渡された小さな袋の中を見てシスターが声を上げる。中には貴族の子供達の小遣い程度の金額が入っている。シスターが慌てて返そうとしてきたのをステファニアは止めた。
「そちらは私からの依頼料と思ってください」
「い、依頼ですか?」
「はい。このしおりを……そうですね……後五十枚程お願いしたいのです」
「五十枚も?! そのしおりをですか?」
「はい。デザインはこの通りでなくてもかまいません。子供達のおまかせで。お願いできますか?」
「そ、それは大丈夫ですが……五十枚も……本当にいいんですか?」
「もちろんです。教会に娯楽が少ないことはシスターもご存じでしょう? そんな私達の最近のお気に入りは……小説を読むことなんです。ただ、一気読みできるほどの時間はありません。いつもはいらない紙を挟んだり、ページを開いたまま伏せたり、端を折ったりしていました。でも、このしおりがあれば本を汚したり、折り目をつけたりせずに楽しめます。しかも、可愛らしくて癒される。多めに持っていれば、しおりを交換して楽しむこともできます。他の聖女達も絶対に喜んでくれると思うんです。期日はいつでもかまいませんから、お願いしてもいいですか?」
「それは、もちろんです。あの、ステファニア様」
「はい」
「本当に、ありがとうございます。これで、あの子達に新しい服を買ってあげることができます」
潤んだ瞳でステファニアを見つめ、深々と頭を下げるシスター。ステファニアは慌てて顔を上げて欲しいと頼んだ。
「そ、そういうのは止めてください! 私はただ欲しいと思って依頼しただけですからっ!」
無言で頭を下げ続けるシスターを前にして途方に暮れるステファニア。助け舟を出したのはロザンナだ。
「ステファニア様」
「ど、どうしたの?」
「お話し中申し訳ありませんが、そろそろお時間が……」
ロザンナの後ろで御者が申し訳なさそうな顔で立っている。ハッとして外を見れば、いつの間にか雨脚がかなり激しくなっていた。そろそろ出ないと帰れなくなりそうだ。シスターもようやく顔を上げる。
「それでは、そういうことでよろしくお願いします」
「はい。皆! 聖女様が帰りますよ。ご挨拶を!」
「はあい!」「聖女様もう帰っちゃうの~?」「またきてね!」
「ええ。ああ、濡れて風邪を引いたら大変だからここまでで大丈夫よ。皆、またくるわねえ!」
名残惜しいが、さっと出て行く。中からシスターが子供達を引き留めている声が聞こえてきたが戻るわけにはいかない。ステファニアは後ろ髪を引かれながら馬車に乗り込んだ。後は教会へ戻るだけ。雨は強くなっているが、馬が走れないほどではない。これなら無事に帰れそうだ。
と、思った矢先。馬の悲鳴が聞こえた。激しく馬車が揺れる。咄嗟にロザンナがステファニアを庇うように抱き寄せた。強い衝撃が襲う。けれど、痛みはなかった。
「いったい何が」
「ロザンナ様、ステファニア様を連れて逃げてください!」
その声が聞こえたと同時に扉が強引に開かれた。
「お迎えにあがりましたよ~僕の聖女様」
「ひぇっ」
扉の外からぬっと覗き込んできた顔。その顔にステファニアは何となく見覚えがあった。
「あ、あなたは」
「覚えてくれていたんですね」
そう言って嬉しそうに笑う男。その男はアルベルトと参加したあのパーティーでステファニアに近づこうとしてきた男の一人だった。
ロザンナにすがりつくようにして抱き着く。ロザンナはステファニアを庇おうと己の身を前に出そうとしたが馬車が狭すぎて如何せん動きにくい。
「まあまあ、そう警戒しないでください。僕は聖女様を傷つけるつもりは全くありませんから」
そう言って両手を広げる。その手には何も持っていない。とでも言うように。
「安心して出てきてください。大事な話があるんです。さあ、僕は外で待っていますから」
そう言って男が顔を引っ込める。ロザンナは小声でステファニアに話しかけた。
「どうしますか?」
「ひとまず降りましょう」
「わかりました。ただ、私よりも先には出ないようにしてくださいね」
「ええ」
警戒心剥き出しのロザンナを先頭にステファニアも馬車から降りる。馬車の向かいにはもう一台馬車が停まっていた。その馬車に先程の男が乗り込み、手招きしている。外には男が雇ったのであろう屈強な男達が御者を人質にして立っていた。
「さあ、こちらに乗ってください。早くしないとびしょびしょになっちゃいますよ?」
「ぼ、僕のことはいいでぐっ」
「やめてちょうだい!」
「きさまら、こんなことして無事で済むと」
「それなら大丈夫ですよ。聖女様は今夜僕と駆け落ちすることになっていますから」
「なに、それはいったいどういう」
「詳しいことは中で話します。それよりも、早くしないとどうなるか……」
ちらりと男が雇った男達に目配せをする。すると御者のうめき声が聞こえた。
「わかったわ」
「ステファニア様!」
「大丈夫。私が傷つけられることはないでしょうから。今は人命が優先よ。……ロザンナも一緒でいいですよね?」
「そうですね。一人くらいは親しい人がいた方が聖女様も安心できるでしょうし」
今まさに安心できそうな状態ではないのだが、と思いつつ馬車に向かって歩く。近づくたびに男の顔がにやけていく。馬車まで後数歩。その時、後ろから叫び声が上がった。慌てて振り向く。
「え?!」
屈強な男達が次々と倒されていた。御者は隙をついて逃げ出している。
「ル、ルカ?!」
そう。なぜかここにいるはずのない
「ステファニアッ!」
「っ」
馬車から出てきた男がステファニアを捕まえるより早く、ロザンナが剣を振るった。鞘付きとはいえかなりの力だったのだろう。骨が折れる音がした。男が悲鳴にならない声を上げ、腕を押さえる。苦悶の声を上げる男に向かって、ルカとロザンナが抜き身の剣を向けた。
「ひっ! お、おまえら起きろ! 何を寝ているんだ! 俺をたすけろ。俺は次期男爵になる男だぞっ。か、金を払った分だけでも働かないかっ!」
男は唾を飛ばしながら捲し立てが、屈強な男達はルカの手によってすでに意識を刈り取られている。誰も起き上がれるはずがない。
「ぐっ!」
「ルカ!」
そう思っていたのだが、リーダー格らしき男が起き上がり、ルカに剣を振るった。咄嗟に避けようとしたが、避けきれなかったらしい。肩の所が血で染まりつつある。
ステファニアは慌てて自分達を囲むようにして結界を張った。これで物理的な攻撃は防げる。が、この場から逃げ出す方法がない。しかも、ルカは負傷している。一応止血したが、それも一時的なものだ。ステファニアが治療するのが一番てっとりばやいが、その為には一度結界を解かなければならない。補助器具があれば同時に力を振るうこともできるが、あいにく手元にはない。
最悪なことに倒れていた男達も次々に起き上がってしまった。彼らの敵意はルカに向けられている。
何を優先させるべきか、ステファニアは焦っていた。そんなステファニアの前にルカが立つ。
「僕がこいつらの相手をする。ロザンナはステファニアを連れて逃げろ」
「それはダメです!」
「ステファニア、聞いてくれ。彼らの狙いは君なんだ。だから絶対に君を渡すわけにはいかない。ロザンナ……頼んだよ」
ステファニアはロザンナを見て、ルカの言うことは聞かなくていいと首を横に振った。けれど、ロザンナは眉間に皺を寄せたまま、わかったとは頷かない。かわりに、ステファニアの腰に腕を回した。
あっと思った時にはかつぎ上げられる。ロザンナが走り出した。
「いや、まってロザンナ。ルカが、ルカーッ!」
ルカに向かって手を伸ばすが、どんどん距離は離れていく。リーダー格の男と数人の男達がルカに一斉に襲い掛かるところが一瞬だけ見えた。
降ろしてほしい。降りて、ルカの元に戻りたい。
でも、自分達を残りの男達が追ってきている。ここで降りたら確実に捕まる。
そうなったら、自分はともかくロザンナは?
絶対に降りるわけにはいかなかった。
ロザンナはステファニアをかついで必死に走った。だが、徐々にスピードが落ちていく。ぬかるんだ足場のせいで上手く走れない。男達との距離がどんどん縮まっていく。
「もう、いい。私は大丈夫だからロザンナ」
泣きながらロザンナにだけ聞こえるように呟いたが、ロザンナは返事をせずに走り続けた。ステファニアにできたことは結界を維持することだけ。
「ぐっ」
どれくらい走ったのか、とうとうロザンナが足を取られてバランスを崩した。こける瞬間、ロザンナはステファニアを抱きかかえ己の身体を下にするように回転しながら受け身をとった。
「ぐっ」
「大丈夫ロザンナ?!」
慌てて身体を起こす。ロザンナもよろよろと起き上がった。が、その時にはすでに男達に追いつかれていた。周りを囲まれている。かろうじて結界で阻んではいるが……。
「はあ、はあ、時間を取らせやがって」
「よくも俺達をこんなに走らせて、ん? もしかして両方女か?」
「お、まじか?!」
「なら、聖女様はあのお貴族様に渡して、こっちの女は俺達がいただいてもいいんじゃね?」
「よっしゃ! 久々の女だっ!」
「男みてぇだけど、女は女だからな」
「諦めてこの結界解きやがれ!」
「逃げ場はないんだから時間の無駄だぞ~」
二人を囲んで騒ぎ立てる男達。頭にきたステファニアは口を開こうとしたが、ロザンナの力強い手によって口を塞がれた。
「ステファニア様、私が『今』と言ったらこの先の道を真っすぐ走ってください」
耳元でささやかれた言葉。既視感。ルカと同じことをロザンナもしようとしているのだ。ステファニアはそれだけはダメだと首を横に振った。ぎゅっとロザンナに抱き着く。
「絶対にいやよ」
「ステファニア様、お願いですから」
「私に考えがあるわ。一度、大人しく捕まりましょう。その後、二人で逃げ出す方法を考えるの。ね?」
「ですが」
「もっと早くこうすればよかった」
――――そうすれば……。ルカ、お願いだから無事でいてちょうだい。
ステファニアは意を決して結界を解いた。
「お!」
「いいね~」
男達がにやにやして二人に近づこうとする。ロザンナはステファニアの前に立った。
「大人しくついていくから、ステファニア様を怯えさせるな」
男達は顔を見合わせた。そして、肩を竦める。
「聖女様には刺激が強いか」
「まあ、それもそうだよな。特におまえの顔なんて」
「うるせーよ。おまえだってたいしてかわりねえだろ。……あーわかった。ひとまず、聖騎士の嬢ちゃんの腕だけは結ばせてもらうぞ」
「ああ」
大人しく手首を前に出したロザンナ。男の一人が拘束用ロープを取り出し、手際よく結ぶ。さて、きた道を戻ろうと歩き始める一同。女性二人を真ん中にした並びだ。
――――ルカは大丈夫かしら。
そう考えていた時、後ろから呻き声が聞こえた。皆、足を止め、振り向く。
「な、なんだおまえ!」
最後尾を歩いていたはずの男が倒れている。その隣にはフードを被った怪しい人物。おそらくその人物が男を倒したのだろう。
男達が狼狽える中、突然現れたフードを被った人が男達を薙ぎ倒していく。その光景をステファニアとロザンナは呆然と見るしかできなかった。
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