第10話
「で? おまえはその後なんて言ったんだ?」
ルカの見舞いにきたはずのアルベルトは、リタ王女から持たされた見舞い品の甘味に口をつけながら尋ねた。けれど、いくら待ってもルカからの返答はない。まさか、と思い顔を上げる。
案の定、ルカはそっぽを向いていた。わなわなと震えながらルカを指さす。
「おまえ、まさか……嫌がるステファニアに無理矢理」
「そ、そんなことするわけないだろう?! 僕は何もしていないし、言ってもないよ!」
「何もだあ?! おいおいおいおい。せっかくのチャンスだったのに何もしなかったのかよ?! 退院したら次はいつ会えるかもわからないんだぞ? そこは多少強引にでも退院後の予定を取り付けておくべきだろう。『命を助けてくれたお礼に』とでも言ってデートに誘えばいいじゃねえか」
「デ、デート?! そ、そんなの誘えるわけないだろう。ステファニアは『聖女』として助けてくれただけなんだから。僕らはもう婚約者でもなんでもないし……。もちろん、助けてもらったお礼はするつもりだけど、そんな卑怯な手は使えないよ」
「卑怯……。いいかこれは卑怯じゃねえ。駆け引きだ。か・け・ひ・き。だいたい、デートの一つや二つおまえらくらいの年ならもっと軽い気持ちでするだろう。おまえだってあの……何て言ったっけ、ジュ、ジュ、ジュース?みたいな名前の女としてただろう?」
「あれはそういうんじゃ……」
違うとはっきり否定したいところだが、今のルカはアレが傍目から見れば『デート』だと言われても仕方ないことだとわかっている。
一気に暗い表情になったルカを見て、アルベルトが嘆息した。
「反省することも大事だが、それは後からでもできるだろう。今はそれよりも優先すべきことがあるんじゃないか? ステファニアが還俗すれば、
「いいわけないだろう。でも、僕が気持ちを伝えたところでステファニアを困らせるだけだ。これ以上、嫌われたくはない。ステファニアが幸せになるなら……僕はそれでいいよ」
アルベルトは「ふーん」と呟き、手に持っていたゴミを握りつぶし、ゴミ箱へと投げ入れた。
「それがおまえの本心だって言うのなら俺がこれ以上言うことはねえよ。おまえも次期当主として次の相手を決めないといけねえし、いつまでも昔の女の尻を追っかけるわけにもいかねえしな。だから、ステファニアのことで口を出すのは今日で最後にする。最後にきちんとステファニアに自分の気持ちを伝えろ」
「っ。だから! それはステファニアを困らせるだけから嫌だって」
「別にいいじゃねえか。困らせたって。今更だろ。散々今までステファニアを傷つけてきたのはおまえなんだから」
「っ」
ストレートな言葉に返す言葉が見つからない。
「別に無理矢理仲を修復させろって言っているんじゃない。今後の為にも、おまえの気持ちを伝えてすっきりさせろって言っているだけだ。毎日毎日そんな顔をして、このまま何も言わずに別れて……それでこの先後悔をしないでいられるのか? よく考えてみろ。今までの自分から変わりたいんだろ?」
ルカは無言で頷き返した。
そうだ。変わらなければならない。同じ間違いを繰り返さないためにも。次期当主としてやっていくためにも。
「兄さんはやっぱりすごいなあ。兄さんはそうやってリタ王女に気持ちをぶつけたんだろう?」
「いいや」
「え?」
「やっぱ俺達兄弟なんだろうな。実は、俺も最初はおまえみたいに自分の気持ちを隠そうとしたんだよ」
「本当に?」
「ああ。リタはああ見えて王女だし、俺はただの冒険者だったからな。最初は気持ちに応えられないって突っぱねたんだよ。でもなリタはああいう性格だろ? 俺がいくら拒んでも諦めようとしなかった。それどころかグイグイきた。そのうち、身分差とか俺のちっぽけなプライドとかどうでもよくなってきたんだ。好きな女にここまで気持ちを向けられて応えないなんて男じゃねえってな。そっからはもう吹っ切れて、俺も全力アタックよ! そうしたら今まで積極的だったリタが顔を真っ赤にして狼狽え始めてこれが可愛いのなんのっ……てそれはどうでもいいな。すまん」
「ううん」と首を横に振る。意外な兄の一面を知って驚きはしたが、幻滅はしていない。むしろホッとした。
「でもさ」
「ん?」
「それはリタ王女殿下と兄さんが両想いだったからだろう? 僕達は違う。僕が今更気持ちを伝えても困らせるだけだ。それどころか嫌われたら僕は……」
「そうだな。その可能性がないとは言えない。むしろ高いだろう。でもな……もしものことを考えて動かないまま後悔するのと、動いて後悔するのとおまえはどちらがいい? 俺は動いて後悔する方がましだ。何もせずに他の奴に奪われるのを指を咥えて見てるなんて俺にはできない」
何を想像したのかアルベルトの表情が歪んでいる。どうやらルカが思っている以上にアルベルトはリタ王女にぞっこんのようだ。それもそうかと思い直す。家を継ぐのが嫌で飛び出したはずのアルベルトが、王女と結婚したということはそういうことなのだろうから。
「その気持ちはわかる。あの事件の時けっこう頭にきたし。あんな男に絶対ステファニアを渡したくないと思った。……でも、僕は僕自身が思っている以上にステファニアに嫌われることが怖いみたいなんだ。いざ自分の気持ちを伝えようとすると、嫌な想像が頭を過ぎって何も言えなくなってしまう」
「そう、か。それだけお前の中でステファニアが特別ってことか」
したり顔で頷くアルベルトに、苦笑するルカ。
そう。そんな特別な相手を傷つけたのは自分自身。過去に戻れるのなら馬鹿な自分を殴ってでも止めただろう。でも、そんなことは不可能。
憂いた表情を浮かべるルカにアルベルトは「でもな」と続けた。
「嫌われることよりも無関心でいられる方がずっと怖いんだぞ」
「え?」
「想像してみろ。この先、おまえらが顔を合わせる機会は極端に減るだろう。そのうちステファニアの中でおまえはどうでもいい存在になる。社交界で顔を合わせても他人行儀な挨拶しか交わさず、ステファニアの目には新しい婚約者しか映っていない。どうだ?」
「どうだっ……て、言われてもそれは」
「ちなみに、俺なら耐えられない。いっそのこと嫌われた方がましだ。好きな女の心にどんな形であれ俺という存在を植え付けられるんだからな。その為なら頭も下げるし、泣きもするし、大衆の前で跪いたりもする。まあ、おまえが俺の言う通りにする必要はないけどな。おまえはおまえ。俺は俺だ。ただ……おまえはもっと狡猾になった方がいい。自分の為にも、家の為にも。そうでないと俺は安心してこの国を出れやしない」
「……さすが兄さん。家を捨てて好きな女と結婚した男は言うことが違うね」
「っ。なかなか言うようになったじゃねえか」
「これくらいは言い返させてよ」
「ふっ。まあ、事実だからな。言い返せねえ!」
大きな笑い声をあげるアルベルト。つられてルカも笑った。
ひとしきり笑ってから頭を下げるルカ。アルベルトは首を傾げた。
「今の僕はわかっているから。兄さんが兄さんなりに考えて家を出たことも、今もシッキターノ侯爵家のことを考えてくれていることも。それをわかった上で、僕は今酷いことを言った。だから、ゴメン」
ふっとアルベルトが笑う。
「そういうところだよ」
と言って、ルカのおでこを指ではじいた。思いのほか痛くておでこを指先で確かめる。結構痛かったけど、腫れてはいないらしい。よかった。
アルベルトがルカをじっと見つめる。
「
「? それは、褒めてる?」
「ああ褒めてるぞ。俺はおまえのそういうところが好きだからな」
「いや。兄さんに言われてもあんまり嬉しくないんだけど」
「なに~?」
「ふふ」
笑い合う兄弟。和やかな空気が流れる中、ルカは笑うのを止めた。一度話すのをためらった後、もう一度口を開く。
「兄さん、ちょっとお願いがあるんだけど……」
「なんだ?」
ルカが声を潜め囁く。アルベルトは耳を傾けながら頷き返した。
◇
「ステファニア様。そろそろ行きましょうか」
「そうね」
座っていた椅子から立ち上がる。その時、さらりと衣装が揺れた。この服に身を包むのも今日で最後だ。なんだか感慨深い。ロザンナの聖騎士の服にも視線を向けた。今のうちに目に焼き付けておかねば。
聖女退任式。その後に、専属聖騎士の除名式もある。今日はステファニア達以外にも解任、除名されるもの達が数名いる。でも今日一番注目されるのは間違いなくステファニア達だ。
今回の式には国王を始めとする国の重鎮も立ち会うことになっている。当たり前だがここ最近で一番大規模なものになるらしい。
緊張はしていなかった。むしろ、別のことが気になって仕方ない。
――――お母様達はきてくれているかしら? 直接顔を合わせるのはいつぶり? 会ったら何から話せばいいかしら。
そんなことを考えている間にステファニアの名が呼ばれた。式場の扉が開かれる。白いカーペットの先にプリモ大司教が待っていた。複数の視線を受けながらプリモ大司教の元まで歩いていく。
聖女就任式ではヴェールを授けられるが、退任式ではヴェールを返納する。そうして、ようやく『聖女』から一人の女性に戻るのだ。
今まで視界を覆っていたヴェールがプリモ大司教の手で取り除かれる。視界がクリアになった。優しい目をしたプリモ大司教と目が合い、鼻がつーんとする。ステファニアは振り向き、会場にいる皆に身体を向けた。
たくさんの人が参加しているが、目が行くのは見知った人々。
国王陛下、リタ王女、アルベルト様、お父様、お母様、そして……ルカ。
ルカは会場の入り口に一番近いところに立っていた。目が合うとルカは驚いたように目を丸くし、次いで目を細め微笑んだ。まさかそんな表情を向けられると思っていなかったステファニアは驚く。それとなく視線を外し、胸に手を当てる。心臓がドキドキしている。
無事、式は終わりステファニアの元へは両親が一番に駆け付けてくれた。
久しぶりの再会。何を話そうかとずっと考えていたが、ステファニアが口を開く前に母親から抱きしめられた。
「ステファニア、今までよく頑張ったわね。お疲れ様。さあ、よく顔をみせてちょうだい」
「はい。お母様」
「ああ……大きくなったわね。ステファニアはお父様の若い時によく似ているのね」
「そうか? 君の若い時に似ている気がするが」
首を傾げる夫婦こそ似ている気がする。思わず笑ったステファニアにつられて二人も微笑む。
「ステファニア様」
声をかけてきたのは現役の聖女達。彼女達は泣いているようだった。特にシモーナはベール越しでもわかるほど泣いている。聖女らしからぬことだがそれを咎めることはできない。したくもない。
母親を見上げると、母親はわかっているとでも言うように微笑んだ。
「私達のことは気にしないでいいわよ。いってらっしゃい」
「ああ。私達はここで待っているから、時間も気にしないでいいぞ」
「ありがとうございます。行ってきます。お父様、お母様」
両親に見送られ、彼女達に近づく。
「ここではあれだから、空きチャペルでお話しましょうか」
「はい」
ステファニアは聖女達を連れて空きチャペルに移動した。静かだからか鼻をすする音が反響している。でも、ここなら隠さなくてもいい。
外は専属聖騎士達が見張っていてくれるらしい。だから、
「さあ、おいで」
とステファニアは手を広げた。一瞬戸惑った様子を見せる聖女達。しかし、誰よりも先にシモーナがステファニアに抱き着いた。それをまねるように他の聖女達もステファニアに近づく。泣き声や鼻をすする声が増えていく。その雰囲気に釣られたのか、なんだかステファニアもすごく寂しい気持ちになってきた。まるで子離れしないといけない母親のような心境だ。いや、年齢的には姉か。
どちらにしても、私にとって彼女達が特別な存在なのは変わりない。かけがえのないもうひとつの家族。
ぎゅっと聖女達を順に抱きしめていると、ふいに強い視線を感じた。
「っ……」
「ステファニア様?」
「どうかされましたか?」
視線を感じたのは一瞬だけ。もうその気配は感じられなかった。
「……いいえ。気のせいだったみたい」
視線を元に戻し、シモーナの肩に手を置いた。ゆっくりとシモーナが顔を上げる。優しく微笑みかけた。
「シモーナ、あなたなら大丈夫。でも、無理はしちゃ駄目よ。皆も。相談したいことがあったらいつでも連絡をちょうだい」
「いいんですか?」
「もちろん。還俗した聖女とやりとりしちゃダメなんてルールはなかったでしょう? さすがに極秘情報は漏らしちゃだめだけど。それ以外のことなら何でも、いえ何もなくてもいいわね。気軽に連絡してちょうだい」
「ありがとうございます」
もう一度シモーナが抱き着いてくる。先程よりも力が強い。少々苦しいが止めはしなかった。シモーナの不安がステファニアはよくわかる。現役聖女の中でも年齢だけ見れば若いグループに入るシモーナ。でも、その実力は他の聖女より飛び抜けている。筆頭聖女に選ばれるくらいに。
それゆえの不安がたくさんあるだろう。下手をしたらステファニアの時以上に。
それでもシモーナはその重責に耐え続けなければならない。任期を終えるまで。ステファニアはそっとシモーナを抱きしめ返した。そして、周りにいた聖女達に目配せをする。どうかみんなで支えてあげてほしい。この小さな聖女を。ステファニアの気持ちが通じたのだろう。皆力強く頷き返してくれた。
「ステファニア様。絶対会いにきてくださいね!」
「お手紙送りますから!」
「次に会う時はオススメの本を貸してください!」
「ステファニア様の絵姿を毎日拝みますから!」
「え、ええ」
聖女達に見送られながらステファニアは両親が待っているであろう先程の式場へと向かう。その途中で呼び止められた。
「ステファニア様」
「はい?」
「エンリーチ公爵夫妻でしたら別のチャペルでお待ちです。式場はすでに片付けに入っていますので」
「ああ、そうだったの。待たせすぎちゃったのね。教えてくれてありがとう。それで、どこのチャペルに?」
「こちらです」
どうやら聖騎士が案内してくれるらしい。その後をついていく。
「……本当にこちらなの?」
「……」
この先にあるチャペルは今は使われていないはずだ。それどころか、壊すのにも手間や費用がかかるという理由で放置されているだけの廃墟も同然のチャペル。そんなところに教会が両親を案内したとは到底思えない。
ステファニアはちらりとロザンナを見上げた。ロザンナも気づいているようで頷き、自分の後ろにいるように視線で示す。黙って従い、ロザンナの後に続いた。
――――一応本物の聖騎士のようだけど……どこの貴族の息がかかっているのかしら。単独犯ではないはず。もしかして……この前のように無理矢理私を一族に取り入れようっていう魂胆なのかしら。もし、そうだとしたらお母様達は人質に……。
不安になってきてロザンナの服の背中部分を握った。ロザンナが大丈夫、とでも言うように後ろ手に手を握ってくれる。
辿り着いたのは予想通り、廃墟同然のチャペルだった。聖騎士が扉を開き、無言で二人に入るように示す。ロザンナと目を合わせる。頷き合い、意を決して中に足を踏み入れた。
「っ」
振り向いたが、もう遅い。完全に扉は閉じられていた。
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