第4話
「なあ、もう充分だろう? ジュリアを許してやってくれ」
ルカの斜め後ろから必死に話しかけてきているのはジュリアの婚約者でもあり、ルカの親友でもあるマルコだ。
マルコは焦っていた。身振り手振りでルカに話しかける。
「最近のジュリア、見てられないくらい落ち込んでいるんだよ」
「落ち込んでる?」
「あ、ああ。落ち込むっていうか精神が不安定になってるって感じだけど。俺の話もまともに聞いてくれないんだ。そんな余裕が無いって感じで……周りにも影響が出てる。このままだと困るんだ。だから」
「無理」
遮って断る。だが、マルコは諦めなかった。諦めるわけにはいかなかった。
「ジュリアにむかつく気持ちもわかる。あいつの我儘に限界がきたんだろ? 俺もあいつの我儘にはいつも振り回されているからよくわかる。俺だって言えるものなら文句の一つや二つ言いたい。でも、俺はあいつの家に婿入り予定だから強くは出れないんだ。俺だけの問題じゃないんだよ。だから……申し訳ないけど、俺の為にも、俺の家の為にも、今回だけはジュリアを許してやってくれないか? お願いだ。今後はおまえに迷惑をかけないようにするから。このとおり!」
頭を深く下げるマルコ。そんなマルコを見てルカの気持ちが揺らいだ。もう二度とマルコとジュリアには関わらないつもりでいたのに……。
「無理だよ。もう、ジュリアに前のように接することはできない」
「なんで」
「マルコは……どうせ聞いてないんだろ? ジュリアが話すとは思えないもんな。……ジュリアが何をしたのか」
「それは……ルカを怒らせて絶縁されたとしか。普段怒らないルカを怒らせるくらいだからそれなりのことをしたんだろうと思っていたけど……ジュリアは何をしたんだ?」
マルコが恐る恐る尋ねる。
「ジュリアのせいで、『聖女の契り』を破ることになったんだよ」
「……は?」
普段聞くことはない単語だからか、マルコは固まってしまった。マルコが正気に戻るまで待つ。数分後、マルコがよろよろと動き出し、震え声で再度確認してきた。
「『聖女の契り』ってあの『聖女の契り』のことか? ルカは聖女様と婚約していたのか?」
「うん。隠していたから気づかなかったと思うけど、
「それで……」
いつも暑苦しい恰好をしていたわけだ。ただの格好つけの為かと思っていた。
「一応言っておくけど、このことは秘密だよ」
「あ、ああ。それはもちろん。……ってちょっとまて、聖女の契りを破ったって……それがジュリアのせいって……まさか」
「……」
無言は肯定。普段からジュリアがどんな目でルカを見ていたのかマルコは知っている。ジュリアの性格も。よく知っているからこそ、ジュリアがどんな行動をとったのか容易に想像がついてしまった。
「なんてことを」
思わず口をふさぐ。脳内整理がようやくできたものの、心の整理が追いつかない。ルカがさらに追い打ちをかける。
「僕はジュリアを許すつもりはないよ。もう関わるつもりもない。マルコには悪いけど……ジュリアを庇おうとするならマルコ、君との関係も終わりだ。……これは『親友』の僕からの最後の忠告だと思ってくれていい。よく、考えて。ジュリアとの結婚について。自分だけで判断せず、家に相談するのをオススメするよ」
立ち尽くすマルコをおいて、ルカはその場から離れた。そのまま帰るつもりだった。
だったのに……先生の手伝いなんて引き受けるんじゃなかった。頼まれたら断われない性格の自分が恨めしい。
見覚えのある二人がルカが通ろうとしている廊下で口論をしている。――――せめて、教室の中でしてくれよ。
気づかれないように遠回りして帰ってもよかったのだが、話題が話題なだけに無視できなかった。
「だって仕方ないでしょう! ルカが婚約していることも聖女様と婚約していることも私は知らなかったんだから! 」
「知らなかったとしても
「何よ! 今まではそんなこと言わなかったくせに。なんで今更そんなことを言うわけ?! あ、わかった。ルカが自分より顔も身分も全部上だから悔しかったんでしょう?」
「んなわけあるか。正直、おまえが誰と遊ぼうがどうでもよかったんだよ。だから今まで放置していたんだ。ああ、そういう意味では俺も悪かったかもしれないな。手綱は握っておくべきだった。おまえのことを甘く見ていたよ。そこまで見境ないなんて思わなかった」
吐き捨てるようなマルコの言葉にジュリアはたじろぐ。
「だ、だって、どうせ卒業したらルカとは離れ離れになるし、ルカもそのうち結婚するだろうから……その前にちょっと味見だけでもしておきたかったのよ。卒業前に思い出がほしかったのよ! これも乙女心なのよ!」
「はあああ?! 何開き直ってんだ! 何が乙女心だよ。ただの痴女心じゃねえか!」
「はあ!? 失礼すぎっ。痴女ってなによ。それが婚約者に向ける言葉?!」
「こういう時だけ婚約者扱いするなよ! だいたいおまえは」
「ストップそこまで」
ヒートアップする二人の間に無理矢理入る。ルカの登場に二人は目を丸くし、気まずげに口を閉じた。特にジュリアの顔色は一気に赤から青になっている。
「喧嘩するのは勝手だけどさ。こんなところで大声で話さないでくれる? さっき、マルコには頼んだばかりだよね?」
「すまん! 本当にすまん!」
「ご、ごめん。でも、私は」
「ああ。そういうのもういいから。何を聞いたって結果が変わることはないし、時間の無駄」
冷めた口調で言い放っておきながら、もう一人の自分が『ああ、こういうことだったのか』と納得した。
ステファニアも同じような気持ちで僕に言ったんだ。思い出してズキズキと胸が痛む。
きっと、あの時の僕も今のジュリアみたいな顔をしていたのだろう。
これ以上ここにいたら自己嫌悪に押しつぶされそうだ。ルカは早々に立ち去ろうとする。
けれど、狂ったような笑い声が聞こえてきて足を止めた。振り向けば、ジュリアが笑みを浮かべながらルカを睨みつけていた。
「いかにも自分は悪くないって感じを出してるけどさあ、ルカだって悪いでしょ。聖女様のこと黙っていたんだから。いくら私だって知っていたらあんなことしなかったわよ」
「だから、それは家の方針で言えなかったから」
「でも、婚約者がいるかどうかくらいは言えたんじゃないの? それか、好きな女がいるから二人では会えないとか」
「それは……」
「黙っていたのは多少なりとも私との関係を楽しもうっていう浮ついた心があったからじゃないの? ほら、その証拠に言い返せなくなってるじゃん」
鼻で笑われ、ルカは頬を赤くした。今までのように違うと言いたいのに、はっきりと言い返せない。それはつまり、自分でも気づかないうちにそういう心があったからなのだろうか。
マルコからの視線が痛い。何か言い返さないといけないとわかっているのに焦って言葉が出てこない。
ジュリアはルカの顔を見てさらに苛立ちを募らせた。
「何、その顔。無自覚だったってこと? 尚更質が悪いわ。あーあ、あんたみたいな童貞にちょっかいかけるんじゃなかった。おかげで、我が家はお終いよ。いくら隠そうとしたって教会からはじかれていたらそのうちバレるもの。商売は信用第一だっていうのにっ」
吐き捨てると、ジュリアはルカから視線を逸らし、マルコを見た。そして、妙案を思いついたとでもいうように笑顔を浮かべる。肉食獣のような目を向けられマルコはビクリと身体を震わせた。
「そうよ。そうだわ! ねえ、マルコ。私達の結婚、早めましょうよ! 私がお嫁にいってあげる!」
「は?」
「もう、察しが悪いのね。噂が広まる前に私がマルコに嫁げば私はコリオ家の人間ではなくなるの。商会に迷惑をかけずに済むのよ。それで、噂が落ち着くまでは身を隠しておくの。いっそのこと二人で国外に引っ越すのもありね。そうすればマルコも家に迷惑をかけずにすむでしょう?」
「頭わいてるのかこの馬鹿女は?」
マルコの口から本音がこぼれた。ジュリアの目がみるみるうちにつり上がっていく。が、もはやマルコは取り繕うつもりはなかった。
「今なんて言った? まさか私に言ったんじゃないでしょうね?」
「おまえに言わずに誰に言うんだよ。元々マイナスの感情しかなかったのに、今回ので底の底の方まで落ちたぞ。今までは家の為に我慢していたけど、もーう無理だ。家の不利益にしかならないおまえをなんで俺が当たり前のように受け入れると思っているんだよ。無理に決まってるだろ」
「はあ?! 男なら惚れた女の一人くらい守りぬいてみせなさいよ!」
「だから、その条件にお前はあてはまらないって言ってるだろうが。あーこれ以上話しても無駄だわ。じゃあな、うぬぼれ女!」
「はあ?! ちょっと待なさいよ!」
さっさと歩き出したマルコを追いかけるジュリア。もうマルコは心を決めたのだろう。マルコの足は止まらない。去り際、一瞬マルコがルカを見た。視線だけでさっさと行けと促す。ルカは黙って踵を返した。
◇
ジュリア達とひと悶着あってから、ルカは最低限しか学園に通わなくなった。顔を合わせたくないというのもあるが、それ以上に三角関係の噂から派生してステファニアまで辿り着かれたら困るからだった。
学園に通わなくなった代わりに、当主の仕事を手伝いながら実践で学ぶ日々。以前に比べたら厳しく指導されている。休む時間もない。でも、それくらいがちょうどいい。余計なことを考えないで済むから。
「あっ」
手元の書類を見つめた。無意識に力が入り過ぎていたらしい。ペン先がつぶれ、書類に黒いシミができてしまった。ペンを置く。集中が完全に切れてしまった。替えのペンが届くまでの間、ぼんやりと外を見る。
頭に浮かぶのはステファニアのことばかり。
僕が今こうして仕事をしている間も、兄さんはステファニアと会っているのだろうか。
ずるいという気持ちと、仕方ないという気持ちがせめぎ合う。
何度も謝りに教会に足を運んだ。でも、教会は、ステファニアは、ルカを許してくれなかった。
それだけのことをしたのだ、と今ならわかる。けれど、ちょっと前までは理不尽だと思っていた。
確かに結果としてステファニアを裏切るようなことになってしまったが、それはあくまで結果だけで自分にはそんな気は無かった。ただ、初めてできた『親友』に浮かれていただけなのだ。その親友に裏切られた僕の気持ちもわかってほしい。
という自分勝手な気持ちの方が大きかったのだ。
でも、今は違う。逆の立場だったらと想像してみてわかった。
初めてできた『親友』という言葉を盾に、自分との約束を破り、聖女としての仕事もおざなりにして、自分以外の異性と親しくするステファニア。想像しただけで嫌な気持ちになる。それで、もし間違いが起きたとして、ステファニアが違うんだといくら言ったとしても信じられるわけがない。
それを自分はしたのだ。自分で自分を殺したくなった。もう、ステファニアとよりを戻したいなんて到底言えない。
ただ、
「会いたい」
不思議なもので会えなくなった今、ステファニアに会いたくてたまらない。
会える時に会おうとしなかったくせに。
ステファニアは……今も兄さんには微笑みかけているのだろうか。
「ステファニア―――」
女々しい独り言は誰にも聞かれずに消えた。
◇
「またきたのですか?」
「仕方ないだろ~怪我したんだから」
そう行ってアルベルトは血だらけの腕を掲げる。そこには歯型がしっかりとついていた。若干肉が見えていて思わず眉をひそめる。
「わざと噛ませましたね?」
「その方が仕留めやすいからな。肉を切らせて骨を断つってやつ?」
「そのやり方を続けているとそのうち取り返しのつかないことになりますよ」
「かもな」
「かもな、ではありません。気をつけてください」
「そんなに心配ならステファニアが俺の側にいてくれればいいんじゃねえの?」
背後で立っていたロザンナが動く気配を見せたので、片手を上げて止める。ステファニアは溜息を吐いた。わざわざあおらないでもらいたい。
治ったばかりの腕で肘をつき、にやにや笑うアルベルト。ステファニアは呆れたように息を吐き出した。アルベルトのせいで溜息が止まらない。
「嫌ですよ。他をあたってください」
「他って言われてもなあ。俺、人気がないみたいだし」
「あれは、いえなんでもありません。というか、羽目を外しすぎです」
心配をかけたくない人がここにはいないからといって。
「……知っていたのか」
「こう見えて私は聖女ですからね」
「それもそうか」
「ええ」
頷きつつ、ちらりと扉の方を見る。扉の隙間から覗く幾つもの目。その目の一つと目があったと思った瞬間、バタバタと複数の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。大袈裟に溜息を吐く。
「はやく服を着てください」
「ん? ああ」
上半身裸のアルベルトはいそいそと服を着直した。まったくもって聖女達に悪影響な人だ。
聖者や聖騎士と行動することの多い聖女達は皆中性的で神秘的な雰囲気を持つ美形にはなれている。そう、ルカのようなタイプには。一方でワイルドで妖艶な雰囲気を持つアルベルトのようなタイプには慣れていないのだ。だからこそ強烈に惹かれてしまうのだろう。
ただ、ステファニアにとってはルカが一番だった。それは今も変わらない。
ルカ以外の人に目がいかない。目の前でアルベルトが裸踊りをしてようが……気にはなるが、心惹かれることはない。
でも、ルカは違ったのだ。ステファニア以外の人に目移りしてしまった。本人は違うと言っていたが、一度でも裏切ってしまったことは確かだ。
ジュリアの姿を思い出す。ふわふわとした茶髪にくりくりとした大きな目。シモーナと変わらないくらい小柄なまるで子犬のような女性だった。ルカのタイプはああいう人だったのかと気分が落ち込む。
「背を伸ばすことはできても縮めることはできないものね」
「何の話だ?」
「なんでもないわ」
衣服を正したアルベルトに帰るように促し、いつものように見送ろうとついていく。その時、鐘が鳴った。祝福の鐘が。アルベルトが足を止める。ステファニアも倣って足を止めた。
「結婚式か。参列客はいないのか?」
「……いないようですね」
二人だけの結婚式が行われていた。アルベルトが言う通り、祝う人々はいない。いや、もしかしたらこの教会の中のどこかにはいるのかもしれないが姿を見せることはないだろう。ステファニアは二人の顔に覚えがあった。元聖女と元聖騎士だ。複雑な気持ちがこみあげてくる。
本来、元聖女の結婚式は国が出資してくれることもあり大規模になることが多い。彼女達のように人目を忍んで行うことはまずない。
膨らんだお腹。簡素な結婚式。幸せそうにはとうてい見えない花嫁と花婿の顔。自分達が選んだ結果だろうに。
その時、ステファニアはふと思った。聖職者が『聖女の契り』を破ることだってあるのだ。一般人のルカが流されてしまったのも仕方ないことだったのかもしれないと。
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