第3話

「なぜですか父さん」

「なぜ? 今更、何故と言うのか?」


 シッキターノ侯爵は苛立ちを隠せず、己の息子ルカを睨みつけた。今までそんな目を向けられたことがないルカは狼狽える。


 ルカにとってシッキターノ侯爵は厳しいところもあるが、それ以上に懐が広く、優しい、尊敬できる人であった。それなのに、今目の前にいるシッキターノ侯爵はルカの言い分も聞かずにルカだけを責めたてている。


 ルカが答えられないでいると、シッキターノ侯爵は頭が痛いとでもいうようにこめかみを押さえ視線を逸らした。


 シッキターノ侯爵といえば世間一般では厳格な性格で知られている。そんな彼はルカに接する時だけは態度を変える。その理由は……愛する妻に似ているから……ではなく長男アルベルトの出奔がきっかけだった。


 シッキターノ侯爵によく似た見た目のアルベルトは、次期当主になる素養を十二分に持っていた。だから、シッキターノ侯爵も期待していたのだ。いずれ、アルベルトは歴代でも最高の当主になるだろうと。その期待がアルベルトには重かったのかもしれない。アルベルトはシッキターノ侯爵の目を欺き、出奔した。


 知らせを受けたシッキターノ侯爵は怒り狂った。アルベルトに二度と家の敷居を跨がせるなと家令に命じようとした。けれど、侯爵夫人が待ったをかけた。

「そんなことをしなくてもアルベルトに帰ってくる気はないでしょう。それよりも、ここはあえて寛容に振舞った方が後々侯爵家の為になるはずですわ。アルベルトは必ずナニカを成し遂げるでしょうから」

 親馬鹿のような台詞だが、何故かあの時はその意見が至極真っ当なもののような気がして納得した。


 どちらにしろアルベルトは帰ってはこない。となると、必然的に次の当主はルカになる。そのための教育がスタートした。突然の環境の変化にルカは戸惑ったが、今までアルベルト中心だった侯爵家が自分を中心に回り出したことはなんだか嬉しくも感じた。だから、期待に応えようと頑張った。


 その頑張りはシッキターノ侯爵にも認められた。アルベルトのような才能はないが、当主になれるだけの素質をルカは持っていた。むしろ、素直で単純なルカの方がシッキターノ侯爵にとっては教えやすかったくらいだ。それに、ルカには聖女様婚約者がいる。それだけでアドバンテージになる。

 ただ、厳しくしすぎないようにだけ気をつければいい。ルカにまで逃げられたらお終いなのだから。


 努力は実を結び、ルカはシッキターノ侯爵家の正式な後継ぎとなった。お披露目から程なく、アルベルトから祝いが届く。

 アルベルトは隣国にいるらしい。そこで冒険者として数々の功績をあげ、爵位までもらったのだという。手紙には隣国に永住するから除籍してくれてもかまわないとあった。

 だが、シッキターノ侯爵はそれを認めなかった。アルベルトが家族の一員なのは今も変わらない。籍は残しておくから、有事の際には利用すればいい。その代わり、ルカが当主となった時、手を貸してやってくれ。と返した。


 アルベルトは二つ返事で受け入れた。元々ルカへの負い目があったのだろう。結局、落ち着くところに落ち着いた形で収まったのだ。これで侯爵家は安泰……そうシッキターノ侯爵は思っていた。


 なのに、今になってルカの未熟さが浮き彫りになった。もっと厳しくするべきだったと後悔しても今更だ。

 シッキターノ侯爵は深呼吸し、口を開いた。


「おまえには前から言っていただろう? 付き合う相手を考えろ、と。せめて、聖女様を裏切るようなまねだけは絶対にするなと」

「はい。だから、気をつけていました」

「気をつけていた? それならなぜあんなことになった?」

「それは……ジュリアが無理矢理してきたからです。僕にはそんな気はありませんでした」


 だから自分には非がないという態度。侯爵の眉間の皺が深くなる。


「つけいる隙を作ったのはおまえじゃないのか?」

「そんな。ジュリアにはマルコっていう婚約者がいるんですよ? しかも、マルコと僕は仲がいい。そのことをジュリアも知っていました。それなのに、そんなことをしてくるなんて思わないじゃないですか!」

「そうか? ならなぜおまえはそのジュリアとかいう女性を特別扱いした? お前たちの三角関係については私の耳にも届いていたんだぞ。二人のデートにはいつもおまえもついていっていたらしいな。それだけじゃない、競い合うようにプレゼントを渡したり、エスコートをしたりもしていたと聞く。誤解させるには充分じゃないか? おまえの本来の婚約者である聖女様にも、他の女性にもしたことがないことをその女性にだけにはしていたんだろう?」

「それは……」


 まさかそこまで知られているとは思っていなかった。言葉につまる。

 けれど……あれはごっこ遊びの延長のようなものだった。ジュリアはお姫様のような扱いを望み、その願いにマルコとルカが応えただけ。ルカにとっては一般的な婚約者同士がどのようなやり取りをしているのか観察するいい機会でもあった。


 いつかステファニアにもしてあげよう、そう思っていたのだ。その気持ちに嘘はない。

 そう、だから、自分は間違っていない。

 ルカは気を取り直して、もう一度口を開いた。


「友達だったからです。そうでなければマルコの前でもジュリアを特別扱いするわけないじゃないですか。それを見て周りが面白おかしく噂を流していただけです。僕らにとって、アレはおふざけのようなものだったんです。それ以上でも、以下でもありません」

「それがお前の言い分か」

「はい」


 力強く頷く。数秒後シッキターノ侯爵はわかったと頷き返した。

「お前の言い分はわかった。で、その結果どうなった?」

「それについては……僕の考えが甘かった……としかいいようがありません。ジュリアは僕が思っているような人じゃなかった。もし、ああいうことをする人だと知っていたら特別扱いはしませんでした。二人きりにもならなかった。……裏切られた気分です」

「あくまで、おまえは被害者だと言いたいのだな?」

「はい。そもそも、ジュリアが無理矢理してこなければこんなことにはならなかったんです。あれはいわばもらい事故のようなもの。避けようがなかった。きちんと説明したらステファニアもわかってくれるはずです。だから父さん。ステファニアに、エンリーチ家に婚約破棄の撤回をお願いしてくれませんか。せめて話し合いの場を設けてもらうだけでもっ」


 ルカの必死な訴えに、シッキターノ侯爵は奥歯を噛んだ。力を入れ過ぎて歯が削れるような音が鳴ったが今はそんなことを気にしている余裕はない。ルカは純粋すぎる。そこがルカのいいところだと思っていたが……これがアルベルトなら決してそのようなことは言わなかっただろう。アレは女性の扱いにも長けていた。

 ジュリアのような強かな女性はこれからも現れるだろう。そういう意味では今回のことはいい勉強になったのかもしれない。聖女様とのことは残念だが……。


「相手が聖女様でなければそれもできたかもしれないが、おまえは聖女の契りを破ったのだ。もう諦めなさい。それよりも、許してもらう方法を考えるんだ。このままではおまえだけではなく、シッキターノ侯爵家が終わるぞ」


 言われて気付いたのかルカの顔色が悪くなる。

「わ、かりました。謝ってきます。許してもらえるまで。誠心誠意」

「許しを乞うだけだぞ。それ以上の高望みは絶対にするなよ」

「わかっています」


 頷くルカ。見つめ合う二人。ルカの真っすぐな目を、シッキターノ侯爵は信じることにした。



 ◇



「ロザンナ」

「はい。ステファニア様」

「この手紙……どう思う?」

「どう、とは?」


 差し出された手紙を恭しく受け取り、目を通す。そして、首を傾げた。


「ステファニア様を心配する内容が羅列されているように思いますが?」


 他に何か?と尋ねると、ステファニアはふるふると首を横に振った。その瞳は潤んでいる。


「やはり、そうよね」


 返してもらった手紙をぎゅっと抱きしめる。

 両親からの手紙、中身を見るのが怖かった。けれど、そこに書いてあったのはただただステファニアの心身を心配する内容。後のことは自分達がなんとかするから心配しなくてもいいという心強い言葉もあった。

 記憶の中の二人と変わらない反応が嬉しい。それに、還俗することへの不安も減った。婚約者はいなくなってしまったけれど、私には家族がいる。帰る場所がある。よかった。


「ステファニア様」

「なあに?」

「私はどこへでもついていきますよ」

「ありがとうね。ロザンナ」


 

 ◇



 後日、シッキターノ侯爵家の者が教会を訪れた。シッキターノ侯爵家の者は全員教会立ち入り禁止になっているはずなのだが……困っている様子のシモーナを見る限りそのことは承知の上で呼びにきたようだ。

「私が会うからシモーナは下がっていいわよ」

「いえ、私も後ろに控えておきます」

「そう……」


 いったいどんな用事でやってきたのか。まさかシモーナを脅したんじゃないでしょうね。と臨戦態勢で応接室に向かう。

 応接室で待っていたのは……


「アルベルト様? 帰ってきていたのですね」

「ああ。母上に頼まれてな。父上ならともかく母上からの頼みはどうも断りづらくて」

「昔からそうでしたものね」


 そうなのだと後頭部に手を当て苦笑するアルベルト。ステファニアはクスクスと笑い声をもらした。幼い頃の記憶だが、あの一家で一番強かったのは侯爵夫人だった気がする。それは今も変わっていないらしい。


「それにしても……随分見違えましたね」


 失礼だとは思いながらもアルベルトの頭からつま先まで視線を何度も往復させた。アルベルトは「だろう」と自信満々に胸を張る。侯爵似の男らしい顔はあまり変わっていないが、身体つきはまるで別人だ。元々体格はいい方だったが、さらに一回り大きくなっている。なんというか……見映えだけの筋肉ではなく戦える筋肉になったというか。侯爵夫人似の中性的な顔立ちのルカと並んだら兄弟には見えないかもしれない。


「でも、すごいタイミングだな。これが運命ってやつか?」

「運命、ですか?」

「ああ。元々、近いうちに一度帰ってくるつもりだったんだ。そのタイミングでこんなことがおきるとは……これも試練なのかもしれんな」


 一体誰の?とはあえて聞かなかった。相変わらず食えない人だ。


「いったい、なんのことを言っているのかはわかりませんが……今のところ許すつもりはありませんよ。そう簡単に許すわけにはいかないので」

「ああ、それでいい。ステファニアにも守るべきものがあるだろうからな。ただ、俺にも守りたいものがあるんだ。家を出た俺が言うのもなんだが……こういう時くらい兄貴らしいことしてやりたいからな。じゃあ、またくる。……元気そうでよかったよ」

「はい。それではまた。……私も安心しましたわ」


 アルベルトを門扉まで見送る。シモーナも一緒だ。アルベルトの姿が見えなくなり、ステファニアはそっと息を吐いた。その溜息をシモーナに聞かれたらしい。不安そうな顔で見上げてくる。


「ステファニア様。あの方が何か失礼を?」


 ステファニアは安心させるように微笑みかけ、首を横に振った。


「いいえ。ただ……挨拶にきただけよ。もし、また来るようなことがあったら今回のように私を呼んでちょうだい。他の方達にも伝えておいてくれる?」

「はい」


 シモーナはコクコクと頷き、踵を返していった。さて、私も戻ろう。足を動かそうとした時、聞こえてはならない声が聞こえてきた。


「なんで兄さんが?」

「……ルカ卿? そんなところで何を?」

「そんなことより、今のはどういうこと? 僕はここから先に入ることすら許してもらえないのに、どうして兄さんはいいの? 会っていたんだろう?」


 門扉から外を覗けば、ルカが立っていた。いったいいつからそこにいたのだろうか。とにかくアルベルトを見送ったのは見られてしまったらしい。

 

「ルカ卿が入れないのは契りを破ったからですよ」

「だからそれは、誤解があって、いや、違う。ひとまず聞いてほしいことがあるんだ」

「結構です。今の私にはあなたの話を聞く時間も必要もありませんから」

「なんでそんな言い方っ」

「今までは婚約者だったから特別な対応をしていただけです。聖女の仕事はそんなに暇ではないんですよ。それでは、私は仕事に戻るので」

「待って! ステファニア少しだけでいいから話を!」

ももう止めてください。聖女の名を呼び捨てにしていいのは将来を誓い合ったパートナーだけですよ」

「そんな、で、でも、じゃあなんで兄さんは。まさかっ」

「違います」


 面倒くさい勘違いをしないでほしい。


「あの方は……いえ、これは私の口からいうことではないですね。とにかく、もうここにはこないでください。無駄ですし、仕事の邪魔なので」

「ステファニア!」


 悲痛な叫びを無視して教会の中へと戻る。


「ステファニア様大丈夫ですか?!」

「ええ、大丈夫よ。ありがとうロザンナ。シモーナも」


 席を外していたロザンナが息を切らしながら駆け寄ってきた。ロザンナを呼んできてくれたであろうシモーナにもお礼を述べればホッとしたように微笑んだ。無口なのは相変わらずだが、以前に比べれば随分表情がわかりやすくなった。いい傾向だと頭を撫でる。嫌がる様子もなく、むしろ嬉しそうにシモーナは目を閉じた。普段はネコのようにすましているがこういう時は犬のようになる。可愛い子だ。

 ステファニアの任期が終わればおそらくシモーナが次の筆頭聖女になるだろう。その時まで、できるだけ一緒に過ごしてあげたい。だから余計なことなど考えている暇はないのだ。


 それからしばらく平和な日々が続いた。

 時折アルベルトが訪ねてくること以外は。まさかこんなに頻繁にくるとは思っていなかった。本当に軽い感じでくるので最初は警戒していたシモーナもすっかり慣れてしまっている。まあ、相手が相手ということもあるのだろうが。


 しかも、毎回どこかしら怪我をしているのだから無下にもできない。聞けば、隣国で鍛えた冒険者の腕を活かして自警団だけでは対処しきれない捕り物を手伝っているらしい。そのせいで傷が絶えないんだとか。そんな話を聞いてしまったら尚更だ。


 毎回、アルベルトは私を指名する。シモーナや他の聖女達は代わろうかと言ってくれているが断っている。シモーナはともかく他の聖女達は別の目的が透けているからだ。アルベルトへの反応は二つに分かれる。野蛮だと嫌悪感を滲ませるか、ワイルドでかっこいいとなるかの二択だ。どちらにしても聖女達には悪影響でしかない。


「なんだか荒れそうな……気をつけて帰ってくださいね」

 恒例になった見送り。空を見て呟く。

「ああ。まあ、大丈夫だろう。その時はその時だ。それも運命だと受け入れよう」

「アルベルト様って……そんなに運命論者でしたっけ?」

「そう見えるか? 俺は昔から何も変わっていないぞ。運命は運命だと受け入れて、その上で気にくわないのであれば別の運命を己の力で掴みにいくタイプだ」

「なる、ほど」


 実にアルベルトらしい答え。その答えが妙にステファニアの胸に響いた。

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