第41話 番外編:セスト・トリットの記憶
最初にツクモ・クライスのことを知った時は、正直いけ好かない奴だと思った。
だってそうだろう。普通なら初等学校卒業後に専門の塾や予備学校で数年勉強してようやく試験を突破できるというのが常識の魔導学院に、ストレートで入学してきた上誰もが目指す魔導士科を蹴って魔導技師科に入ろうとした三歳も年下の子ども。鼻につかないわけがない。
もちろん良くも悪くも――主に悪い方で入学直後から話題になり、同級生にも上級生にも囲まれているのを度々目撃した。
「生意気なんだよ、年下のくせに」
そう言って肩を小突かれると、小柄な身体は簡単によろけた。今思えば本当にしょうもない僻みだ。俺はビビりが故に助けることもできず遠巻きに眺めるばかりだったが、クライスは強かった。
「僕がここにいる時点で、年齢は関係ないだろ。文句なら合格させた教授に言え」
子どもならではの無鉄砲さもあったのだろう。とはいえ実際そのとおりなので言い返しようもない。
「僕のことなんか放っておいて、いい成績を取れるように頑張るほうが建設的だと思うけど」
「この……っ!」
年上と言ってもいじめる側も子どもなので、口で勝てないのなら次に出るのは手だ。
「【
拳を振り上げられても、目を瞑るどころか肩を震わせることもない。瞬きもせず相手を真っ直ぐに見据えた眼前で、冷静に展開された障壁が相手の攻撃を阻んだ。
硬い壁を殴ることになり、自業自得でダメージを喰らっただけのいじめっ子に対し、
「……」
クライスはそれ以上言葉を続けることもなく、はあ、と呆れた様子でため息をついてその場を去る。物陰から見ている俺に気付いても、手に持つ資料の百分の一も興味がなさそうに一瞥して通り過ぎた。いじめる人間もいじめを見ていて止めない人間も、彼にとっては等しくどうでもいい存在だったに違いない。
やがて、誰もクライスに関わらなくなった。いじめても無駄だとわかった多少は賢明な奴が半分、授業についていくのが精一杯でいじめる暇などなくなった奴が四割、残り一割は単純に成績不良、もしくはろくでもないことを企んでいる現場を教授に押さえられて素行不良で退学。
そんなクラスメイトの様子など気にも留めず、クライスは着実に力を伸ばし、首席の座を維持し続けていた。俺はずっと七位だった。初等学校でも魔導塾でもずっと一番で、自分は優秀な人間だと思っていたのに、学年の中だけでも上に六人もいるという事実にちょっと心が折れそうになった。
「なんでお前はそう不真面目なんだ」
「課題は真面目にやってるじゃないですか。忙しいんです」
「魔導技師科なんかと掛け持ちするからそんなことになる」
「僕もそう思います。一学科に絞るために魔導士科を辞めます。お世話になりました」
「待て、クライス! それは許さん!」
教授も授業中には口うるさくクライスに絡んでいたものの、才能があるのに単位を取るための最低限の動きしかしないのが癪だったのだと思う。
それでいて魔導技師科の授業に向かう時は大体小走りで、いつ見ても目を輝かせていた。魔導機械のことはよくわからなかったが、一年のうちからいくつか成果を上げているようで、『さすがクライスさんの孫』という後々その意味を知ることになる声が聞こえてきていた。
魔導士科の連中がクライスのことを認めざるをえなくなった決定的なできごとといえば、やはり一年の後半に行われた大規模魔法の試験だ。誰もが習ったとおり網状に均一に魔力を広げて無難に発動させる中で、クライスだけは違った。必要な部分に必要な量の魔力を集約させることを考えて空中に引かれた魔力の線は、網と呼ぶにはあまりにも美しかった。
あの現場にいたクラスメイトは、それから誰もクライスの陰口を言わなくなった。【
事なかれ主義を貫いていた俺もいよいよ興味を抑えきれなくなり、ある日思い切って話しかけてみることにした。
「クライス! 今日は何してるんだ?」
「……言ってもわからないと思うよ」
本人の言うとおり、ノートを覗き込んでも作業中の基板を見ても、何をしているのかよくわからなかった。
「すごいよなあ、俺なんて魔導士科の授業だけで精一杯なのにさ」
「僕も魔導技師科に専念したかった」
クライスは口数が多いほうではなかったが、言いたいことははっきりと言うし、時々話し出すまでに間がある。頭の中ではいろいろと考えていて、実際に口に出すのがそのうちの一割か二割くらい。そんな感じだった。
「無理矢理魔導士科に入れられたって噂、本当だったんだ」
「誰が広めたんだか」
「現役合格者だし、みんな気になるんだろ。魔法は誰に教わったんだ?」
「……兄さんに」
「そういえばお兄さんも卒業生なんだっけ。同じ名字を理事長室前に飾ってあるトロフィーで見たことがある。兄弟揃って優秀なんだな」
俺がちょっと勉強ができて、ちょっと魔導士になれそうな魔力量があるとわかっただけで大騒ぎだった我が家とは大違いだ。
「あんなとこ、見る奴いるんだ……」
クライスが俺の顔をきちんと見たのは、その時が最初で最後だった気がする。家族を褒められて少しだけ嬉しそうにしているのを見て、機械仕掛けと呼ばれる男の人間らしい部分がようやく垣間見えた。
卒業する頃には背も追い抜かれ、いよいよ俺がクライスに勝てるものは何もなくなった。いや、どれだけ素っ気なくされても話しかけにいく諦めの悪さだけは勝っていたかもしれない。
その後就職した役所で偶然にも兄のほうと知り合い、この兄にしてあの弟かと納得したのも久しい。
クライス主任から弟が軍を辞めたと聞いた時には驚いたが、久しぶりに会ったら更に背が伸びて体格もしっかりしていて、自分の店を持っていて、ついでにものすごい美人の彼女もいて――これは誤解だったけど――うだつが上がらない自分とはもはや比べるのも馬鹿らしくなるほどだった。
何より学生時代よりも穏やかな顔をしていて、なんとなく、あの魔導士科にも魔導技師科にも馴染めていない様子だったクライスが、やっと自分の居場所を見つけたのだと思った。
忘れられていたのは少し堪えたが、諦めが悪いのが俺の長所だ。今度こそ名前も覚えてもらえたことだし、これからもめげずに時々飲みに誘おうと思う。
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【書籍化進行中】クライス魔導雑貨店の二代目店主 毒島リコリス*書籍発売中 @ashita496
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