第10話

 イチイが死んだ。


今、それから何日たったかは分からない。


 ともかくイチイは死んだ。それだけは変わらない事実だった。


イチイが死んだ日の朝、起きてベットに誰も居ないことを確認した俺は、胸にたしかな激痛を感じた。


同時に涙を流す自分に気づき、驚いた。


自分の感情を止めることができない。


肩と腕を振るわせ、奥歯から「かちかち」と音を出し、うなりながら俺は泣いていた。


 生への諦めと、惨めな死を受け入れた俺にそのような感情が残っているとは知らなかった。


孤独に打ちのめされて、膝から崩れ落ちそうになる。


自分がイチイを必要としていたことを今さら理解して、地面が抜けたような感覚を得た。


 だから俺は嗚咽を押し殺し、不自然に方笑かたえみをし皮肉を漏らす。


「まさか……『奈落』の地面が……抜けるなんて……思いもしなかった」


そんな皮肉を言って、俺は激情を少しだけ振り切る……いや……「振り切ったような幻想をいだいた」。


ともかく「イチイが死んだ」という事実はあまりに重く、今の俺にとって納得できるような物では無かった。


 しかし、行動を止めるわけにはいかない。


なぜなら俺には、明日生きる金すら無いからだ。


こうしている間にも俺は確実に飢えていっていた。


飢えて死ぬワケには行かない。


それだけは、俺が望むことでは無かった。


 だから俺は感情を押しとどめ、激情に撃ち抜かれて藻屑にならないように耐えて、寝室を後にすることを選んだ。



 そして数日が経った。


そのあいだのはっきりとした記憶は無い。


なんども仕事中に「このまま死ぬんだ」と思ったし、願ったが……しかし今の俺にはそんな機会は訪れなかった。


 そして、イチイが死んで2週間が経ったある日、俺はやっと思い出す。記憶共有シェアメモリーのことを。


 俺にとって記憶共有シェアメモリーについての思い出はロクでも無い物であり、それこそがイチイの命を奪った遠因なんだが……


だがそれこそが、今の俺が「現実から逃げられる」唯一の手段なのかもしれないと思った。


 たしかに……記憶共有シェアメモリーにより、イチイにもう一度会えるかもしれない……という想いがあったのはウソじゃない。


あるいは俺は記憶共有シェアメモリーの「激情の渦」に、何かの答えを求めたのかもしれない。



そんなことをぼんやりとした頭で考えた俺は久しぶりに向かう事にした。


仕事終わりに。


この「奈落の街」の果ての……バーに。

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落日のピニャ・コラーダ えいとら @nagatora

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