第9話

 ブルーの映像に染まった波は、打ち寄せては引き、一定のリズムを奏でていた。


同じく人口のオレンジ色の夕日も、荒いドット柄を浮かべ、一定の周期でゆらめいている。


白いリクライニングチェアの横に置いたグラスが「からん」と鳴り、ピニャ・コラーダが注がれた氷が溶け始めたことを伝えた。


 彼女は甘い声でささやく。


「生きるのってさ?

本当にめんどうなことばっかで……本当にくだらないよね?」


 俺は思わず吹き出す。


「なんの話だよ」


 彼女が俺のほうを向く。

長い脚がくみかえられ、紫色の影の曲線を作る。


「笑ってるけどさ?

ちょっとはそういうこと……真面目に考えたこと無いの?」


 わざとらしく頬を膨らませた彼女の顔は美しく、やはり少女の面影があった。


「生きることについて考えたこと……か?

あることは、あるけれど……この街に来る前のことだったのかもしれない。

 とにかく遠い昔のはなしだ。そんなこと忘れたよ」


 ビビットに上書きされた波の音が続く。


「ざーざー」と絶え間なく続く。


その音は永遠に続くように思えて……事実、長くてもあと20年以内には死ぬであろう俺からすると、永遠と同義の音だった。


 呆れたような彼女の声がする。


「『そんなこと忘れたよ』って……まったく……あきれる。

私……頭悪い男って嫌いなの。自分を見てるみたいで虫唾が走るって言うか……。

 それと、意気地がない男も嫌い。

影でヒソヒソ誰かの悪口を言ってさ?女の子みたいに……」


 俺は、狂うほどに青いワイヤーフレームの波を眺めたまま言う。


「それは……俺のことを言っているのか?」


 笑ったような彼女の声が聞こえる。


「ふふ……。わかんない。

正確には……まだ知らない」


 俺は彼女の顔を見る。


 どこまでも黒い瞳は大きく、ブラックホールのように俺の視線を余すこと無く吸い込んだ。


「俺のことをまだ知らないって事なら……これから知りたいって思うのか?」


 彼女は俺から目線を少しだけ逸らし、淡く微笑む。


「それも、わかんない。

ふふ……でも……」


 ふたたび視線が交わる。そして彼女は続ける。


「でも……君のこと……嫌いじゃないかも?」


「……『嫌いじゃない』?」


 強い光で彼女のまつ毛の下に長い影ができた。


「そう。

私は君のことが嫌いじゃない。

強いて言うなら……顔かな?あと、雰囲気?

 悪くは無いかも」


「悪くは無い……か……」

 

 相手が自分のことをどう思っているか気になるなんて……普通のことじゃない。


今まで生きてきてそんな感情を持ったことがほとんど無かったので、はっきりと理解できる。


——今俺が感じているのが、恋愛という感情だと。


——今俺が彼女の肌を見て欲情している事実が、生きるために必要な「愛欲」という感情であると。


 しかし同時に俺は理解していた。その感情がいわゆる「袋小路」に囚われていることも。


 そして仮想的な黄昏の中で、彼女はゆっくりと立ち上がる。


白いビキニの谷間に紫の影がはっきりと落ち、なめらかな腹に紫色のグラデーションができる。


ビビットな仮想的なライトが彼女の脚を照らし、彼女の濃い肌色を、人工的なブルーの影で艶めかしく彩った。


 彼女のピンク色の薄い唇がゆっくりと開き、俺に告げる。


「逃げることなんてできないの……君も知っているでしょ?

だって君は私のこと、もっと知りたいんだし……私は君の『何か』が欲しいの。

 だからさ?一緒に感じようよ?」


 彼女は微笑む。

逆光の中のその笑顔は、穏やかだった。


 そして白いビキニの胸に手を当てて、彼女は続ける。


「私は空っぽ。でも……ここに全てがあるの。

もちろん、君と私のすべて」

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