第8話

 記憶共有シェアメモリーをするごとに私は空っぽになった。


自分がもともと空虚な人間だと自覚はあったけれど……それでも私の中にはまだ何かが残っていたらしい。


——泥の底に沈み込むような絶望と、海の底よりも深い快感。

——そしてそれを期待する高揚感。


ただそれだけを残して、記憶共有シェアメモリーは私から「人間性らしきもの」を奪った。


 口から取り出された採管は、今日も私の目の前にある。


採管さいかんは蝶の口吻こうふんのように螺旋を描いて宙に固定されていて、私の液体で黄土色の光をにぶく放っている。


 私はうつろにそれを眺めていた。


けだるい絶頂の余韻が尾を引いていた。


 そして脈絡なく、私は男の子との会話を思い出した。



「このまま失いつづけると、私はどうなるの?」


「帰ってこれなくなる」


「帰ってこれなくなるのは、分かるよ。

 ……でもその先は?」


「……そもそも、お姉ちゃんみたいに記憶共有シェアメモリーを繰り返してまだ歩けている人が珍しいけれど……でも次は、『いっぱいになる』らしいよ?」


「『いっぱいになる』……の?」


「そう。『いっぱいになる』。

お姉ちゃんの中の”からっぽ”が、記憶共有シェアメモリーで満たされていくんだ」


「それって、気持ち良いの?」


「しらない……。

でも記憶共有シェアメモリーは一人の人間では受け止められない程の密度があるから……。

 だから、最後は”破裂”しちゃうんじゃないかな?」


「そう……破裂しちゃうんだ」


「うん。たぶん。そう。

破裂しちゃう」



 そんなことも今なら少しづつ理解できるようになっていた。


私の喪失したゴミの様な記憶に取って変わり、記憶共有シェアメモリーのまがい物の記憶が美しく妖しく、私の頭の中に満ちていたからだ。



「もしできれば……もっと現実的な記憶を、生々しく体験できれば……」



 そんな想いが私の空っぽの頭の中に沸き起こってはいたけれど……しかしそれもシャボン玉のようにすぐに割れて消える。


 私は右手の人差し指で採管さいかんを撫でて、優しく引き寄せ、ふたたび自分の口にあてがっていた。


「破裂しちゃうのなら……それで良いわ。

だって私の体は確かに……今ここにあるんだから」


 したたる汗が額を伝って、私の鼻の横をながれ、口に入り、採管さいかんをさらに濡らした。

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