第7話

 昼の光に脱色された街は今日も変わらず陰鬱だった。


 「日常」を良い物とする考え方がこの世にはあるらしいが……しかしこの街にとっての「日常」は、すべてが朽ちていき荒廃していくだけのものだった。


もちろんそんな灰色と茶色の街の中にも、人間の姿はある。


側溝の中に座り込み独り言を続ける男、死んでねずみに食われる男、物乞いをする女。虚ろな表情で歩き続ける灰色の服を着た人間たち……。


 そして……そんな中を歩くイチイと俺も、やつらと何かが違うわけでも無い。


俺達もやはり無気力で怠惰で、そしてとりわけ刹那的だった。



 俺の前を歩くイチイは、今日もくたびれたグレイのつなぎを着ていた。


 前を向いて歩いたままイチイは俺に言う。


「……それであなた……わたしのはなし聞いてた?」


 転がるゴミを蹴飛ばしながら、俺は答える。


「街の入り口の方に行くなんて……この街に初めて来たとき以来か?」


 振り向いたイチイが言う。


「……やっぱり聞いてなかったのね?

……私の話」


「俺の意見は変わらないからな。

 明日の金さえ無いのに仕事を休んで、賃金を失って、酒を呑みに行くなんて……意味が分からない」


 イチイは少しだけ驚いたような顔をする。


「『仕事を休んで』って……。

あなたって意外とまじめなのね?」


「無駄なことをしたくないだけだ」


 イチイは鼻で笑う。


「あなたも私も明日死ぬかもしれないのに?」


「それとこれとは関係ないだろ?」


「そうかしら?」



 そうして下層階の果てまで歩いた俺たちの前に、ゴミの山が見えて来た。


ビニール袋の生ゴミにハエがたかり、腐った茶色の得体のしれない液体が道に流れる。


 イチイが呟く。


「ほんとう……この場所、最悪……」


 イチイがこの場所を「最悪」と表現したのは、生ゴミの所為じゃ無い。ゴミの山の隙間から見える荒屋あばらやが燃えていたからだ。


 ゴミの腐臭に、動物が焼けるような匂いが混ざる。


 さすがに俺も顔をしかめた。


「上層階のやつらかもな……」


 手で鼻と口を覆ったイチイも言う。


「あの火事が?」


「ああ。

ここらへんは“腰抜け”のやつが多いから……。

 日ごろの鬱憤を晴らすために、燃やしにくるやつが居るらしいぜ?」


「わざわざ上層階から?」


 よく見ると燃える荒屋の下に、人の形の炭があった。おそらく逃げられなかった「腰抜け」が燃えて死んだんだろう。


 イチイもそれに気付き、顔をさらにしかめる。


そしてイチイは、同じ言葉をもう一度吐いた。


「ほんとうに……最悪……」


 火事から登る黒い煙を目で追いながら俺は言う。


「いずれ……俺たちもああなるさ」


 断固とした口調でイチイは言う。


「絶対いや」


「そうか?」


「嫌に決まってるでしょ。当たり前じゃない?」


「でも、しかたないだろ?」


「仕方なくなんて無いわ。

“あんな”のになるのなら……私は今のまま死にたい」


「今のまま?」


「今のまま……

若くて綺麗なまま、死にたい」


「そうか?」


「そうよ」



 しばらく歩いた俺たちは、不快なゴミだめを抜けた。


同時に俺たちの目的地とするバーが、目の前に現れた。


そのバーは、街を覆う高さ200mを越す「鉄壁てつへき」に、しがみつく様に建て付けられていた。


街の中で唯一錆びる事が無い「鉄壁」は、青く光るほどに黒い。

その「鉄壁」に打ち付けられた高さ15mのボロボロに錆びた塔のような建物が、イチイの言う「バー」だった。


 そのみすぼらしくも異質な塔のような建物を見ながら、俺は言う。


「これがバー?

 ……そんな風には見えないんだが?」


「私もそう思うけど、間違いはないわ。

 と言うより……『間違えようが無い』って言うのが正解かも」


 よく見るとバーの頂上からは、無数の配管が伸びて黒い壁に繋がっている。


天に昇るように伸びる配管は無秩序に絡まり合っていて、何かの動物の内臓のようだった。


 それを見ながら俺は、呟く。


「旧文明の時代は……この建物も、何か別の目的の物だったんだろうな……」


 イチイは同意する。


「そうね」


「まあ……この街自体が、人が住むための物じゃなかったらしいが……」


「そうね」


「……聞いているのか?俺の話?」


 と俺が言って横を向くと、イチイの表情の虚ろさが増していた気がした。


 しかし俺の視線に気づいたイチイは、微笑む。


 どことなく熱っぽい声で、俺に言う。


「それじゃあ……行きましょう?

 このバーで、記憶共有シェアメモリーをするために」


 乾燥した空気のなか、日差しに浮かぶイチイの髪の先が、骨のような白さで透けて見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る