3-2
*****
戦地から手紙が届くのはある種の
さらに言えば、手紙を持った
そこから実際の受取人の手元に届くまで順番待ちとなり、ようやく届いた頃にはかなりの時間が
つまり、そのときにはもう差出人は生きていないかもしれないのだ。
【俺は、生きて帰っても良いのか?】
バーナードから手紙が届いたとき、チェリーはまだ彼が生きていることを知り、深く
(良かったぁ……! 手紙が書けるくらい、
たとえ一度も会ったことがないとはいえ、彼はチェリーの「夫」なのである。
手紙をもらって以降、その存在を意識し、身近に感じるようになっていた。
朝に目を覚まして窓を開けたときや、仕事の合間にほっと一息をついて庭で
顔も性格も知らないからこそ、心の中でこっそり話しかける相手としては都合が良かったのかもしれない。
――最近は毎日、りんごの木にはしごを立てかけ、色づいたりんごをとにかく
――キッチン近くの小部屋を改造して、つがいの
――街で小間物屋をしていた私の知り合いは、売るものがなくなって店を閉めていたのに、泥棒に入られてすごく
――鶏は、その農家の方から頂いてきました。お庭の畑で作ったたくさんのお野菜と
――私の姉はとても歌がうまくて、私も子どもの頃はずいぶん
想像の中の「夫」は、いつだってもやもやとした
その現実感のない彼から、不意に届いた一通の手紙。
自分
返事を書かなければと思いながら見つめ続けた五日目、
(バーナードさん、この結婚が遺族年金目当てだと、気づいたのかもしれない)
生きて帰って良いかと
「さすが、頭が良いんですね」
バーナードは、戦地へ
(そういう性格のひとなら……、自分が死んだ方が良いと思い込んだら、生きるか死ぬかの場面で死を選んでしまうかも……!)
窓辺でうずくまっていたチェリーは、かぶっていた毛布をはねのけて、立ち上がった。
「死ななくていいって、言わないと! 返事を出さなきゃ!」
全面勝利というよりは、痛み分けで少しばかり有利な条約を結べる見通しが立った程度とのことだが、未来には一筋の光が差している。それでも、不景気はしばらくの間、続くだろう。国の財源もどうなっているかわからないし、遺族年金があてにしているほど入るとは限らないというのも、いまや
「バーナードさんは、生きて帰って来てくれないと。バーナードさんがいてくれたら、ノエルを無理に貴族の
ふわっと頭に
家事
特にヘンリエットは、日常的に接するようになっても
ノエルに本を読んだり、ナイフやフォークの使い方を教示する姿など、実に真剣だ。
次期当主として恥ずかしくないように、という心づもりにしても、子ども相手に
最近など、ノエルの姿が見えないと探していたら、
窓からの夕陽を受けて、ノエルを
(奥様もキャロライナさんも、バーナードさんがお帰りになって、ノエルが当主にはならなかったとしても、
バーナードにも、
もし新しい妻にノエルが
いので、「若奥様」でなくとも使用人としてこのまま置いてくれたら願ったり
バーナードが
「みんな、バーナードさんのお帰りを待ってますよ。お屋敷もここにきちんとあります」
戦地から帰ってきたら、この家にあるありったけの食材で、何か美味しいものを作ってあげたい。チェリーは離婚前提の妻だが、そのくらいはしてもいいはずだ。
【あなたの望む通り、離婚には応じますので、生きて帰ってきてください】
帰ってきてからのことはすべて、バーナードの望む通りで良い。自分は当然、離婚する。
それをいざ文章にしようとすると大変難しく、またもやたった一文だけの手紙になった。
(好きな食べ物を聞こうって、思っていたのに)
手紙を出した後に書きそびれたことに気づいて、
そこでチェリーはめげずに、ヘンリエットとキャロライナに彼の好物を確認した。
二人は口を
それならば、チェリーにも作れる。戦場で口にできたかも、わからない。
バーナードが帰ってきたらたくさん作ってあげよう、と思った。
*****
戦争が今日終わるらしい、という噂が前線基地にも流れて変に間延びした空気になっていたある日、その手紙はバーナードの元へ届いた。
「お、愛妻からの手紙か?」
青空の下で便箋を広げていたら、コンラッドがバーナードの手元をのぞきこんで冷やかしてくる。二人ともどうにかこうにか生き延びてはいたが、周りの顔ぶれはずいぶんかわり、目減りしていた。
バーナードはいつも通り「訳あり妻を愛したつもりはないが?」と軽口で返そうとしたが、どうしてもうまくいかない。深い
コンラッドに重ねて尋ねられ、バーナードは指の間から溜息をこぼした。
「感傷的になっているみたいだ。俺は戦争に来る前にこのひとと結婚し、子どもに
「どういう
笑いながら茶化したコンラッドだが、からかいきれずに
バーナードが、ひどく真剣な表情で話し始めたからだ。
「愛する者を守るために、ここから逃げ出さなかった。戦場にいるのは、俺や部隊の連中が馬鹿でお
それはいつかの日に、コンラッドと語り合ったことであった。
ああ、と
「その通りだ。逃げずに
殺しが
戦い続けた先に、守ったはずの相手からも
青すぎる空を見上げていたら、いつしか目からは
泣きながら、呟いた。
「帰ったら離婚だ……。せっかく生き延びたのに」
「は?」
コンラッドはバーナードの手から手紙を受け取り、「離婚?」と首を傾げながら短い一文に視線をすべらせる。しばし無言で考え込んでから、ぼそりと言った。
「お前さ、彼女からもらった最初の手紙を、後生大事に持っていたよな」
「他に読むものもないし、時間をつぶす物もないし、何度か読んだ。というか、毎日読んでいた。何を考えてこんなそっけない文章書いたんだ、どんな女だよって思いながら」
「それさ、もう愛だよな」
「それなのに、俺は離婚される……。彼女の中ではどうでもいい存在だったんだ」
「会ったこともないからだろ? 会えばうまくいくかもしれないぜ?」
ぱちっと
(実際に会う? 「妻」のチェリーさんと?)
バーナードが考えるに、童顔の自分よりも、いま目の前にいる男、苦み走った美形のコンラッドの方がはるかに見目が良い。顔も知らない夫が帰ってくるなら、絶対にコンラッドの方が
「チェリーさんを
「頼まれねえよ。俺は故郷に
ちが
う」
「俺の場合は妻だが?」
「なんでいまマウントとった? おう、やんのか?」
そんなに言うなら男前にしてやる、とコンラッドが泥を
よせよと言ってじゃれあっているうちに
戦争が終わっていた。
*****
前線にいた部隊だけに、すぐに解散とはいかなかった。上層部への各種報告や戦後の身の振り方の話し合いで、時間がかかった。
バーナードとコンラッドの両名には、軍への引き続きの協力要請があった。しかし、二人とも日常生活への帰還を望み、
「じゃあ、また落ち着いたら連絡するわ。アストンの名前は覚えておくから。元気でな」
ここからは道が分かれるという駅にて、二人はあっさりと別れた。
背を向けて、肩の上まで片手を上げたコンラッドの後ろ姿を見送り、バーナードも「さて、帰るか」と少ない荷物を手にする。
(あれ? コンラッドの故郷は、結局どこなんだ?)
あれほど一緒にいたのに、彼の
故郷へ向かう鉄道に乗り込んでから、気づいた。どれだけ過酷な
恋人がいるのも、最後に初めて知ったくらいだ。
「まあいいか。あいつは将校として、あれだけ名を挙げたんだ。軍を離れても、
彼との再会を疑う気持ちは、
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