3-2



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 戦地から手紙が届くのはある種のせきでもあって、まず、手紙を書くひとが生きていなければならない。

 さらに言えば、手紙を持ったえん部隊が無事に後方まで届けてくれる必要がある。

 そこから実際の受取人の手元に届くまで順番待ちとなり、ようやく届いた頃にはかなりの時間がっていることもある。

 つまり、そのときにはもう差出人は生きていないかもしれないのだ。


【俺は、生きて帰っても良いのか?】


 バーナードから手紙が届いたとき、チェリーはまだ彼が生きていることを知り、深くあんした。


(良かったぁ……! 手紙が書けるくらい、じょうきょうは悪くないんですね!)


 たとえ一度も会ったことがないとはいえ、彼はチェリーの「夫」なのである。

 手紙をもらって以降、その存在を意識し、身近に感じるようになっていた。

 朝に目を覚まして窓を開けたときや、仕事の合間にほっと一息をついて庭でんだハーブでいれたお茶を飲んでいるときに、彼について考えることが習慣になりつつあった。

 顔も性格も知らないからこそ、心の中でこっそり話しかける相手としては都合が良かったのかもしれない。

 ――最近は毎日、りんごの木にはしごを立てかけ、色づいたりんごをとにかくかごに詰め込んでしゅうかくして、地下へ運びこんでいます。春から秋にかけて作っていた野菜も、しもが降りる前になんとか収穫できました。じゃがいもやにんじん、たまねぎやかぼちゃが、たくさんあります。バーナードさんは、ちゃんとご飯を食べていますか?

 ――キッチン近くの小部屋を改造して、つがいのにわとりを飼い始めました。雪が降るとお外は寒くなりますし、毎朝鶏が鳴くとどろぼうに目をつけられてしまうから、おしきの中で飼っています。結構わいいですよ? バーナードさんは、鶏はお好きですか?

 ――街で小間物屋をしていた私の知り合いは、売るものがなくなって店を閉めていたのに、泥棒に入られてすごくこわい思いをしたそうです。それ以来、家には戻らず知り合いの農家の方の家へ、身を寄せているんです。何かと物騒ですがバーナードさんが戻るまで、当主夫人として防犯対策をがんりますね!

 ――鶏は、その農家の方から頂いてきました。お庭の畑で作ったたくさんのお野菜とこうかんでしたけど、よく卵を生む鶏なんです。料理のはばがぐっと広がりました。バーナードさんが帰ってきたら、美味おいしいものを作って差し上げますよ。

 ――私の姉はとても歌がうまくて、私も子どもの頃はずいぶんいっしょに歌っていたんです。最近は、ひとりで鼻歌を歌うだけですが、いつかバーナードさんにも、聞いて頂けたら。

 想像の中の「夫」は、いつだってもやもやとしたかげのようなもので、チェリーのそばでだまって話を聞いてくれる。しかし、夢中で語りかけてから、少しだけ冷静になって、彼はここにはいないのだと思い出すのだ。

 その現実感のない彼から、不意に届いた一通の手紙。

 ちょうめんそうなれいな字で、書かれていたのは、またもやたったの一行。

 自分あてのその手紙を、チェリーは自室の引き出しにしまい込んだ。以前受け取った手紙とともに、夜る前に取り出しては、月や星の明かりをたよりに窓辺でながめていた。

 返事を書かなければと思いながら見つめ続けた五日目、とつぜんひらめいた。


(バーナードさん、この結婚が遺族年金目当てだと、気づいたのかもしれない)


 生きて帰って良いかとたずねてくるということは「自分は、生きているよりも死んだ方が価値があるのでは」と考えているという意味なのではないだろうか。


「さすが、頭が良いんですね」


 バーナードは、戦地へおもむく前は大学で医療を学んでいたと、キャロライナから聞いていた。幼い頃からキャロライナの体が弱いのを、気にしていたのだという。

 やさしくて、りょぶかい性格よ、とキャロライナはその人物像を語っていた。


(そういう性格のひとなら……、自分が死んだ方が良いと思い込んだら、生きるか死ぬかの場面で死を選んでしまうかも……!)


 窓辺でうずくまっていたチェリーは、かぶっていた毛布をはねのけて、立ち上がった。


「死ななくていいって、言わないと! 返事を出さなきゃ!」


 ちまたでは、戦争が勝利で幕を閉じるだろうといううわさが流れ始めていた。

 全面勝利というよりは、痛み分けで少しばかり有利な条約を結べる見通しが立った程度とのことだが、未来には一筋の光が差している。それでも、不景気はしばらくの間、続くだろう。国の財源もどうなっているかわからないし、遺族年金があてにしているほど入るとは限らないというのも、いまやみなが口にしている。


「バーナードさんは、生きて帰って来てくれないと。バーナードさんがいてくれたら、ノエルを無理に貴族のあとぎに仕立て上げなくったって良いんだから。それに私も、会ってみたい……あっ」

 

 ふわっと頭にかんで口をついて出てしまった言葉を「いまのは無し! 私のことはいいの!」と打ち消してから、チェリーはうろうろと部屋の中を歩き回った。

 家事ぜんぱんを引き受けていて、冬たくいそがしいチェリーに代わって、いまはヘンリエットとキャロライナが、つきっきりでノエルのめんどうをみてくれている。

 特にヘンリエットは、日常的に接するようになってもかたくるしさはぬぐえないのだが、いかめしいふんながらもずいぶんと子ども好きなのだった。

 ノエルに本を読んだり、ナイフやフォークの使い方を教示する姿など、実に真剣だ。

 次期当主として恥ずかしくないように、という心づもりにしても、子ども相手にあきらめずに指導を続けるねばづよさには、「好きじゃないとできない」と感心してしまう。

 最近など、ノエルの姿が見えないと探していたら、り子に座ったヘンリエットがきかかえていたこともあった。

 窓からの夕陽を受けて、ノエルをひざにのせたまま「今寝たところなので、お静かに」と真面目くさった顔で言ってきたのだ。


(奥様もキャロライナさんも、バーナードさんがお帰りになって、ノエルが当主にはならなかったとしても、しんせきの子として悪いようにはしないはず。私は……)

 バーナードにも、おもえがく未来や女性の好みの問題もあるだろう。チェリーは、彼が帰ってきたら、こんに応じて屋敷を出るつもりでいた。

 もし新しい妻にノエルがじゃにされて、その居場所がなくなるのなら、チェリーが引き取る。そのときのために、すぐにけつけられるきょに住んでいたい。 係が良好なままでいられるのなら、屋敷のそうと家庭菜園の世話を仕事として続けた


いので、「若奥様」でなくとも使用人としてこのまま置いてくれたら願ったりかなったりだ。

 バーナードがさいこんしても、もとから自分と彼は書類上のふうなので、新しい妻との間でなぞの三角関係なども、生まれないはずなのだから。


「みんな、バーナードさんのお帰りを待ってますよ。お屋敷もここにきちんとあります」


 戦地から帰ってきたら、この家にあるありったけの食材で、何か美味しいものを作ってあげたい。チェリーは離婚前提の妻だが、そのくらいはしてもいいはずだ。

【あなたの望む通り、離婚には応じますので、生きて帰ってきてください】

 帰ってきてからのことはすべて、バーナードの望む通りで良い。自分は当然、離婚する。

 それをいざ文章にしようとすると大変難しく、またもやたった一文だけの手紙になった。


(好きな食べ物を聞こうって、思っていたのに)


 手紙を出した後に書きそびれたことに気づいて、こうかいした。

 そこでチェリーはめげずに、ヘンリエットとキャロライナに彼の好物を確認した。

 二人は口をそろえて「ミンスパイ」と言った。

 それならば、チェリーにも作れる。戦場で口にできたかも、わからない。

 バーナードが帰ってきたらたくさん作ってあげよう、と思った。



*****



 戦争が今日終わるらしい、という噂が前線基地にも流れて変に間延びした空気になっていたある日、その手紙はバーナードの元へ届いた。


「お、愛妻からの手紙か?」


 青空の下で便箋を広げていたら、コンラッドがバーナードの手元をのぞきこんで冷やかしてくる。二人ともどうにかこうにか生き延びてはいたが、周りの顔ぶれはずいぶんかわり、目減りしていた。

 バーナードはいつも通り「訳あり妻を愛したつもりはないが?」と軽口で返そうとしたが、どうしてもうまくいかない。深いためいきをつき、すす汚れで真っ黒の手で顔を覆った。「どうした?」

 コンラッドに重ねて尋ねられ、バーナードは指の間から溜息をこぼした。


「感傷的になっているみたいだ。俺は戦争に来る前にこのひとと結婚し、子どもにめぐまれ、その二人の元に帰るために今まで必死に生きてきたような気がする」

「どういうもうそうだよ。会ったこともない相手だろ……」


 笑いながら茶化したコンラッドだが、からかいきれずにちゅうで口をつぐむ。

 バーナードが、ひどく真剣な表情で話し始めたからだ。


「愛する者を守るために、ここから逃げ出さなかった。戦場にいるのは、俺や部隊の連中が馬鹿でおひとしで考えなしだからじゃない。敵も味方も、街からはなれた戦地を選んで、自分たちの背後にいる者を守るために戦い続けてきた。敗北とそれによる蹂躙を受け入れ、愛する者たちをごくに放り込むわけにはいかないから」


 それはいつかの日に、コンラッドと語り合ったことであった。

 ああ、とくちはしり上げて笑い、コンラッドはバーナードの横の草地にこしを下ろした。


「その通りだ。逃げずにみとどまった兵がいたから、国土を戦火にさらすことなく、戦後を迎えられそうなところまできてる。帰還兵にとっては、生きにくい世の中だろうが」


 へいしきった兵たちを迎えるのは、同じくつかれた国民と、安全な場所で戦争をやり過ごしたあげく、血走った目でこわだかに戦争責任を問う批判者たちだ。

 殺しががらと言われる時代は、この戦争が始まるよりもとうの昔に、終わっている。

 戦い続けた先に、守ったはずの相手からもきょをされて、帰還兵たちの居場所はどこにもないのかもしれない。それでも、バーナードに対して、死ななくて良いと「妻」が手紙をくれたから、それを頼りに生きてきたのだ。

 青すぎる空を見上げていたら、いつしか目からはなみだがこぼれていた。

 泣きながら、呟いた。


「帰ったら離婚だ……。せっかく生き延びたのに」

「は?」


 コンラッドはバーナードの手から手紙を受け取り、「離婚?」と首を傾げながら短い一文に視線をすべらせる。しばし無言で考え込んでから、ぼそりと言った。


「お前さ、彼女からもらった最初の手紙を、後生大事に持っていたよな」

「他に読むものもないし、時間をつぶす物もないし、何度か読んだ。というか、毎日読んでいた。何を考えてこんなそっけない文章書いたんだ、どんな女だよって思いながら」

「それさ、もう愛だよな」

「それなのに、俺は離婚される……。彼女の中ではどうでもいい存在だったんだ」

「会ったこともないからだろ? 会えばうまくいくかもしれないぜ?」


 ぱちっとあいよく片目をつぶって言われて、バーナードはきょとんとしてしまった。


(実際に会う? 「妻」のチェリーさんと?)


 バーナードが考えるに、童顔の自分よりも、いま目の前にいる男、苦み走った美形のコンラッドの方がはるかに見目が良い。顔も知らない夫が帰ってくるなら、絶対にコンラッドの方がうれしいはずだという考えがのうをかすめ、思い余って言ってしまった。


「チェリーさんをたのんだ」

「頼まれねえよ。俺は故郷にこいびと残してきてんだ、お前とは違

ちが

う」

「俺の場合は妻だが?」

「なんでいまマウントとった? おう、やんのか?」


 そんなに言うなら男前にしてやる、とコンラッドが泥をつかんでバーナードの顔にった。

 よせよと言ってじゃれあっているうちにけんになり、腹の底からたがいにさんざんわめき合っていたところで、「本国から、れんらくがありましたよー」と声をかけられた。

 戦争が終わっていた。



*****



 前線にいた部隊だけに、すぐに解散とはいかなかった。上層部への各種報告や戦後の身の振り方の話し合いで、時間がかかった。

 バーナードとコンラッドの両名には、軍への引き続きの協力要請があった。しかし、二人とも日常生活への帰還を望み、りゅうをからくも振り切った。


「じゃあ、また落ち着いたら連絡するわ。アストンの名前は覚えておくから。元気でな」


 ここからは道が分かれるという駅にて、二人はあっさりと別れた。

 背を向けて、肩の上まで片手を上げたコンラッドの後ろ姿を見送り、バーナードも「さて、帰るか」と少ない荷物を手にする。


(あれ? コンラッドの故郷は、結局どこなんだ?)


 あれほど一緒にいたのに、彼のじょうについては伯爵家の三男で、出身は貴族階級ということ以外、最後まではっきりとわからずじまいだった。

 故郷へ向かう鉄道に乗り込んでから、気づいた。どれだけ過酷なかんきょうにあっても「自分が死んだら恋人に言伝てを頼む」とか、そういった弱音をかない男だった。

 恋人がいるのも、最後に初めて知ったくらいだ。


「まあいいか。あいつは将校として、あれだけ名を挙げたんだ。軍を離れても、じょしゃくしょうしゃくか、いずれどこかで名前を聞くだろう」


 彼との再会を疑う気持ちは、いっさいなかった。

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