第三章 手紙

3-1


 夏が過ぎたころ、上層部から何度目かの「将校にしょうきゅうを」というようせいがあった。

 理由は単純で、バーナードが貴族階級の出身だからだ。

 兵士には貴族も平民もいるが、メイスフィールドは伝統的に貴族制をしてきた国であり、指揮官は貴族が望ましいと考えられている。

 その方が、下の者も心理的に従いやすく、精神的な安定が得られる、と。


(貴族とは、決して横暴な支配者を意味しない。上に立つ者として、自己せいいとわぬ「高貴なる者の責務ノブレス・オブリージュ」を負うのだと、幼少時から厳しく教育されている。平民のいっぱん兵を使いつぶすくらいなら、自分がたてになって死ぬくらいのがいの者も多い。実際に、それでかなり死んでいる……。もう後がないくらいに)

 事情は痛いほどわかるのだが、戦場においてりょう者として走り回っているバーナードは、どうしてもゆずれない思いがあって、そのしんを断るのだった。


「指揮官になると、りょうける時間が減ってしまいます」


 そのやりとりを見ていたコンラッドが、となりから口を出してきた。

 自分も貴族のはしくれですが、その役目は俺でもだいじょうですか?|と。



*****



「さっきの件、ありがとう。今度は断りきれないと思っていたから、本当に助かった」


 コンラッドにかばわれた形になったバーナードは、食事で顔を合わせたときに、ていねいに礼を述べた。

 かたいパンにかじりついていたコンラッドは、軽い調子でうそぶく。


「その代わり、隊の再編制があっても、バーナード・アストンは常にうちの隊だとゴリ押ししておいた。俺にとっては役得だよ。お前がいると隊員の生存率、ひいては作戦の成功率が上がる」

「上がっても、たかが知れている。ここでは毎日あっさりと、あまりにも多くのひとが死ぬ」

「そう言うお前は、この部隊の中では一番最後まで生きて戦場にいるぜ。けてもいい」


 バーナードはかたまゆげて「俺が?」と聞き返す。

 コンラッドは、にやにやとしながら「お前は絶対にげないし、死なない」と言って、パンを飲み込んでからすずのカップに入ったうすい紅茶を飲み干し、視線を遠くに投げた。


「死ぬのがわかっていても、逃げ出す者は多くないんだけどな。その中にあって、逃げ出して生き延びたやつは、逃げたことを正当化するために、戦後はデマをふいちょうするだろう」

「デマって、どういうことだ?」

「それこそ、自分が有利になるような、ありとあらゆることだ。なにしろ国を守ってたたかいた兵士たちは、たとえ『おろかな兵士たちは、自分の頭で考えることもせず、命令に従ってにするまで戦い続けた。その愚かな兵士たちこそが、戦争の終わりをおくらせた無能集団だ』と言われても、決して反論しない。すでに死んでいるから」


 それが、戦後に俺達が目にする光景だろうさ、とコンラッドは冷ややかに言い終えて を閉ざした。

 バーナードは、無言のまま空いた左側の席を見た。


(昨日までそこにいたひとが、今日はいない。いなくなるその理由はあっとうてきに、死だ。いつも死は身近で、隣にある。……俺は戦後をむかえられるのか?)

 右側の席に視線をもどし、そこにコンラッドがいることに、ほっとする。

  ほこりにまみれ、どろよごれていても造作の良さが知れる横顔に向かって、声をかけた。

 「逃げた奴の言うことが正史になるというのは、どうなんだろうな。とうぼうは重罪である|以上に、不ふめいだ。メイスフィールドの国民は、めいを何より重んじる。おのれの心にじるきょうな行いをかかえて、何食わぬ顔で生きていくことなんて、できるだろうか」

 コンラッドは、ちらっとバーナードに視線を流し「逃げるような奴には、それができるんだろうな」と答えた。

「『戦後』という未来を引き寄せるのは、いまここにいる兵たちだ。だが、たとえ生き残って帰っても、世界は戦場に立つ前と大きく変わっている。戦場で経験したすべてのことがその後の人生にのしかかってきて、口が重くなる。手を汚さぬまま逃げた奴は、ここぞとばかりにかん兵をぶったたくぞ。戦争の責任はお前たちにある! と、実にじょうぜつに」 じわりと、いやな感覚が胸の中に広がっていく。≫

 バーナードは、ジャケットの胸ポケットの上から心臓を手で押さえた。

 そこに、みょうな手応えがあった。

 なんだ? と数秒考える。その横で、コンラッドが話し続ける。

「その現実がわかっていても、俺たちはここに留まる。大切なものがじゅうりんされるのを見たくない、その一心で。『守りたい』という感情は、本当に強い。何よりもおそろしいはずの、死と殺しを現実として受け入れるほどに」

 耳をかたむけながら、ポケットをさぐる。出てきたのは、ふうとう

(なんだこれ。いつからここに入っていたんだ?)


 思い起こせば、作戦前に受け取ったようなおくもあるが、中を見た覚えはない。

 差出人をかくにんして、首をかしげる。

 チェリーより、とある。すぐには、だれか思い当たらない。

 考えていてもわからないので、中の便びんせんを取り出した


【あなたが死ななければ良いだけでは?】


 目に飛び込んできた文字列に、息が止まる。なんだこれは、と。

 決して、うまくない字だ。情報も、全然足りない。


(これは本当に、おれあての手紙なんだろうか?)

 もう一度封筒を確認したところで、バーナードは自分でもびっくりするくらい、大きな声が出た。


「あっ! わかった!」

「なんだよ?」


 コンラッドが、話を止めて|訝いぶかし》げな視線を向けてくる。


「このひと、俺の奥さんだ。奥さんから返事がきた!」


 身を乗り出して「奥さん?」と手元をのぞきこんだコンラッドもまた、次のしゅんかん「あ!」と声を上げた。


「訳あり妻だ!」

「そう! 『チェリーさんは元気です』の、チェリーさん!」


 とつじょとして盛り上がるバーナードとコンラッドを、他の隊員が遠巻きに見ている。その視線を感じて、二人は同時に口を閉ざしてから、少しだけ声量をひかえて会話を続けた。


「こう、思い切りのい手紙だな。つまりその……がなくて、勢いがある」


 コンラッドにしてはめずらしく、歯切れの悪い口調だった。

 その気持ちも、わかる。たった一行では、感想を言うのも難しいだろう。

 バーナードは便箋を見つめた。

 書き慣れていないのか、子どものような字だ。

 もしかしたら、チェリーという訳あり妻は、けっこんねんれいすれすれの子どもなのかもしれない。バーナードの母ヘンリエットは、いつも気難しい顔をしている女性だが、そのとっつきにくい見た目に反して、大の子ども好きなのである。

 どこかで訳ありの子どもを拾ってきて、家族に迎え入れた可能性も出てきた。


「返事を、書くんだよな?」


 コンラッドが、探るように聞いてくる。バーナードは便箋をたたんで封筒に戻すと「書くことが何もない」と言い返した。


「『死なないで』って言われてるんだから『俺は死なないよ』って返せばいいじゃないか」

「果たせない約束を書くのは、フェアじゃない」

「バーナード、わかっていないな。果たしたい約束があるからこそ、生きようと思うんだよ。『君を残して死ねない』って気持ちは、この先、お前の支えになるさ。必ず」


 混ぜっ返そうにも、コンラッドの表情がしんけんであったために、バーナードは口をつぐんだ。


(まるで自分には、そういう相手がいそうなことを言う。俺にとって、チェリーさんは会ったこともない相手だぞ。思い入れなんて、何もない……)


 なぜ自分と、見ず知らずのチェリーなる女性が結婚したのか。

 前回の母親からの手紙の意味をよくよく考えた結果、母親と妹が遺族年金をあてこんだな、と思い至っていたのだ。この場合、家族の益になるのはバーナードの「戦死」であって「せいかん」ではない。


「俺は、生きて帰っても、良いんだろうか……」


 思わずれたつぶやきは、コンラッドに鼻で笑われた。


「良いに決まってるだろ。そんなわかりやすい手紙も、なかなかないぞ。訳あり妻のチェリーさんは、決してお前の死を望んでいない。さっさと返事を書いてやれよ」


 力強く言われて、バーナードはひねくれた考えを、少しだけ反省する。


(コンラッドはこういうとき、いつも的を射たことを言う。情に厚くて、どうさつが深いから、言葉に重みがある。信じたくなる。本当に、指揮官向きなんだよな)


 だんしゃに構えたところがあるが、いざというときにひとを安心させたり、しんらいさせることが得意な男なのだ。仲間思いで、たれてふらつく自軍の兵士におおいかぶさってじゅうげきを防いだり、足をした兵士を見つけて抱えて帰ってきたこともある。

 バーナード自身、コンラッドには何度も死地を救われてきた。感謝というだけでは足りない恩があるとともに、いつか自分より先に彼が死ぬのではないか、とハラハラする気持ちにもなる。どこか危なっかしくて、見ていられないところがあるのだ。


「……わかった。俺はチェリーさんに返事を書く。コンラッドはどうする?」

「俺? 俺には手紙なんて来てないぞ?」


 いきなり水を向けられたコンラッドは、おおぎょうおどろいたりでかたをすくめる。

 しかしバーナードは、コンラッドの視線が不自然に泳いだのをのがさなかった。


「書きたい相手はいるだろ。そうじゃなきゃ、とっさにあんな言葉は出てこない。『君を残して死ねない』だなんて。そのひとのことを『守りたい』からコンラッドは戦場に留まっていて、戦後の世界をそのひとと見るために、生き残るつもりでいる。そういう相手がいるなら、お前がまず書けよ。俺に書かせている場合じゃない」


 手紙を書きたいのは、コンラッドの方だろう、と。

 のがれを許さぬ態度でバーナードが話をめていくと、コンラッドは「わかったよ」と自分の手紙の相手についてはれないまま言って、の背に寄りかかった。


「そんなに言うなら、何か書くさ。手紙じゃなくて、手記が良いかな。『戦場での日々』だよ。我々はいかにして、こくな時代を生き延びたのか? ってな。美化はしない。『いまこの瞬間、他人にすべてを押し付けて息をひそめて生きている奴が、好き放題に死者をろうする』戦後という次の時代に、もうるうであろうデマと、戦ってみせるさ」

コンラッドのとおるようなひとみが、おもしろそうに細められる。バーナードは、息を詰めてその顔を見守った。不意に、コンラッドはくしゃっと笑った。


「そういうわけで、俺は手記を書く、お前は手紙を書く。善は急げ」


 そくだんそっけつで、すぐさま立ち上がったコンラッドは「メモ紙になるようなものを探してくる」と言い置いていなくなってしまう。

この日以降、コンラッドは取りかれたように、文字を書くようになっていた。

 戦場を転々とする中で、コンラッドはそれを手紙としてどこかに送っていた。かいめつして打ち捨てることになった基地に、書きかけが置き去りになったこともあるようだが、とにかく書き続けていた。

 そのコンラッドの横で、バーナードも、手記とは言いがたいものだが、死んだ仲間の名前と、その思い出を持ち運びができる小さなメモ帳に書き留めるようになった。

 二人の作業に気付いた仲間が、まだ死んでもいないのに「自分のことも書いてくれ」と言って近づいてきた。「お前は生きて帰れよ」と笑いあった三日後に、紙の前で彼にまつわる記憶を思い出そうとしていることもあった。

 季節がまたひとつめぐる間に、たくさん見送った。バーナードは、自分は彼らより生きている意味のある人間か、この先の未来に必要な人間なのかと何度も自問した。

 なお、戦地で書き記した文字数は多いのに、「妻」へ送った返事は、考えすぎたせいでたった一行になった。

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