2-2



*****



 アストン家にしてきたその日から、チェリーは宣言通りにもうれつに掃除をした。

 手始めに、自分とノエルの部屋。

 その翌日は、前夜気になった食堂の天井の蜘蛛の巣を、に乗り、デッキブラシを振り回してなんとか取った。

 ヘンリエットとキャロライナの衣類を外で洗濯していたマリアは、き清められてぞうきんがけまでされた食堂を見回して、感心したように「ちがえました」と言った。

 スカートにノエルをまとわりつかせながら、チェリーは「奥様とおじょうさまは、どこでお食事をなさっているんですか?」と尋ねる。


「今朝も、お見かけしていません。お部屋でがっているんでしょうか」


 するとマリアは、なんとも気まずそうに目をまばたき、口元にひきつった笑みをかべながら答えた。


「奥様はおなかいてないと言って、今日はまだ召し上がっていないんです。お嬢様はお体が弱くて、いつもお部屋まで運んでいるので、食堂には下りていらっしゃらなくて」

「あら、そうなんですか。私、まだお嬢様にお会いしていないんですが、お料理を運ぶ役目を、代わって頂くことはできますか。ご挨拶だけでもしてきます」


 チェリーが申し出ると、マリアは思案するように首をかたむける。


「若奥様に、掃除して頂いただけでなく、メイドのような仕事までたのんで良いか、奥様にかくにんしてこなくては……」

「若奥様? あっ、私!?」


 すっかり忘れていたチェリーは、素で聞き返してしまった。マリアはくすっと笑ってうなずく。


「ぼっちゃんのおもい人で、ひとりで子どもを生んで育てていて、奥様が迎えに行った」


 マリアは言いながら、ノエルへと視線を向ける。


(そっか、私、もう子爵夫人なんだわ……!)


 屋敷の中でもそのうそとおさなければいけないのだと、いまさらながらに気づく。そのチェリーに片目を瞑って見せて、マリアは小声で続けた。


「ということにしたと、奥様から聞いていますけど? 今後はそのつもりで、若奥様」


 チェリーのスカートの後ろから、ちらちらと顔をのぞかせているノエルに向かって「未来のご当主さま~」と呼びかける。


「はぁ~。世間の若奥様が何をなさっているのか、私には想像もつかないんですけど。手がいているときは、掃除だけでもさせてください……」


 マリアに噓をつく必要はないと知ってみょうだつりょくしながらも、チェリーはゆずれないことを主張した。


(この家から掃除担当のひとがいなくなって、ずいぶん時間がっていそう)


 まだ自分に割り当てられた二階の部屋や、一階の食堂周りしか歩き回っていないが、ひどい有り様だった。

 ヘンリエットには、当主の妻として覚えることはたくさんあるとは言われていたが、自分の住む場所を整えるのは、チェリーにとって考えるまでもなく自然なことである。


「掃除をする貴族の奥様なんて、見たことはないですけどね。屋敷もこの広さだし、私だけじゃ全然手が回らないから……。少しだけでもお願いできたらありがたいです」


 マリアが割り切った態度で仕事をり振ってくれたので、チェリーも気が楽になった。そこから、軽く役割分担の打ち合わせを行った。とはいっても、マリアは二人分の洗濯と日々の料理だけでいっぱいとのこと。チェリーの出番は多そうだ。


「では、お屋敷の掃除は私に任せてください。奥様のお部屋も、入らせていただけるなら。食事を召し上がっていないというのは、体調がすぐれないのでしょうか……」

 

 そこまで言いかけて、チェリーはハッと息をんだ。


(「お腹がいていない」なんて、噓だわ。昨日私とノエルを迎えに来るのに、ずいぶん動かれたはず。もしかして、ご自分の食べる分を私たちに分けてしまったのでは)


 マリアが気まずそうにしていた理由も、それでてんがいく。

 とぼしい食材から、二人分新たにねんしゅつするために、ヘンリエットは空腹をえて部屋に引きこもっているのかもしれない。


「ねえ、マリアさん。お庭を見てきていいかしら? 私、田舎育ちで草花にはちょっとだけくわしいの。何か、お料理に使えるものがあるかも。ノエル、行きましょう!」


 チェリーは、ノエルとともにげんかんから飛び出して行く。

 昨日通った、草のられていない表門への道を走り、荒れ果てた庭へと足を踏みれた。


「ノエルは、私がいいって言うまで、こっちに来ちゃだめよ。虫とかヘビとか危険なものがいるかもしれないから。ヘビは出てきたら、食べちゃうけど!」


 ノエルを待たせ、チェリーはしんちょうに辺りを見回す。

 群生しているギザギザの緑の葉を見つけて、みを浮かべた。くきにびっしり細かいトゲが生えているので、じかれないように、つまんだスカートのすそで手を守りながら、布しにぶちぶちと葉を摘みる。


「これは知ってるわ。茎がニードルみたいなネトルの葉よ。すりつぶしてスープにすると美味しいの。あっ、待って、ルバーブもある! たしかこれは、葉っぱは食べられないはずだけど、茎はお砂糖でめてジャムに……。お砂糖はぜいたくよね。スープの具にはなるかしら?」


 目についたハーブを次々に収穫して、広げたスカートにまとめてのせると、チェリーはみちへともどった。


「草がいっぱい! どうするの?」


 長屋で生まれ育ち、これまで草花とえんのなかったノエルはきょうしんしんの様子だ。

 チェリーはうきうきとしながら、ノエルに収穫したハーブを見せる。


「これでスープを作るの。葉はかんそうさせればお茶になるわ。こんなにたくさん採っても、まだまだあったの、最っ高よね! さっそくキッチンを借りて、作ってみましょう。お嬢様はお体が弱いみたいだけど、これは栄養がたくさんあるから、きっと元気になるわよ!」


 すべて、田舎暮らしをしていたときに、両親から聞いたことの受け売りである。草の見分け方も、料理の方法も。


(マリアさんは、貴族のお屋敷のメイドさんだから、草を食べるって発想はないのかも?とにかく、庭にこれだけある食べ物を生かさない手はないわ)


 探せば他にも食べられるものはありそうだった。


「無い分は作ればいいのよ。スコップやくわはあるのかしら。探してみましょう」


 これまでは、耕す土地がないばかりに、知識があっても生かすことはできなかった。

 ここでなら、チェリーには出来ることがたくさんありそうだ。

 はやる気持ちのままに、チェリーは「さあ、急ぐわよ!」とノエルに声をかける。

 春の緑の匂いをたっぷりとふくんだ風が、さやさやとこずえを鳴らし、草木を揺らしていた。



*****



「美味しい……! 体にわたる……!」


 ほんの少しの塩とバターを加えて、すりつぶしたネトルで作ったスープは、アストン家のお嬢様であるキャロライナの口に合ったようだった。

 ベッドに体を起こしたキャロライナの前には、組み立て式の小さなシルバーのテーブルが広げてあり、深めのスープ皿が置いてある。

 キャロライナは、やわらかそうなきんぱつに、ヘンリエットと似た青灰色のひとみ。幼い顔立ちで、きを身に着けたかたはひどくきゃしゃだ。下ろしたままのかみを肩に流して、キャロライナはせわしないほどの速さで、スプーンでスープをすくって口に運んでいた。


「信じられないくらい美味しかった。こんなの、久しぶりに食べたわ。チェリーさんはお料理がお上手なのね」


 空になったスープ皿を名残なごりしそうに見ながら、しみじみと言う。

 チェリーが部屋に顔を出したときは「寝たままでごめんなさいね」と青白い顔で謝ってきていたが、食事を終えたいまは、ほんのりとほおに赤みがさしていた。


「田舎料理です。お庭に自生していたハーブを使いました。マリアさんは、今まで使ったことが無いって言ってました。貴族のお嬢様のお口に合って良かったです」


 変なものではない、という意味でチェリーが説明をすると、キャロライナは目をきらきらとかがやかせて「チェリーさんのお料理、毎日でも食べたいわ」と言った。


「他にも、色々作れると思います。このお庭には、まだまだ食べられるものがありそうなんです。でも、それでマリアさんのお仕事を取ってしまうことにはならないでしょうか」


 チェリーが首をかしげて尋ねると、キャロライナは微笑んで答えた。


「マリアはね、もともと、キッチンメイドではないの。通いのお洗濯係さんで、旦那さまが戦争でおくなりになって。この家の使用人もみんないなくなってしまったので、一緒に暮らしてお洗濯をしてくれているのよ。お料理と掃除は、苦手なんですって」

「そうなの?」


 思わず素の受け答えをしてから、チェリーは相手がお嬢様だと思い出し、「そういうことでしたか」とていねいに言い直す。口調が変わった理由を察したようで、キャロライナは「構わないのに」と楽しげに笑った。


「チェリーさんは、お兄様のお嫁様なんですってね。私のお義姉ねえさまよね? 挨拶もまだの私に、親切にしてくださってありがとう。わざわざ部屋まで来てくださって、うれしいわ」


 けいかいもせずなおに事態を受け入れている様子に、チェリーは逆に不安になる。


(どこまで事情をご存知なのかしら? 私とノエルのこと)


 チェリーとバーナードはまったく見知らぬ者同士で、「」というのは噓だ。

 だまっていられないチェリーは、キャロライナを驚かせないように様子をうかがいながら、話を切り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る