離婚するつもりだった 私が顔も知らない旦那様に愛されるまで

有沢真尋/ビーズログ文庫

プロローグ


 お前に手紙だよ、と声をかけられてバーナードは顔を上げた。


「差出人はヘンリエット・アストン。けっこんおめでとう」


 けんえつされたこんせきのあるふうとうを差し出してきたのは、三日前に新しく着任したばかりの部隊長である。

 すぐにせんとうが始まり、ろくに会話をわす間もなかったこともあって、まだたがいに相手の事情をよく知らない。


「ヘンリエットは、母の名前です。筆まめではないので、れんらくめっにないのですが」


 にんうでに包帯を巻いていたバーナードは、隊長の「結婚おめでとう」に首をかしげながら返事をし、手早く処置を終えた。


(結婚? だれが? 差出人が女性だから、俺の妻だとかんちがいしたのか?)


 衛生兵として従軍しているバーナードは、くせのあるきんぱつに、みどりひとみをした青年である。目鼻立ちが整った品のおもしで、すらりと手足が長く上背があり、出身は貴族階級。二十四歳というねんれいからすると、結婚の話題自体は、何もおかしくはない。

 目の前の兵がから立つと、列をなしていたりょう待ちの怪我人は、もう誰もいなかった。

 バーナードも立ち上がり、隊長からふうの開いた封筒を受け取る。「良かったな」と破顔して立ち去る隊長を、あいまいほほんで見送ってから、その場で便びんせんを広げた。

 紙面に目をすべらせ、そのままの姿勢で固まる。

 ゆっくりと一度目をしばたたいてから、最初から最後まで読み直して、自分のちがえではないとかくにんし、けんしわを寄せた。


【あなたが戦地におもむく前に、ちゅうはんになっていたチェリー・ワイルダーさんとの結婚の手続きですが、とどこおりなく無事に済んでいます。チェリーさんは元気です。あなたも健康に気をつけて、お役目を果たしなさい】


 何度読んでも、結婚したことになっていた、、、、、、、、、、、、

 五年前に父と死別した母でもなく、家に残してきた十歳下の妹でもなく、自分が。


「……なんでだ?」


 ちょうへいに応じて戦場に立つようになって、早二年が経過していた。

 その間、一度も実家に帰っていない。

 妻になったという、チェリー・ワイルダーなる女性には、まったく心当たりがない。

 名前を聞いたのも、これが初めてだ。


(どこの誰だ? なんで俺と結婚したんだ?)


 くしていたところで、とん、とかたたたかれる。


「バーナード、メシはちゃんと食ってるのか? お前は、この死地において我が隊のそんもう率をせきの数値におさえているエース衛生兵だ。たおれられたら困る」


 バーナードは、便箋をたたみながらかえった。

 視線の先には、くりいろかみうすい水色の瞳の、長身の青年が立っていた。ほおからあごにかけてしょうひげの散った、苦み走ったぼうの持ち主である。


「今日はまた、ずいぶんめてくれるんだな、コンラッド。俺は、医学の知識が多少あるだけだよ。作戦すいこうにおけるエースはお前だ」


 青年の名前は、コンラッド・アーノルド。本人によるとはくしゃく家の三男とのことだが、長引く戦場暮らしで、こんきゅうに慣れきった姿に貴族らしさは見る影かげもない。

 バーナードが戦地に来てすぐのころ、コンラッドの所属する部隊がかいめつを見たとことで、隊に合流をしてきて知り合った。

 以来、ずっといっしょの戦場に立っている。


「そこは適材適所ってやつだな。いずれにせよ、将来のりょう技官候補と同じ部隊ってのは、俺も周りの奴も運が良い」


 明るく笑いながら、コンラッドはバーナードの背を叩いた。

 すぐに、その表情がえないことに気づき、手にした便箋へ目を向けて「どうした?」と軽い調子でたずねてくる。


「アストンしゃく家の当主さま、さては借金のとくそく状でも届いたか?」


 バーナードは、ちらっとコンラッドを横目で見た。


「俺が借金するような生活を送っていないのは、お前が一番知っているだろう。ここは戦場だぞ。これは、母からの手紙だ」

「なんでそんなに、難しい顔をしているんだ。実家に残してきた、お前のしゅの本やしゅうしゅう品が売られた事後報告だったのか?」

「それなら、いよいよ生活に困ったんだな、と思っておくさ。しかしいくらめられたと言っても、当主を売るなんてことあるか? 見ず知らずの女性に」


 コンラッドは、バーナードの頭のてっぺんからよごれたブーツの先までしげしげとながめて「売られた?」と聞き返してきた。そう結婚だぞ? という言葉をかろうじてみ込んで、バーナードは便箋を開きながら

コンラッドに目配せをした。ばやく肩を寄せて紙面をのぞきこんだコンラッドは「なるほど」と言いながら、にやりと笑った。


「お前の母親らしい、実に計算された文章だ。お前に身に覚えがないなら、相手の女性がわけありなのかもな」


 周囲の注目を集めていないのをさりげなく確認しながら、バーナードは「そうだな」と短く返事をした。


(道理に合わぬことが何よりきらいな、あの母上さまが関わっているんだ。何か、理由があるんだろう。アストン家か、相手か、その両方に)


 父である前子爵がまだ存命で、バーナードがしゃくぐ前から、アストン家はぼつらくいっをたどっていた。子ども時代のバーナードは、一歩外に出れば自分が貴族であることなどすっかり忘れて、平民同然に街の子どもたちと遊び暮らしていた。

 まがりなりにも貴族らしい振る舞まいが身についているのは、貴族育ちで厳格いってつの母親により、蜘蛛ものの張る食堂でえんえんと「貴族とは」と教えを受けたからに他ならない。

 その母方の実家のえんもあり、大学へと進み、医療を学ぶ機会を得ることもできた。

 折しも、在学中に始まったりんごくとの戦争は、短期決戦の予想に反して長引いており、卒業をむかえる時分にも、先行きはとうめいなまま世の中はこんめいきわめていた。

 バーナードは、医療の現場に出るより前に、世間の若者同様、政府による徴兵に応じて戦地へと来たのであった。


「まだまだ戦争は終わらないだろうし、生きて帰れる保証も何もない。ここにいる限り、俺は夫としての役目を果たせない。無効にすべきだと、本人へ言っておく」


 コンラッドへの宣言通り、バーナードは食事後すぐに、「妻」へ手紙をしたためた。

 母が直筆で連絡をしてきた以上、そこにはバーナードがあずかり知らぬ事情があるであろう。それは、対外的には「夫」たるバーナードが、当然知っていてしかるべきことのはず。

 手紙にあまりに的はずれなことを書けば、検閲された際に偽装結婚のけいが追及され、家族に不利になるおそれがある。

 余計なことは書けない。


(伝えたいことはひとつ。どんな理由があるにせよ、誰かの都合だけで結ばれたこの関係は、すみやかに解消されるべきである。それだけだ)


 解消……つまり、こんだ。


【一度も会わないうちに、人妻からになるのは、さすがにいかがなものか】


 だから、この結婚はなかったことにしておいた方が良いのではないか?

 バーナードからのしんちょうな問いかけに対して、一ヶ月後「妻」から返事が届いた。 そこには、簡潔な一行だけが記されていた。


【あなたが死ななければ良いだけでは?】


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