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 アデルの居住区が空襲を受けたあの日、大雨の中、足元から跳ね返る泥水で服を汚しながら、僕はアデルの元へ走った。全力で走った。血に染まったアデルの髪の毛は、白髪の面影もなく、直撃こそ免れたが、窓の近くにいたため、身体の右半分に大量のガラスが刺さり、病院へ送られた。それ以来、連絡が付かず、会っていない。これは、そんな少女が、最後に僕に言った言葉だ。

──ルイ、パイロットになれ。例え、私が飛行機に殺されても──。

アデルの声が聞こえる。

「……アデル……アデル……」

寝言を言うルイに、古春はゲンコツを飛ばした。

「……ふがっ。寝てる人間に何するんだ……」

古春は腕組みをしてルイを上から見下ろした。

「大声出しても起きないんだから、しょうがないだろ!それより、遅刻寸前だよ!私は先に行く。」

時計を見てルイは慌て始めた。朝食を食べる時間などない。急いで飛行服に着替えて滑走路に走った。滑走路に着く頃には、ハアハアと息を切らしていた。長官が問う。

「何故、息を切らしている?」

「いえ、なんでもありません!」

ルイはピシッと姿勢を正した。相変わらず長官の威圧感は異常だ。

「そうか。なら、今から任務について説明する。まず、貴様らは比良ノ邦へまで飛べ。そこに、味方の飛行場がある。そこで飛行機を乗り換えバンデールへ迎え。比良ノ邦産の飛行機なら、バンデールへの入国時に怪しまれる事もないだろう。分かったか。」

ルイと古春は長官に敬礼し、飛行機に乗り込んだ。健闘を祈る、そう言うかのように、長官も敬礼した。

「飛行準備完了。いくぞ。」

飛行機はふわりと宙に浮き、あっという間に高度五千メートルに到達した。ルイと古春が今乗っている飛行機は、ライラ・デ・アイルという、小型の複座、複葉機だ。その青い機体は、空に溶け込み、彗星の如く空を舞う。その姿は、この果てしない青空の一部になったようにも感じられる。そう、僕達パイロットと同じだ。リアレスには、人は死後空に帰る、という大昔からの言い伝えがある。パイロット達は、皆それを信じて空で散っていく。ここが彼らの、生きる場所であり、墓場なのだ。

 そういえば、今日、何か夢を見た気がする。小さな女の子が、血を流していて、確か、瞳が青かった…。

「……アデル!」

また、鼻の奥でアデルの匂いが充満してきた。僕は、操縦バーを固く握りしめ、操縦の方に意識を向けた。飛行は順調に進み、ライラ・デ・アイルは、海猫を従えながら、日が落ちる頃、比良ノ国リアレス第一飛行場兼パイロット養成学校に着陸した。



 比良ノ邦は、リアレスと同じく、珍しい事に四季がある。だが、リアレスが夏の時、比良の邦は冬、という感じで、リアレスとは季節が逆である。それに加えて、気温が変わりやすく、"1日の中に四季がある"とも言われている。と、いう事で。

「さっむーい!」

古春はあまりの寒さに声を上げ、身震いした。飛行服が長袖であることが唯一の救いだ。今にも雪が降り出しそうな、肌にツンと刺さる寒さだった。かじかむ指先を温めるためルイは手を擦り合わせた。しばらくすると、軍服を着た若い女がこっちまで歩いていた。

「あなた方を待っていました。話は聞いています。さあ、こちらへ。」

ルイと古春は女に続いて歩いた。辿り着いた先はストーブの効いた事務室だ。それでも体は外側しか温まらず、ルイは比良の国の冬の厳しさを理解した。

「申し遅れました。私、田中由依と言います。」

由依は3秒間お辞儀をした。

「温かい飲み物をお持ちします。」

そう言って由依は、手際よくポットに緑の葉を入れ、水を注ぎ火にかけた。森林の中にいるかのような、爽やかな匂いが、事務室に広がった。初めて嗅ぐ匂いだが、いい匂いだ。ルイは、コップに注がれた、少し黄色みを帯びた薄緑の液体を見て、言った。

「これは、なんと言う飲み物ですか。」

「比良の邦にいらしたのは初めてですか?これは、颯茶(そうちゃ)と呼ばれるものです。颯の葉を乾燥させたものを、水で煮立たせて作ります。」

ルイは恐る恐る颯茶を口に含んだ。

「に、苦……」

と、思わず口に出してしまった時に、机の下で古春に足を思いっきり踏まれた。

「いえ、なんでもありません!」

古春は颯茶を普段から好んで飲んでいた。比良の国の文化とは、理解し難いものだ、とルイは思った。

「時間も押してきていますので、本題に入りましょうか。」

さっきまで穏やだった事務室が、一気に緊張感に包まれた。

「作戦はこうです。まず、バンデールの監視が少ない、雨催イ海上空を真っ直ぐに飛行します。監視が少ない代わりに、雨催イ海上空は天候が荒れやすいため、気をつけてください。可成島が見えたら、北北東へ曲がり、こちらも同様、監視が少なく、入国基準の緩いラール半島からバンデールに入国します。ここまでは、宜しいですか?」

ルイと古春は頷いた。

「重要な話はここから。ジャンヌ・アベラール皇妃暗殺の任務は、この基地の中でも私と他数名しか知らない極秘任務です。あなた達が乗る飛行機が完成するのは1ヶ月後。それまで、ホテルを転々とする訳にもいきません。なので、これから1ヶ月間、リアレスからの留学生として、お二人にはここ、飛行場に隣接された、桜坂養成学校で過ごしていただきます。いいですか、くれぐれも、作戦が外部に漏れないようにしてください。では、早速寮へご案内します。」

ルイと古春は、由依の案内の元、寮へ向かった。

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