聖暦三〇九年 妹が来た。

 答えはいたって単純なことだった。言葉どおり、五日も三時間も、遅すぎる。

 セタが王都上空で爆散してから二年の後、私はそれをようやく理解した。

 間引きに出ていた部隊の生き残りが、負傷しながらも伝えた一報。魔の森で大規模な魔物の暴走。本来であれば森の深部にしか棲息しないはずの大型魔獣までが、狂ったように魔の森を出ようとしている。

 監視塔が築かれた理由。三百年以上も前、魔王が封印される前に残された記録と同じだった。

「狼煙上げろ! 赤一本!」

 塔将が上階で叫んでいる。後方の街や砦が順に狼煙を上げ、王都まで報せが届き、兵を集め、ここへ送り込む。どれだけかかる。近隣の領主の兵ならばいくらか早いだろうか。それまでを監視塔に駐屯していた兵力だけで耐えねばならない。

 そもそも、王都はこちらへ対応できるのか。大聖堂の地下には封じられた魔王の右腕などというものがあるのでなかったか。魔の森が魔王が封じられる以前の状態に戻った今、世界のどこかで魔王が復活しているのではないのか。

 視線の先で、壁が崩された。森から魔物どもが出てこないようにと、長年かけて建てられた壁が、巨狼の前足一振りであっけなく吹き飛んだ。

「結界持ち! 土壁持ち! 壁を強化しろ! 盾持ちは前へ! 術師を守れ!」

 指示が飛ぶ。弾かれたように、歩兵部隊が前へ出た。私も詠唱を開始する。

「【大地よ立て。一切を通さぬ壁となれ】」

 力ある言葉に押された勢いのまま大地が隆起し、巨狼の顎を打ち上げる。でかいやつにはでかいものをぶつける。ついでに崩された壁を塞ぐように次々と壁を打ち立てて行く。左右のあちこちで詠唱が完了し、同様に壁を補強するための土壁が連なる。さらに結界の魔法が飛び、魔物を通さぬよう元の壁ごと強化していく。

 一時しのぎではあるが、総崩れは防げた。しかし、壁に魔力を籠め続ければ練度の低いものから魔力切れとなるだろうし、そもそも鳥系魔物が出てくれば壁では防げない。

 攻撃部隊を編成して魔物の数を減らしていかねばならないが、そのための戦力を抽出しすぎれば壁がもたない。

 私の思考を邪魔するように、視線の先で壁がガンガンと叩かれ、揺れる。距離があるからか、壁が揺れたように見えた後、遅れて音が届く。その速さで飛んでさえ、王都から三時間。飛空艇を最短で乗り継いでも五日。歩兵ならば集結と行軍でひと月だろうか。どう考えても、もたない。

 人間はあまりに遅すぎる。


 閃光。


 雲などなかったはずの空から、雷が落ちたのだ。幾百、幾千と。

 目を開けていられなくて、きつく瞼を閉じた。

 轟音が届く。耳をふさいだ。大気が震える。

 閉じた目の向こうが、ちかちかと明滅していた。

 終わりだ、と思った。次の瞬間には、私が雷に打たれるのだと。

 けれどその時はいつまでもやってこなくて、気が付けば音も揺れも収まっていた。私はおそるおそると目を開ける。

 駐屯地の全軍で強化していたはずの壁がのきなみ崩れ落ちていた。

 その向こうで、巨狼も牙鬼も凶鳥も、おびただしい数の魔物が、なんなら森の木々まで、黒焦げになって吹き飛んでいた。

 雷の音で耳が馬鹿になっていたのだと思う。ここで聞こえるはずのない声が、上空から降ってきた。

 思わず見上げた空。

 青い空を背負って、箒にまたがったセタが浮かんでいた。

 私の視線に気づいたのだろう。妹が大きく手を振ってくる。

「あっ、お姉ちゃーん! 会いに来たよー! 見てた!?」

「まぶしくて全然見れてないんですけどね。いつどうやってここに来たのかも気づいてなかったですし」

 まだ周囲で呆然としている同僚たちにも聞こえないような声量でつぶやく。

 セタがいったい何を知り、何に備えていたのかなんて、私には半分も理解できないけれど、今、ここで、私に会うことがその主なる目的だったことは分かる。あの子にとってはもうずっと前から、移動速度が問題だったのだろう。

 速く、より速く。その限界へ挑む中で、大怪我をしても構わないほど一心に。

 本当はまだ何も終わってはいない。魔の森から後続の魔物が出てこないか警戒しなければならないし、壊れた壁の修復だって必要だ。

 けれど、まあ、始末書も書くし減給だって受け入れよう。隊長に目を付けられても構わない。

「セター! 格好良かったですよー!」

 私は妹へ向けて、大きく声を張り上げた。


〈見るより速く・了〉

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見るより速く 佐藤ぶそあ @busoa

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