見るより速く
佐藤ぶそあ
聖暦三〇七年 妹が爆散した。
不死系魔物の親戚みたいに包帯でぐるぐる巻きとなった妹が、病室の寝台に身体を預けたまま、けらけらと笑う。
「いやー、参った。失敗しちゃったよね」
国境沿いの監視塔から五日もかけて見舞い兼治療へ駆けつけた姉に対しての第一声が、それ。もう何本か追加で骨を折ってやっても許されるのではないだろうか。私がどれだけ心配したと思っているのか。
「セタ。あまり無茶ばかりしないでください。空中で爆散したと聞いて、肝を冷やしましたよ」
「さすがに爆散なんてしてないよ。ちょっと音の壁を越えた瞬間に箒ごと体を吹き飛ばされただけで」
王国最速を決める箒競技会、その決勝で事件は起こった。
前代未聞の三連覇を期待されていたセタは、前評判どおり圧倒的な速度で単独首位に立っていた。そのセタが突如、爆音と共に制御を失い、墜落した。現場は騒然となり、競技会は中断。当初は魔物や他国からの襲撃かと思われたが、周囲を探っても怪しい者は皆無であったという。
原因は未だ不明、のはずだった。少なくとも、私が監視塔で第一報を受け取った時点では、そうだった。
「……セタ、やっぱりあなたが原因なんですね」
セタは小さく身じろぎして、目をそらした。身体の自由がきけば逃げ出したかったのかもしれない。
この妹はいつもそうだ。幼いころから天才とか神童とか言われていたが、身内からすればその狂った発想で問題を起こし続ける暴走娘でしかない。
「いや、あのね。これは違うの。速く飛ぶなら避けて通れない物理現象であって私が原因なわけじゃなくてね。そろそろまずいかなと思ってたから、あらかじめ風防魔法で全身を覆ってたし。だからちゃんと全治二か月で済んだわけだしさ」
「ちゃんと?」
「違うの違うの。言葉の綾だってば。怪我するのが織り込み済みなわけないじゃない、いやだなぁ姉さん、もー」
私には理解できない理屈で言い訳を並べ立てるセタに、長く大きく、ため息をついた。
「とりあえず、治してあげますから」
セタの無茶に付き合わされ続けたせいで、治癒魔法と防御魔法にだけは自信がある。それこそ、王都の治癒士ですら全治二か月までしか縮められなかった大怪我を治せる程度には。
「やったぁ、姉さん大好き。愛してる」
はいはいとおざなりに返事をして、私はセタの治療に取り掛かった。
◆
セタの主治医をやっていたらしい治癒士が、弟子入りさせてくださいとうるさかったのを振り切って退院手続きを済ませ、王都の郊外まで逃げてきた。
治った身体の具合を確かめるように、セタは腕を曲げたり伸ばしり、その場で跳ねてみたりと奇怪な踊りをしている。
「うーん、さすがは姉さん。王国一の天才」
「それはあなたでしょう?」
「私はなー、違うんだよなー」
セタはもごもごと口ごもる。
昔からそうだ。セタは優秀であることを自覚しているくせに、天才と言われると嫌そうな顔をする。
まあ、それは私もそうか。この妹と一緒に育っておいて、天才などと思いあがれるほどおめでたい頭をしていない。
「じゃあ、はい。いいですか。天才のお姉ちゃんから命令です。落ちるかもと分かっていて飛行速度の限界へ挑むのはこれきりにしてください」
セタが速く飛ぶたびに、爆散するのでないかと不安を持ち続けていたら、私の胃が先に爆散してしまう。自分で治すけど。
「あ、うん。それは大丈夫。この方向性だとお姉ちゃんのとこまで三時間もかかるんだもん」
「私のところって、魔の森の監視塔ですか? 王都まで、最短の飛空艇を乗り継いで五日かかったんですけど……三時間って……」
「遅すぎるよ。音速超えてさらに速度を上げるのは集中力も魔力もそんなに保てないし、根本から見直しかな」
全然満足できていないとばかりに頬を膨らませるセタ。身体は大きくなったくせに、いつまでも子供っぽいところのある妹だ。
「そんなに私に会いたいのなら、セタも監視塔に就職しますか? 定期的に魔物の間引き任務がありますし、攻撃魔法の実験だってできますよ」
「魅力的すぎるお誘いだけど、王都でやることがあるから無理なんだぁ」
眉間にしわを寄せて、悔しそうにするセタ。ここだけ見ればお姉ちゃん離れできない可愛い妹なのだけれど、セタは割と優先順位をはっきりとつける方だ。家族にべったりだったこの子が、王都で何か大切なものを見つけられたのなら、それは幸いなことだろう。
「ところで、音の速さってどういう意味ですか? 病院でも、音の壁がどうこうとか言っていましたけど」
「そのままだけど、ええと、まずさ。音って遅いでしょ?」
首を傾げて確認してくるセタ。私も首を傾げてしまう。音が、遅い?
「雷が光ってから、ゴロゴロー、どーんってなるまで、時間かかるじゃない」
「それはそうだけど、そういうものじゃないですか?」
「あの光ってるとこで音が鳴ってるっていう認識がないとそうなるのか。……じゃあ、ええと」
セタはおもむろに両手を上げると、パァンと打ち鳴らした。
「いま、手を叩いたら音が鳴ったよね」
「そうですね」
「次に、ちょっと離れたとこで手を叩くから。そしたら、手を叩くより遅れて音が聞こえるって分かるはず。音ってね、見るよりも全然遅いの。【来たれ】……あれ?」
箒を呼ぼうとして、セタが失敗した。力ある言葉が魔力と共に霧散する。
「しまった、壊れたんだった」
競技会で墜落した時に折れたのだろう。廃棄されたかまでは分からないが、少なくとも箒との契約は途切れているはずだ。
「私の箒を使いますか?」
来たれ、と呼べば、手の中に使い慣れた箒が現れる。
「わーい、ありがと……う?」
箒を受け取ったセタの動きが止まる。何かを思いついた顔。
「いやいやいや待って待って待って。あまりに初級魔法すぎて気づいてなかったけど引き寄せの魔法ってこれ要は物質の転移じゃんね。この箒いまどっから来たの? 宿? お姉ちゃんの泊ってる宿から? えっ、こっちの方が断然速くない? 必死こいて飛行魔法の効率化してた私、ただのアホじゃない? やだやだやだ、気づきたくない。自分がアホだって知ってたけど思い知りたくない」
うずくまってぶつぶつと呟き始めるセタ。
「その箒は監視塔の私室に置きっぱなしにしてた奴ですね」
「いぃぃぃぃぃやぁぁあぁぁぁ!」
箒を抱えたままセタがごろごろと地べたを転がり回る。みっともないし洗濯が大変だからそういうのはやめた方がいいと思う。でも、そうか。
「五日とか三時間とか言ってましたけど、確かにこの箒は一瞬で来ましたね……」
「やめてお姉ちゃん。死んじゃう。恥ずかしくて死んじゃう。嘘でしょ、えっ、魔力の伝達速度ってどう実験すればいいの。月? 月まで行ってみる? 通信が届くより速く引き寄せできたらどうするの? どうなるの? いやそもそも月なんて私が生きてる間に行けるわけなくない? 魔法? 魔法で行ける? どうなの?」
たまにセタはこんな感じになる。同じ街で生まれ、同じ教育を受けて育ってきたはずなのに、その漏れ出る言葉の半分も理解できない。月に行くって、何を食べてたらそんな考えが浮かぶのだろう。セタのこだわる飛行の速度なんかよりもよほど速く、私から離れていくように感じてしまう。
こうなったセタは、肩をゆすっても、頭を小突いても、なかなか戻ってこない。
だからそっちは諦めて、セタから歩いて距離を取る。
ちょっと離れたところで手を叩く、というのはどれくらい離れれば良いのだろうか。手を叩いた音が聞こえなくなるほど離れては意味がないけれど、箒を使いたい程度には距離が必要なはずだ。いや、単にセタは体を動かすのが嫌いなだけ、というのも加味する必要があるだろうか。
しばらく歩いて振り返ると、人差し指くらいの大きさになったセタが、ようやく正気に戻ったのかきょろきょろと辺りを見回している。離れたところにいる私に気づいたのか、手を振ってくるセタ。
私が手を叩く身振りをすると、セタはもう少し離れろとばかりに両手を大げさに動かしてくる。
いや、箒はそっちが持っているのだから、正気に戻ったのなら距離の調整はそっちがやればいいのじゃないだろうか。そんなことを考えていたら、セタは箒を地面に置いてしまった。確かに手を叩くとき邪魔になるだろうけどもさ。
私が後ろ歩きでもう少し離れたところ、セタが頭の上で大きく丸を作った。これくらいでいいらしい。
そうして、セタがおもむろに両手を打ち合わせるのが見えた。
数瞬遅れて、先ほどよりもずいぶんと小さく、パァンと乾いた音が耳に届く。
なるほど確かにセタの言った通り、音は見るより遅いのだ。そんな納得よりも先に、私の口からこぼれ出た言葉がある。
「……あの子、この距離を今の速さで飛べるってことですか」
王都から監視塔まで三時間、そんな常識はずれな速度があって、まだ速さを求める妹のことが、私には分からなかった。
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