高き空より虹の降る

悠井すみれ

第1話

 俺たちのうんこは七色に光る。

 唐突かつ汚い話で申し訳ない。もしかしたら、これを読んでいる読者には理解しづらいことかもしれない。だから順を追って説明させてもらう。


 まず、俺たち、とは何かというと、人間が呼ぶところの天使とか天人とか神人とかいうヤツだ。天空に漂う浮遊島に住まい、高度な文明を築いて下界を導いた、とかご大層な伝説で語られてる、アレ。

 背中に光り輝く翼を持つと記述されることもあるが、それは嘘か、良くて誤解だ。光翼こうよくという器官があることはあるが、人間が神力と呼んだりもする生体エネルギーを放出すべく変形した肩甲骨であって、鳥のような翼が実際に生えているわけではない。空を飛んで移動する時とかは、まあいわゆる天使っぽく見えるのは確かだろうが。

 ちなみに、種族自体が美しい、という話もあまり正確ではない。実のところ、俺たちも人間も基本的な姿かたちは同じなのだから。ただ、上述するような神秘性ゆえに、「天使」とは美しいものだ、という思想が生まれ、天使的な容姿の人間が美しいとされた、ということではないかと思う。つまり順番が逆なんだ。

 俺たちが下界の色んな文化で崇められている理由は、ひとつにはそのていどのことでしかない。


 そしてそのほかにもう少し根拠がある理由があるとすれば、うんこだ。

 ふざけてなんかいないから、我慢してもう少し読んで欲しい。

 虹色鉱イリサイトというのがあるだろう。虹のように七色の輝きを放つ、神秘の物質。魔力──と人間が呼ぶエネルギー──をよく蓄積し、加工によって自在に硬度を変えるいっぽうで、どんな形になってもその輝きは変わらない。

 下界で採取されることはごくまれで、古来より君主や宗教的指導者が権威の象徴として求め、崇めてきた


 あれは俺たちのうんこだ。もしも知らなかったら、衝撃の事実になってしまうだろうか。本当に申し訳ない。


 浮遊島という高高度の環境、それ由来の食生活、それから俺たちの腹の中の細菌だかバクテリアが何か良い感じにアレしてああなるらしい。何しろ俺たちにとってはうんこだから、地上では珍重されるようなものだとは長らく思われていなかったから、曖昧なのは許してほしい。

 誤解のないように言い訳をさせてもらうと、何も俺たちは下界を垂れ流しの便所だと考えていたわけではない。天上こっち天上こっちで衛生的に処理している。

 ただ、俺たちの先祖のごく一部にアホがいた。わざわざ下界に出向いた上にそこで野グソを垂れ、しかもそれを放置したような。さらには、当時は猿同然だった人間がうんこを拾って喜んでいるのを見て、大笑いするような。

 そう、多くの文化で「天使が虹色鉱イリサイトをもたらした」という伝承があるのはそういうことだ。改めて書いてみると、下界に垂れ流していたほうがまだマシだったかもしれない。重ね重ねすまないとは思っている。


 とはいえ、人間も下ネタは好きだろう? 俺は知っている。うんこをこねくり回して喜んでいる未開の文明に接したら、可愛く見えたり愛着が湧いたりするのは分かってもらえないだろうか。そう、だからこそ俺たちは人間に様々な技術を教えたのだ。

 アホの所業を擁護するつもりはないし、恩を着せているわけでもない。俺たちの先祖の中には、「我々のうんこで文明を築かれると恥ずかしい」という純粋な想いから人間に手を差し伸べた者もいることも書き添えておく。

 何が言いたいかというと、俺たちが多少干渉したとしても、人間の文明は人間だけのものだ、ということだ。実際、下界の発展──というのも上から目線なのだろうが、気持ちとしては伝わるだろう──は目ざましく、先祖たちを驚かせた。天使とか呼んで闇雲に崇めるだけでなく、俺たちから学んだり、対等に交易したりしたい、という機運も出て来た。中でも、虹色鉱イリサイトは、人間たちが求める最たるものだった。


 虹色鉱イリサイトを求められて俺たちの代表者が顔を顰めたのを、人間側の代表者は天使の怒りを買ったと恐れたという。遅ればせながらのことではあるが弁明させてもらうと、何度も繰り返したように虹色鉱イリサイトは俺たちにとってはうんこでしかないんだ。金銀財宝を積まれてうんこが欲しいと言われても、はいそうですかと尻を出すことはできないのは分かるだろう。

 浮遊島は虹色鉱イリサイトの七色の輝きに彩られた理想郷──と描く地上の画家や小説家もいたと聞く。うんこを壁に塗りたくって喜ぶのは、躾のなっていない幼児でなければ変態だ。変態の発想を陶然とした面持ちで語られた俺たちの代表者の気持ちを、少しだけ思い遣って欲しいと思う。


 そう──ここで、俺たちは大きな問題に直面することになった。

 虹色鉱イリサイトが俺たちのうんこだなどと、人間に知られてはならない。彼らの王宮や神殿、王の冠や神官の笏を飾るのが俺たちのうんこだと知ったら、多くの人間は動揺するだろう。地上の混乱は想像に難くないし、俺たちも光り輝く天使様から、うんこを人に贈る──文字通りの!──クソ野郎に堕してしまう。

 戦いの術の開発にも余念がない人間のことだ、侮辱されたとして浮遊島に攻め込んでくるかもしれない。最近の彼らは、飛行船を発明したりドラゴンを飼い馴らしたりと油断できない。うんこが原因で天上と下界の大戦争? まったくもって馬鹿馬鹿しいし恥ずかしい。


 というわけで、俺たちは鉄の掟を自らに課した。すなわち。

 決して人間の前でクソを垂れるな漏らすな。奇跡の虹色鉱イリサイトの正体を決して知られてはならない。「虹色鉱イリサイト? そんなものは天上こっちでは見たことありませんねえ。我々の住まいを見てみますか? どこにも使われていないでしょう?」という顔を貫くのだ。

 もちろん、人間と長時間の接触はできない。事前の飲食物には十分に気を配り、使者や交渉役は胃腸の強い者を厳選して。

 会食の席を用意できないのは無礼だし、天使は飲み食いしない、だなんて風説を流布させることで、実体と乖離した「神々しく美しく清らかな天使様」の像が広まってしまうのもよろしくはない。いや、よろしくはないが、「天使はうんこしない」という幻想を持たせられるならそれはそれでアリかもしれない。

 上述の通り、天使は美しい種族だと考えられてもいる。その虚像に全力で乗っかるのも良いのではないだろうか? いや、それは自ら泥沼にはまるようなものだろうか? だがしかし──


 そんなジレンマと緊張感を抱えながら、俺たちは慎重に人間との交流を深めていた。ここまでが、前提だ。

 こういう背景を背負って、俺はとある国が作った飛行船に大使として招かれていた。足もとに見下ろすのが、果てなき雲の海ではなく、緑の森や草原であることに目を瞠り、たいそうな「天使様」扱いに恐縮しつつ、天上の評判を下げないように肩ひじ張っていた。──そして、猛烈な便意に襲われていた。


      * * *


 俺の前を歩いていたシャイアが、心配そうな面持ちで振り返った。


「どうかなさいましたか、大使様? 歩くのが遅くなっておられるようですが。地上の空気に、何か悪い影響があったりは──」


 首を傾げるにつれてさらりと揺れた銀の髪に、顰めた眉の下の碧い双眸そうぼうに見蕩れることができたら、どれほど良かっただろう。

 「天使様」の接待にあたって選び抜かれたのだろう、シャイアは、容姿の美しさも洗練された立ち居振る舞いも、真摯な礼儀正しさも、すべてが素晴らしい女性だった。会談や交渉が無事に終われば、役得だったと綺麗な思い出にできたのだろうが。


「い、いえ。何でもありません」


 引き攣った笑みで応えながら、俺は必死に腹痛の原因を考えていた。


 大使に選ばれる以上、俺の胃腸の強さは折り紙付きだ。そもそも、下界に降りるにあたっては数日前から口にするものに気を遣う。どう記憶をひっくり返しても、腹を壊す可能性のあるものはなかった。胃薬さえ呑んできたのに。


 いや──あの胃薬こそが、原因だろうか?


 人間との交流を、屈辱とか言って嫌がる過激派もいる。こちらから渡しておいて勝手な言い分だが、うんこをありがたがる汚れた種族だ、とかいって、俺たちは天上に閉じこもるべきだと考える連中だ。そいつらが、俺の薬に何かした、ということは? 人間との戦争上等で、虹色鉱イリサイトの真実を暴露しようとしている、とか?


 だとしたら、あれは胃薬ではなく、強力な下剤だったりしないだろうか。


 青褪めた俺の顔を覗き込んで、シャイアはますます眉を顰めた。


「ですが、お顔の色が」

「大丈夫です! お構いなく!」


 種族間の関係以上に、好ましく思った女性の前で脱糞するか否かは俺の尊厳にとって一大事だった。無事をアピールすべく張り上げた声は、だが、腹から鳴り響く異音によって掻き消される。


 ぐぎゅるるる──


 シャイアの顔が強張ったのを見て、俺は終わった、と思った。種族の違い、住まいの高低を問わず、この音は共通しての予兆なのだ。


 俺のケツから虹色鉱イリサイトがひり出されたら、彼女はどう思うだろう。否、この飛行船に乗っている人間たちは?

 うんこ塗れの俺を余所に、虹色鉱イリサイトのひと山を見て狂喜乱舞するのだろうか。その後、俺は、お漏らし野郎はどうなるのだろう。腹かっさばかれて解剖されるならまだマシだ。

 金の卵を産むニワトリ、とかいう言い回しがあるのは知っている。金の卵ならぬ奇跡の鉱物を垂れ流す「天使」は、大事に鎖につながれて飼われるに決まっている。


 無為無気力の比喩ではなく、文字通りのうんこ製造機としての余生を予感して、俺が絶望した時だった。シャイアは、俺の手をひっつかむと、思いがけないほど強い力で引っ張った。


 ケツの穴にかつてない意識と力を集中させて俺が引っ張られた先には、小さな扉があった。


「こちらです。早く──慣れないかとは存じますが、お好きにお使いくださいませ!」


 小さく、けれどはっきりと。そして同時にこの上ない労わりを込めて彼女が囁いたこと。それに、扉のサイズ感から、俺は瞬時に理解した。


 これは、便所だ。シャイアは、俺の窮地を察して、必要な場所に案内してくれたのだ。天使はうんこしない、と。人間の間では広く信じられているであろう説を咄嗟に捨てて、俺の尊厳を守ろうとしてくれたのだ。なんて聡明で心優しい女性だろう。


 ああ、だが。俺は彼女の好意に縋ることができない。だって、俺は人間の便所の構造を知らない。飛行船の内部に溜めておいて、後でどこかに流す仕組みだとしたら、結局のところ虹色鉱うんこの真相が知れ渡ってしまう。


 だから、こうするしかない。


「──ごめんなさい!」


 子供のように泣きながら謝ると、俺は、示された扉のに駆け込んだ。便所の隣だからと考えた通り、中は掃除用具を置く物置のような空間だ。だが、ありがたくも窓はある。


 慌ただしく扉を閉め、同時に窓に飛びつく。開け放った窓から入る風に煽られる中、尻をまくる。これを一秒で行って、俺は。剥き出しの尻を、宙に突き出して。


 圧倒的解放感。と、敗北感。


 噴出した七色の物体は、光り輝いて風に乗り、野に山に降るだろう。白昼の流れ星さながらに、指さして願いをかける者もいるかも。

 そして見つけた人間は、あるいは伏し拝み、あるいは目を輝かせて拾い上げるだろう。そして、祭壇に祀られたり、王に献上されたり、病気の子供を救ったりするのだ。俺の、緩めの便が。


 悪夢のような想像に、俺は尻を窓枠に嵌めたままで頭を抱えて涙した。終わってしまった。俺の仲の何かが砕けた。もはやこれまでの俺ではいられない。この屈辱、この羞恥を抱えてこれからどう生きれば良いのか──と、そこへ、扉を開く控えめな音が響いた。


「あの──」


 シャイアの顔を直視できなくて、俺は顔を両手で覆った。哀れみか、軽蔑か。「こいつ便所の使い方も知らないの……?」という呆れか。どれであろうと見たくなかったから。だが──


「お気になさらず。誰にでもあり得ることだと、思いますから。天上の方々の生活について、私どもも想像が足りておりませんでした。皆様は──天使ではなく、私どもと同じく血が通った存在、なのですね……?」


 シャイアは、素早く用意してくれたらしい濡れた布で、俺の顔を拭った。そのまま渡してくれたのは、身体を清めるのに使えということなのだろう。


「……ありがとう」

「とんでもない! あの、この機会に、天上の習慣についてもっと教えてくださいませんか? 必要なことだと、思うのですが」


 礼儀正しく俺に背を向けながら、シャイアは提案した。真摯な呼びかけは、傷ついた俺の心によく染みる。


 ああ、まったくその通りだ。

 隠し事をしながら交流なんて無理があるよな。俺たちは、ものも喰えばうんこもする、普通の生き物なのに。そのていどのことも教えておかないから、こんなことになったんだ。俺たちは、お互いにもっと理解し合う必要がある。その第一歩を、今こそ踏み出そう。


 ちょっと虹色の染みがついた布を、慎重に丸めて懐にしまって身だしなみを整えてから。俺は、シャイアの背に跪いた。


「結婚してください」

「──はい!?」


      * * *


 ──というのが、俺とシャイアのなれそめだ。ちなみに飛行船の便所は垂れ流し方式だったので、俺は無駄に尻と醜態をさらしていた。

 改めて書くと本当に恥ずかしくてみっともない。願わくば、この手記が公になるのが俺の死後百年は経ってから、孫より下の世代になってからでありますように。


 天上と地上を繋いだ最初の夫婦の記録に対しては、きっと色々な期待があっただろうし、たぶん応えられていないと思う。その点については申し訳ない。

 謝ってばかりの文章だが、俺たちはそもそもそんなに傲慢な種族ではないんだ。これを書いている今現在も、天使とか呼ばれて思い上がっている奴らがいるのは分かっているが、一部の例外だと思って欲しい。あるいは、過去の遺物になっていれば良いのだが。


 俺のあの窮地とは関係なく、虹色鉱イリサイトの真実は結局、人間の知るところとなってしまった。その結果、目を覆うような悲惨な──うんこ的な意味ではなく、倫理面の話だ──出来事も起きている。この手記には、それらへの対策や教訓が求められているのかもしれない。

 だが、実のところ俺にはたいそうなことは言えそうにない。俺ほど深く人間とかかわった者はまだいないが、この手記が読まれることにはよくある話になっているだろうから。後世に役立つとしたら、シャイアの優しさと心の広さのほうであって、彼女は彼女で有益な助言を遺しているだろうから。


 だから、俺が遺すのはありふれた助言、あるいは惚気のろけだ。それで良いなら、最後まで読んで欲しい。


 結婚するなら、一番みっともないところを見ても受け入れてくれる相手に限る。

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