最終話side-Y

森野もりのさん?」


 わたしは問う。


「森野さん、もしかしてそこにいらっしゃるのですね?」


 風が小さなき声を上げた、ような気がした。


「今まで、ありがとう。……ありがとうございました。あなたがいてくださったから、言一こといちさんは救われた。だけどもう、さようならなのですね」


 答えない。

 誰も、答えはしない。


「とっても楽しかったです。いつも笑わせてくださり、ありがとう。森野さんのこと、だいすきですよ!」


 言って私は傘を放った。


 走る。豆粒のような大きさになった言一さんの背中を追う。ただでさえドレス姿は走りにくい。おめかししてきたことを後悔する。雪がぺたぺたと貼りついて、ふとももは服と密着した。肺が熱い。燃えてしまう。燃え尽きる前に、神様、どうかわたしに力を。


(Nives auxiliatus sum tibi――)


 ――――え。


 言一さんが転んだ。高架の階段の最後のところ。きっと足を滑らせたんだ。痛そうにしていて、しばらく動けなさそう。わたしは最後の力を振り絞り、階段を上がった。


「言一さん!」


 言うが早いか、わたしも倒れこんだ。言一さんに覆いかぶさる形で、二人、抱き合う。


夢里ゆめさとさん、やめてください!」

「やめません!」

「私は自分の住む街に帰らないといけないのです!」

「いやです! 帰らないで……帰らないでください!」

「なにを……あなたには、森野がいるでしょう」


「……あのね、言一さん」

 わたしはすっくと立ち上がる。言一さんは肘を地面について、じっとこちらを見ている。




「森野さんという方は、ほんとうはいらっしゃらなかったのですよ」




「は……あ……?」

「スマホ、出してください」


 使ったことのないスマートフォン。たしかみんな、こうやって上に指をスライドさせて……あった、これだ。このロゴ。LINEは、これのはず。


「……やっぱり」

 わたしはひとりごちる。全ては、わたしの想像していたとおりであった。


「これ、メモ帳でしょう。自分のメモを書くページだと思います。言一さんあなた、ここで森野さんと会話をしていますね。ずっと、お一人で」

「な……」


 どうやら言一さんにも、ついに見えたようだ。言一さんの息が荒くなる。

 そうだ。この人は誰よりも小説家になりたいと思ってきた。自分の小説に自信があった。もちろんそう思うだけの素質と力はある。だけど結果を出せない焦りが、彼のこころを蝕んでいった。森野かなめとは、彼がつくり出した、自己防衛のための『自分自身』だったのであろう。


「う……」


 言一さんの視線が虚空を泳ぐ。やがて引きつけるような息とともに、大粒の涙が頬を伝った。


「うっ……うっ……」


 その時、言一さんの手からなにかが落ちた。本だ。『謹呈』と書かれた本。

 そう、わたしにはわかっていました。

 今日はあなたの夢が叶った日。日本中の人が、書店であなたの本を見つける日。そしてあなたが、あらたな夢を見つけるであろう日だということを。


「言一さん」


 わたしは言一さんを強く抱いた。そのまま力を入れて抱き起こす。そしてまた、両腕を彼のせなの中心で、固く閉じた。


「言一さん……言一さん……」

「うあう、あう、夢里さん、夢里さぁん」

「もう大丈夫ですよ。こわくないこわくない」


 そしてわたしは、彼の耳を目がけて、小さな声を放ったのだ。


「むかえにきてくれて、ありがとう」


 そのときだった。



 ブイーン、ブイーン。

 ブイーン、ブイーン。



「…………え」

「あら」


 二人して、言一さんのスマホに目をやる。会社、と書かれていますけれど……。

 言一さんは大きな唾をひとつ呑んで、スマホの画面に指を置いた。


『こらてめえなにやってんだ! 早く会社来いこらぁ!』

「え、いや、今日はコロナになるって……」

『んなもん嘘に決まってるだろーがー! ふざけんなてめえ、早く来い!』


 そして、通話は終わった。


 言一さんは泣き笑いでわたしを見て、「怒られちゃいました」とひとこと。わたしは「行ってください。でも、慌てないでよろしくてよ」と答えた。

「へ。……当たった」

 なんのことでしょう?

 それより、それより。


「言一さん、今夜、お仕事が終わったらまた来てください」

「今夜?」

「ええ。両親には話をしておきます。ラザニアをつくってお待ちしていますので」

「ほんとですか!? それ、すごくうれしいです! がんばってきます!」


 それから言一さんはロボットのようにくるりと背を向けて。

 また、首だけでこちらを向いた。


「夢里さん、なにか言いましたか?」

「いいえ?」


 わわっ。聞こえちゃったのでしょうか?

 だとしたら、わたし失敗!

 コツン、と自分の頭を叩く。


 あんなこと、聞こえてくれちゃ困るのに。




(――フクロウト、コノヨデ、ユックリコトコトニコマレタイワ――)




 なんてね!




☆★☆★☆ (n*´ω`*n)おしまい🦉 ☆★☆★☆

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夢里さんを口説く 木野かなめ @kinokaname

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