第301話 こぼれ話「上近江美空の過去」
【まえがき】
時系列
286話「春よりも先に夏が来ました」よりちょっと前の話です。
▽▲▽
上近江家の第一子として生まれた私は、幼い頃から手のかからない子だった。
自分で言うのもおかしな感じがするけど、親や親戚、幼稚園の先生にも褒められていたから『手のかからない子』と自覚していたのだ。
自分よりも大きな大人が、大好きな親が褒めてくれるから――。
私はそれが嬉しくて、幼いながら一生懸命に良い子でいるように努めた。
我儘を言わず、家の手伝いをして母を助け、自ら率先して読み書きを覚える。
我ながら本当に”良い子”だったと思う。
けれども、それがいつしか当たり前になった。
私が良い子でいることも。手伝いをすることも。
良い子でいることが”普通”だから、褒められることもなくなった。
褒められなくなったことは寂しかったけど、大人がする家事をできることは、どこか誇らしかった。
そのせいか、私の嬉しさは「褒められる」から「両親が喜んでくれる」事へと変化していった。
小学一年の頃から料理も覚え始めた。
そしてきっと――。これが引き金になったのだ。
自分の事を何でもできるようになった。
父も母は私にそう思うようになった。
「美空はしっかりしているから一人でも大丈夫ね」
と言って、父は出世したこともあり、休みもなく遅くまで帰らなくなった。
母はこれまでの埋め合わせをするかのように、出掛ける回数が増えていった。
これまでは私を連れてくれていたが、私は一人お留守番が当たり前となった。
「うん、いってらっしゃい」と見送らず、
「私も連れて行って」と言えばいいと、美緒ちゃんには何度も言われた。
けれど、我儘の伝え方を忘れてしまった私にはそれが難しかった。
ううん――。我儘をいう事で、これまでの”良い子”の自分がいなくなることも怖かったのかもしれない。
親が期待する自分じゃなくなることが、もしかしたらそれがきっかけで嫌に思われる事が、幼い私は怖かったんだ。
だから私はいつも「うん、いってらっしゃい」と笑顔を作り、母を見送った。
勉強も運動も得意。先生のお手伝いをする。困っている子がいたら声を掛ける。容姿も整っている。片付けは少し苦手だけど、それ以外の何でもできる私は学校でも人気者だ。
喜んでもらいたい。そう思ってもらえることが嬉しかったのだ。
不在がちな親から得られなくなった承認欲求を他者に求めた。
尽くし癖だ。
そんな尽くし癖で得られる喜びはその時だけ。
家に帰ると置手紙。
その置手紙もいつしかなくなり、夜はいつも一人。
ご飯を作り、お勉強をして、好きでもない動画やテレビ、雑誌や漫画を観て話題作りのお勉強。
お風呂に入り、あとはおやすみ。
誰にでも公平に接する母。好奇心旺盛で明るい性格。多趣味なこともあり誰とでも打ち解けることのできる人。だから当たり前だけど友達が多い。
だから仕方ないと割り切っていた。
でも、週末は美緒ちゃんが遊びに来てくれるから、それは毎週の楽しみだった。
学校の子も「美空ちゃんの家にいきたい!」と言ってくれるけど、親が不在の家に呼ぶ事を躊躇ってしまい、私は頑なに断っていた。
だから、ずっと一緒に育った美緒ちゃんだけしか招く事ができなかった。
「また散らかして……」
そう言って、呆れた溜息をだし、美緒ちゃんは私の部屋を片付けてくれる。
代わりに私が夕飯を振る舞う。そんな週末が楽しみだった。
だから私は自分の部屋だけ、適当にしていたのだ。
今思えば、私は美緒ちゃんにだけは昔から素直に甘える事ができていたのかもしれない。
だから――夜も一緒の布団で美緒ちゃんと一緒に寝たかった。
けど、保護者のいない家に子供が泊まる訳にもいかず、美緒ちゃんは夜には帰ってしまう。
「美空がうちに泊まりにきてよ」と誘ってもらえていたが、断っていた。
“良い子”がよそのお家に迷惑を掛ける訳にいかないと考えていたから。
あとは――今日は、おやすみ前に母が帰って来るかもしれない。
そんな淡い期待を抱いていたからだ。
寂しさはあったが、両親からの愛情は確かに感じていた。
授業参観などの学校行事や私の誕生日、クリスマスなどは、父も母も時間を作ってくれていたからだ。
だから私は日々を過ごしてこられたのだろう――。
寂しいという感情は時間が経てば慣れてくる。
麻痺かもしれないが慣れだ。
体の成長に伴い、心も成長したことで寂しさを覚えなくなったのだ。
そして、それを自覚した頃。
小学5年の7月。
母が体調不良で医者に掛かった時、5月中旬頃に妊娠していたことが発覚。
そして3月に美海ちゃんが生まれた。
このことで母は家にいるようになり、父も任されている役職に慣れ、仕事を抑えるようになったことで、家にいる日が増え始めた。
大きな声で泣き叫んでいたと思えば、私の指をギュッと握り、笑い掛ける美海ちゃんが可愛くて、振り回されて、私も両親も美海ちゃん中心の生活へと変わっていく。
複雑な気持ちではあったけど、家族の時間が増えた事は純粋に嬉しかった。
新しい趣味と言って、母はよくコーヒーを淹れるようになった。
そしてコーヒーの淹れ方を私に教えてくれた。
母から何かを教わることが、久しぶりで嬉しくて――私はコーヒーの苦みのよさが分かりもしないのに、夢中になり覚えた。
楽しかったのだと思う。母と過ごす時間が私には貴重で。
そんなある日。私が中学3年。美海ちゃんが3歳になった頃だ。
「美空、私は福島にできた新設校へ行くつもりです――。あなたはどうする?」
と、美緒ちゃんが突然告げてきた。
両親よりも、誰よりも長い時間を一緒に過ごして来た美緒ちゃん。
新潟と福島はけして遠くない距離だけど、中学生や高校生にとっては気軽に会えなくなる距離だ。
だから私は――ギリギリまで悩み、考えて――――。
久しぶりに我儘をいう覚悟を決めて、親に話した。
「寮もあるのね――うん、話は分かった。でも、お姉ちゃんがいなくなったら、美海が寂しくなるわね?」
自分の名が呼ばれたことで、『ん?』とキョトン顔を向ける美海ちゃんには罪悪感を覚えてしまった。
そして、この時はまだ気付けない棘が心臓に刺さった痛みを感じた。
「美海にはお母さんが付いているから平気でしょ?」
「この子は手が掛かるから、まだまだお母さんも付いているつもりだけど、お姉ちゃんがいなくて寂しく感じる気持ちはまた別でしょ? 近くの学校じゃダメなの?」
母は続けて「ねー?」と美海ちゃんの頬をつつきながら、私の顔も見ずに言った。
また痛みが走った。
「……もう、決めたことだから」
「決めたって美空あなた、ね…………いいわ、分かった。美空がどうしても行きたいなら、お母さんはもう反対しない。それに、お友達と離れたくない気持ちはお母さんも理解できるから」
「……うん、ありがとう」
「でも、夏休みとかの長い休みは帰って来てね? あと、毎日必ず連絡する事。それが条件よ」
我儘を言った私にどこか呆れつつも、母は心配な表情を作り条件を提示した。
でも、心配されることは久しく感じていなかった事でもあり、私は嬉しい気持ちにもなった。同時に、心配させてしまった罪悪感にも襲われていた。
それから――。高校へ入学して、寮生活も慣れた1年の終わる頃。
2年生への進級を控える3月。
美海ちゃんが5歳になった頃に、新潟から福島の今居住する場所、父の故郷に引越してきたことで、私の寮生活に終わりを迎えた。
同じ県内でも通学に2時間を必要する為、学校に近い寮から離れたくなかったけれど、県外に実家があることが寮に入れる条件となっていたから、帰らざるをえなかったのだ。
そして、それは私になんの相談もなく、直前になって告げられ決行されていた。
「……お母さん、どうせなら学校の近くに越してきてくれたらよかったのに」
「お母さんも最初はそのつもりで探していたんだけどね、お義母さんが近くにいるほうが美海も寂しくないかなって」
やはり私を見ないで、美海ちゃんの頭を撫でながら母は言った。
美海ちゃんを盾にされたら私は何も言えなくなってしまう。噤むしかできない。
勉強やアルバイト、四姫花に選ばれた事で生徒会活動へ協力する必要もあり、忙しくしていたから、往復4時間という貴重な時間を奪われた私はその不満をぶつけたかったのに、その前に封じられた事で内に抱えることになった。
「美空ばかりに負担をかけて悪いわね……まさか、寮にそんな決まりがあったなんて知らなくて」
「私、前に言ったよ? 資料も集めて、お母さんに全部説明したよ!?」
「そうだっけ? あの時は美海をあやすのに――」
「私を見てよッッ!!?」
「ちょっと、美空? 美海がおどろくで――」
「いつもそう!! あんたたちは美海ばっかり可愛いんでしょッッ!!!!」
長い間溜まっていた思い。そして不満。
それがとうとう爆発してしまった。
私の話は何も聞いてくれない。美海ちゃんばかり。
私にはそんなに時間を作ってくれなかったのに――って、ぐちゃぐちゃになった思いを今の一言に込めて爆発させてしまった。
そして、急に大きな声で叫んだものだから、美海ちゃんは驚き、泣いてしまった。
泣き出した美海ちゃんを見た私はまた罪悪感に襲われた。
泣かせてしまった事に対してじゃない。
泣きたいのは私の方だ。いつでも自由に泣けて美海は狡い――そんな風に、一瞬でも思ってしまった事に対してだ。
そして、感情を爆発させたことのなかった私は、どうしていいかも分からず――。
ただ、その場から逃げ出すことしかできなかった。
「美空!!!!」と叫ぶ母から私は逃げ出すことしかできなかった。
それからの私と両親は、険悪の一途をたどることになる。
“反抗期”と呼んでいいか分からないけど、顔を合わせれば言い争い。
互いの考えや思いをぶつけ合う毎日。
どちらも譲らず、もううんざりする日々が続いていたが――。
ある日。
「うん、いってらっしゃい」と、私が母を見送る時に作った笑顔そっくりに、美海ちゃんが笑った。
それが――その無理して作る笑顔が、私に刺さっていた棘が心を蝕んだ。
だから私は親とぶつかることを止めた。
仲の良い家族を演じながら、高校、大学と徐々に家を空ける時間を増やし――。
美海ちゃんも小学高学年になる。親も家にいる。私がいなくても問題がない。
むしろいない方が、家族3人の方が、平和に過ごせるだろう。
何より、私も在学中に始めたカフェが忙しい。大学も卒業する。
それらを理由に家を出て、二度と帰らなくなった――。
夏休みなどの長い休みに美海ちゃんが私の住むアパートに遊びに来る。
そんな生活が数年と続いた。
「名花に通うから、お姉ちゃんと一緒に住みたい」
と、中学3年になった美海ちゃんが私を頼ってきた。
私はこれを当然に了承。
可愛い美海ちゃんと一緒に暮らせることは嬉しい。
それに、美海ちゃんを置いていなくなった罪悪感。
屈託ない笑顔を奪ってしまった罪滅ぼしでもあり、断ることなど私にはできなかった。
――私が美海ちゃんの表情を取り戻さなければならない。
そんな使命感を抱きながら生活していたのだが、私が何かしなくても、郡くんという1人の男の子との出会いで、美海ちゃんは昔みたいに笑えるようになれた。
さらに――。
直接的には関係がないけれど、その郡くんは私に機会を繋いでくれた。
「ねぇ、お姉ちゃん……。今度の三者面談でね、こう君とお姉ちゃんにね、お母さんが会いたいって……だから、連絡先を教えてもいいかな?」
両親を許したわけじゃない。でも両親ばかりが悪いわけでもない。
だから――。
郡くんが美海ちゃんを救うついでに私の棘を抜いてくれたおかげで、私も今なら素直な気持ちを伝えることができる。
そう考え、連絡先を交換して迎えた当日の26日。
気を利かせた美海ちゃんがいない場で、私と母は約5年ぶりの対面を果たした。
私と美海ちゃんが葛藤に苦しんでいたことへ気付かなかった事に対して、母は謝罪した。
それに対して私は、抱えていた思いや不満をありのままぶつけ、また、素直に甘えられなかったことを謝罪した。
「……母さんを許してくれる?」
まだ思うところはある。でも、楽しかった思い出が今の私を培っている。
そして根底にあるのは、私が母のことを大好きだと思っている気持ち。だから――。
「私より美味しいコーヒーを淹れてくれたらね」
「それって、許す気がないって聞こえるけど?」
「ふふ――それなら特別に、美海ちゃんと一緒に淹れてくれてもいいよ」
「……じゃあ、美海を呼びにいかないとだ」
母が淹れたコーヒーはやっぱり苦かった。
今なら分かるけど、淹れ方が下手だったのだ。
だから私が淹れるものよりも美味しくはなかった。
でも、母の淹れたコーヒーは懐かしくて美味しかった。
「ところでお姉ちゃん? お父さんは?」
「んー……どうしようっか?」
かしこまった空気は疲れてしまう。
だから、ただ謝って謝るだけで済ませてしまいたい。
「お母さんが言うのもなんだけど……お父さんも凄く後悔しているわよ?」
「それなら……文句も言わず美海ちゃんと郡くんの仲を認めてくれるなら、許してあげよっかな?」
「お姉ちゃん!?」
「あら、いい考えね。
最後に。
郡くんの話題が出た事で、笑顔の絶えない苦くて甘い――。
そんな時間を過ごすことができたのだ。
次の更新予定
2024年9月21日 21:00
アルバイトをクビにされたけど同じクラスの美少女に拾われて一緒に働くことになった 山吹祥 @8ma2ki
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