第300話 こぼれ話「モブにも恋愛はできる」

【まえがき】

時系列

第283話「僕は決意しました」と

第284話「はい、やちおんです」の間に起きたバレンタインデーの話です。


▽▲▽


 人は誰しもがその人生においては主人公だ。

 でも、こと名花高校内で見たら、俺はただの『モブ』と分かっている。

 誰からも注目される主人公に憧れた時期もあったけど、その憧れは長く続かなかった。

 頭も運動神経も見た目も、

 どこにでもいそうな、ごくごく平凡な男だと早くに分かっていたからだ。


 そして、この名花高校を一つの舞台や物語とすれば。

 主役はクラスメイトの八千代やちよくん。

 ヒロインは上近江かみおうみさん。

 物語を彩る重要人物は、2人と関わり合いの強い人たち。


 俺、黒田くろだ和人かずとは教室の隅でひっそり過ごす、脚光など浴びることのないただのモブ。


 11月に行われた文化祭。後夜祭の時、あの一瞬までそう思っていた。


 八千代くんと上近江さんの熱に当てられてしまったのだと思う。

 恐ろしい程の熱気だった。

 発生源となった2人は、全校生徒の前で2人の世界に没入した。

 いつだか八千代くんが言っていた。


「青春っていいよね」


 と。そして、八千代くんは誰よりもあの瞬間に青春をしていたのだ。

 青くさくて熱い、とても眩い春風を吹かせたのだ。

 その熱や光に当てられた多くの人たちが、

 未成年の主張という場を借りて、好きな人へ告白しはじめた。

 熱い思いは伝播する。

 波のように伝わる。

 その思いに当てられた。

 握る手の中は汗で一杯だった。

 足や声なんかも震えていたかもしれない。


 でも――この時の俺は生きてきた中で最も主人公だった。


 そしてそのおかげで、いつも優しく話し掛けてくれる、何も面白い話などできない俺に『楽しいね』と微笑んでくれる、いつの間にか好きになっていた白田しろだ友利ゆりちゃんの彼氏になることができた。


 モブはモブなりに、自分の人生を謳歌している。

 八千代くんみたいな主人公へ憧れる気持ちは、もうない。

 俺は友利ちゃんと2人だけの青春を楽しめたら、それでいい。それがいい。そう思えたから――――。




 そして今日は2月14日。バレンタインデーだ。

 これまで一度も女子からチョコレートをもらったことがない鬱イベントだったけど。

 今年の俺は期待している。

 というか、情けないけど手作りが欲しいとお願いしちゃった。

 友利ちゃんはちょっと照れたように笑って『じゃ、一緒に帰ろうね』と言ってくれた。


 087騎士団が出したバレンタイン三カ条によって、

 好きな相手のいない女子は喜び、男子は嘆き悲しんだ。

 俺の気持ちは両方だ。

 三カ条のせいで手作りチョコレートを学校でもらう事はできないが、その三カ条のおかげで一緒に帰る約束ができたから。

 友利ちゃんは大人しい性格だけど友達が多い。

 2人でいられる時間がそこまで多くないから、一緒に帰れることは嬉しかった。


 テスト週間だから午前で学校は終わりだ。

 友利ちゃんは友達の久留米くるめさんとお昼を食べに行く約束していた。

 そしてその後に、俺と一緒に帰る約束を交わした。


 だから、俺はその時間まで図書室で勉強でもしようと考えていた。

 それなのに――――。


「ズッくんと夏姫の仲がピンチだって!?」

「え、まじ!?」

「なんか今日別れるとか何とか聞いたぞ!?」

「おい、和人! お前2人と同じクラスだろ!? なんか聞いてないか!?」


 1月の終わりくらいから、学校で一番有名なバカップルが別れる。

 そんな噂が流れた。

 とんでも美少女を彼女にしているのに、他の美少女を侍らせることを理由に八千代くんが振られる。

 上近江さんに愛想が尽きた八千代くんが、上近江さんを振る。

 そんなバカみたいな怪しい噂が回り始めた。

 でも、俺も含めAクラスのみんなは、あのバカップル2人は絶対に別れたりしない。


 そう確信している。


 けど、他のクラスの男子たちは野次馬魂をたぎらせ、別れる現場を覗き見ようと計画した。

 俺も中学からの友人に誘われたけど野次馬なんて――と思っていたが、ついつい気になって見に来てしまった。

 気になったというのは、別れる別れないどうこうじゃない。

 俺が気になっていることは、あのバカップル2人は一体どんなバレンタインを過ごすのか、その一点に過ぎない。


 俺も思春期の高校生だ。だから彼女と……友利ちゃんとイチャイチャしたい。

 参考にさせてもらいたい。

 その思いから、火傷を覚悟の上で覗かせてもらおうと決めた。


 テスト期間中は部活動や委員会が禁止。そのため、部室や委員会室も使えない。

 図書室は飲食禁止。教室も人が残っている。

 その中で2人が選んだ場所は、完全予約制の小講義室Aだった。


 さすがに扉の小窓から覗いたらばれるだろう、覗きは中止か――。

 そう思ったのだが、誰かは分からないけど、隣の小講義室Bを予約していた人がいた為、それに便乗して、俺たち野次馬は小講義室Bへ、息をひそめ入室した。


 小講義室は教室の半分くらいの広さだから少し暑苦しい。

 可動式間仕切りを解放させたら、教室と同じくらいの広さになるから開放させたいが、そうしたら2人の会話を盗み聞いていた事を気付かれてしまう。


 だから、俺たちは静かに、息を殺し、薄い間仕切りに耳を当て2人の会話へ全神経を集中させたのだが――。


「こう君、はい!! バレンタインデーです!!」

「ありがとう。でもあれ? 1番に渡したいからって、朝学校に来る前にもくれたよね?」

「ふふ――でも、まだ食べられていないでしょ?」

「そうだね、帰ったら食べようと思って」

「うん、だからこれはバレンタインと言う名のお弁当です。これなら一緒に食べられるでしょ?」


 ここで誰かが小声で言った。

『(別れ話じゃないのか?)』と。

 2人で小講義室に入った時点で気付いてもいいと思うが、気付かなかったのか。

 いや、そんなことよりも2人の会話に集中しよう――。


「はい、こう君。あーん?」

「自分で食べる――」

「いいから! あーん?」

「あ、あーん……」


「どう?」

「えっと、凄く可愛い」


 いや、八千代くん。どう考えても味の感想を聞かれていたでしょ。

 凄く可愛いってなんだよ――て、心の中で静かに叫んでしまった。


「え……ち、違うよ! 私は味について聞いたの! う……うれしいけどさっ」

「味はもちろん、最高に美味しいです。あと、やっぱり可愛いって言った事は違わないね」

「も、もう! はい、次はこう君がして――」


 その後も続く、ただただ、甘いだけのチョコレート空間。

 チョコレートがない筈なのに、甘いやり取りを聞かされた野次馬たちの精神的ダメージが限界を迎えた事で、静かに俯きながら退室することとなった。


「誰だよ、別れるとか言ったやつ……」

「独り身には辛いだけだったな……」

「まるで拷問だった…………」


「俺らって愛に飢えてるよな……」

「愛に飢えた男たち、愛飢男あいうえおってか……」

「くそつまんねーのに、さりげなく上手い事言ってんじゃねーよ!!」


「つか、上近江さんってズッくんの前だとあんな感じなのな……」

「めちゃくちゃいろいろ可愛かったな…………」


「「「「「はあぁ……」」」」」


 だから言ったのに――とは言わずに、俺はみんなに気付かれない内に、友利ちゃんと待ち合わせている2階校門へ向かうことにした。

 あとやっぱり、2人のバカップルぶりに火傷した。


 時間通りに合流、そして自転車を手で押しながら歩いて移動する。

 久留米くるめさんとの話やテストの話。

 友利ちゃんは、俺の気持ちを焦らす様に、

 バレンタインデーと関係のない話を広げてくる。

 そして、チョコレート一色に染まる俺は、

 友利ちゃんの話を上の空で聞いてしまった――。


「ね、和人かずとくん聞いてる?」

「え? うん、聞いてる聞いてる」


「うーそ。私、嘘つく人とか適当に相槌打つ人とか嫌いだなぁ?」

「……ごめん。その、言い訳だけどチョコが気になって」


「素直に謝ってくれたからいいよ。それに……そんなにチョコレート、楽しみにしてくれていたの?」

「うん。人生で初めて貰えるチョコが友利ちゃんの手作りだから」


「……そっか。私が初めてか――言っておくけど、私も手作りは初めてだからね? だから味とかは期待しないでね?」


 美味しいに越したことはないけど、正直なところ味は肝心じゃない。

 ダークマターや毒物の様な物じゃなければそれでいい。

 俺は、友利ちゃんから貰えるだけで嬉しいと思っているから。

 それに、友利ちゃんが初めて手作りしたチョコを俺にくれるってだけで、飛び跳ねたくなるほど嬉しかった。

 でも、『手作りは』ってことは、過去に誰かにあげたことはあるのかな……。


 嬉しい気持ち9割。嫉妬1割。

 ちょっと複雑な思いを持ったまま、友利ちゃんからチョコをもらう為に公園へ立ち寄ることに。


「……どうぞ。和人くんお待ちかねのバレンタインチョコレートです」

「ありがとうございます! 友利ちゃん!!」

「え~!? ちょっともう……大袈裟だよ和人くん」


 感激のあまり、卒業証書を受け取る時よりも深々と頭をさげてしまった。


「嬉しくて、つい。えっと、今食べてもいい?」

「うん……恥ずかしいけど、味の感想とか聞きたいかな。和人くんの口に合うといいんだけど――」


 淡い黄色した紙袋から、綺麗にラッピングされた長方形の箱を取り出す。

 チョコは食べたら無くなっちゃうけど、この紙袋やリボン、箱とかは大切に取っておきたい。

 だから破いたりせず、丁寧にラッピングをといていく――。


 そわそわ――いや、ドキドキかな。

 感じた事のない気持ちで蓋を開くと、紙袋よりも淡い黄色……ホワイトに近い宝石チョコが出てきた。


「ホワイトチョコ?」

「レモンとホワイトチョコのトリュフにしてみました」

「友利ちゃんの手作り……だよね?」

「そうだよ、レシピ見て頑張って作りました」


 俺の目には、プロが作った物と遜色ない様に見えた。

 形も色も綺麗で本当に美味しそう――手を付けるのが勿体ないくらいだ。


「苦手な食べ物はないって言ってたけど……和人くんはレモン嫌いだった?」

「あ、違う! 凄く綺麗で食べるのが勿体ないって思って!」

「よかった――。でも、ありきたりなことを言うけど、和人くんの為に一生懸命作ったから、美味しい内に食べてもらえたら嬉しい」


 少年漫画や少女漫画でよく見るやり取り。

 バレンタインの日に、いつか彼女から言われてみたいと想像していたセリフ。

 それをまさか聞ける日が来るとは。

『いただきます』。そう言って、5個あるうちの1個を指でつかみ取り、そのまま初めてのバレンタインチョコを一口で食べる。

 ゆっくりと大事に味わいながら飲みこむ俺の横顔を、友利ちゃんは静かに見つめている。


「どう……かな?」


 不安と期待が入り交じったような表情だ。

 俺が緊張していたように、友利ちゃんも緊張していたのかもしれない。

 今まで見た事もない友利ちゃんの真剣な表情や眼差しは、不覚にもドキッとした。

 まあ、俺は友利ちゃんに不覚を取ってばかりなんだけど……。


 あと、盗み聞いた時は理解できなかった。

 でも、突拍子もなく上近江さんを褒めた、八千代くんの気持ちが痛い程分かった。


「その、凄く可愛い」

「……美味しくなかった?」



 ああああぁぁぁーー……俺のバカ!!!!



 八千代くんの真似などせず、素直に美味しいって言えばよかった。

 そうすれば、こんな悲しい表情をさせずに済んだのに!!


 すぐに美味しいと言い直したけど、中々信じてもらうことができない。

 頑張って、みっともなく、ありのままを白状したことで、

 ようやく信じてもらうことが叶ったけど――。

 盗み聞いたことや八千代くんの真似をしたことは凄く怒られた。

 信じて貰えたのに、いろいろ失ったようにも感じる……。


「……あと10日で3カ月なんだけどな」


 友利ちゃんの呟きに何も返せないまま、俺はチョコを口に入れる。

 やっぱり凄く美味しい。

 来年も友利ちゃんの手作りチョコ食べたいな。

 これが原因で振られたりして。

 付き合って3カ月目が最初の難関だって聞くしな……。


「ねぇ……和人くん」

「はい……」


 どこか緊張を帯びた声色に聞こえた。

 ああ――振られちゃうのかな。

 友利ちゃんの顔を見るのが怖い。

 これはきっと、八千代くんたちを覗いた罰なのかな。

 そう思いながら、また一つチョコを口に入れる。


「………………ファーストキスがレモンの味って本当かな?」

「どうだろう? したことがないから分からないや」


 あれ? もしかしたら別れ話じゃない?

 その嬉しさで、俺の頭はお花畑満開になってしまった。

 だから、この時に友利ちゃんがどんな気持ちで、どんな顔で言ったか分からない。

 でも――でもでも――。


「私の言った意味――伝わらなかったかな?」

「い、み……??」


 いみ、意味……意味――。

 友利ちゃんが何を言いたいのかまるで分からない。

 ファーストキスはレモン味かどうかの意味ってこと?

 今日は失敗しかしていない。

 これ以上は幻滅されたくない。だから頑張れ、俺!!

 言葉を咀嚼するのと一緒に、口へ入れていたチョコを咀嚼する。 

 甘いホワイトチョコの味。それから鼻に抜ける、後味爽やかなレモンの香り。

 ああ、やっぱり凄く美味しいな。

 もっと食べたいのにあと2個しか残っていないや。

 また食べたい、な…………。


 ん?

 んんん???

 んえ…………レモンの、香り?


 ファーストキスはレモンの味?

 それが本当かどうかを問う質問?

 そして伝わらなかったと言った意味?

 全てが繋がり、気付いた俺は『ばっ』と顔を上げて、友利ちゃんを見る。


 友利ちゃんは、今の挙動で俺に伝わった事が分かったのだろう。

 何も言わず、ただただ、目を合わせてくれている。


「……私も一つ食べていい?」

「うん……どうぞ」

「ありがとう。……和人くんも、あと一つだから食べちゃって」

「うん……」


 正直なところ。

 ただ――友利ちゃんと見つめ合い、互いにチョコを食べることを。レモンの味を。

 意識してしまったせいで、最後に食べたチョコの味は曖昧だ。

 その曖昧な記憶でさえも、この直後に忘れてしまうことになった。


 でも――。


 ファーストキスが甘くも爽やかな青春レモンの味だった事は鮮明に覚えている。


▽▲▽


【あとがき】

ちなみに、美海は盗み聞きされていた事に気付いていました。

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