ミョウガの妖精
佐藤宇佳子
あるいは、がにまたのおっさん
いらっしゃーい、お嬢さん。人間世界へ、ようこそー。
――こら、そこ、なに引いてんの!? こら、そこ、なに隠れてんの?! だだだ誰ですか、だって? あのねえ、人に名前を尋ねるときには、まず自分が名乗りなさいよ! まったく、礼儀知らずな小娘ね。
とととトンビです? うふ、そうね、そうでしょうね。実は知ってるわよ。へへ、連絡来てたから。
今日からあんたの名前は
あん? それであなたは誰ですかって? 連絡来るって、どこからですかって? 顔色悪いのなんてほっていてくださいって? もやしは青でも緑でもありません? ヘビクイワシの色が悪いのはクチバシだけで顔は真っ赤です?
ね、ねえ、ひとつずつしゃべってくれない? アタシ、いちどに二つ以上のこと言われると、固まっちゃうのよ。
うん? じゃああなた、誰ですかって? もうっ、かまととか? 本当はわかってんでしょ? ほら、このもりもりの筋肉見てよ。胸筋に腹筋。このたくましい脛、素敵でしょう? うふふ。もうわかったわね?
ああん? わからない?! これだから猛禽はいやあね。なにさまのつもりなんだか。
いーい、アタシはヨシゴイよ、ヨ・シ・ゴ・イ。
え? “ミョウガの妖精”さんですか?
まーっ、やな小娘だこと。そんなどうでもいいゴシップには詳しいのね。失礼しちゃう。いーい、この世界でまともに生きたかったら、アタシのこと、その名前で呼ぶのは止めとくことね。わかった? ん、よろしい。
なんで私が来ることを知っていたんですか? あー、それはね、アタシんところに連絡がくることになってんのよ。三日後に“来る”から、受け入れよろしくーって。ま、ときどき漏れることもあって、そうすると、あとが面倒なんだけどね。
え、誰から連絡が来るかって? あっはっは、そんなのどうだっていいじゃない? ええ、気になる? あのね、あんた、そんなことにうじうじとらわれてるから、青い顔になっちゃうのよ。もっとおおらかに生きなさいよ。現状だけ見てりゃいいのよ。あんたが知ろうと知るまいと、この世は問題なく回るの。実際、じゃんじゃん転生してくるんだから。
そうなのよ、転生仲間って、そこそこいるの。うん、今年はあんたで四人目かな。特別大サービスで教えといてあげるけど、
それで、何はともあれ、住むところと仕事よね。
住むところは、ここから歩いて十五分くらいのところにあるKマンション。三階の三〇四号室に準備しといたから。はい、これ鍵。うん? どうしたの? 早く受け取りなさいよ。手、使えるんでしょ? 先に言っとくけど、口でくわえんじゃないわよ。あはは、わかってるわよ、冗談冗談。
仕事はね、あそこ、見えてるでしょ? Kマート。この市内に三店舗展開しているスーパーね。あそこの青果部門に今ひとり分空きがあるらしいから、そこに入りなさい。
部長は
ほんとにさ、ちょっと足が長くってちょっと背が高いからって、調子こいてんじゃないわよね。小泉八雲に愛されたからなんだって言うのよ、うらやましくなんて、ないもんね。あの足と胴のバランスったら、ないと思わない? 今度会ったらさ、作業着の上着の裾、そおっとめくってごらんなさい。あいつ、胸から足はえてんだから。ほんとよ。笑っちゃうわよね、昆虫かっつーの。
アタシのほうが、よっぽど魅力的だと思うのよ。たくましさも美しさも愛らしさもセクシーさも兼ね備えた、アタシのほうが。
ちょっと、小娘、いまあんた噴き出したでしょ? いーや、絶対、噴いた。見たわよ。ま、あんたなんて眼中にないからいいもんね。
あーあ、どうして同じサギなのにこんなにうけが違うのかしらね。アタシなんて、ろくろ首だの、がにまただの、おっさんだの、あげくの果てに、ミョウガの妖精よ。
あ、また噴いたな。あー、笑い転げちゃって。ちょっとひどいじゃない。アタシ、休日返上であんたの面倒見てんのよ。恩人に対してその仕打ち、どういうこと? あのお高くとまった鶴ですら恩返しすんのよ? 盆暮れの付け届け、けっこう良いもの、もらってる、ここだけの話。それに引き換え、あんたには猛禽の矜持ってもんがないの?
ふふん、いいこと教えてあげよっか? アタシのマンションのとなりの部屋にね、独身のイケメン氏が住んでるの。名前は
ねーえ、確か、猛禽類協会の会長って――
おほほ、青くなった、青くなった。あん? ごめんなさい? すみませんでした? もうしません? ふん、わかればいいのよ。そうよね、あんたも人間になったばかりで動転してるわよね。まあ、何かあったら、アタシを頼ってちょうだい。おいおい、仲間も紹介してあげるから。
あ、そうだ。今からマンションにつれて行ってあげるんだけど、その前にKマートに寄っていこうか。鷺沼さんにも紹介できるし、当面の身の回りのものとか、食べる物も買わなきゃだもんね? あんたの支度金、あずかってるからさ、それで歯ブラシとか、タオルとか、化粧品とか、あと、今日の晩御飯とか、最低限のものを買っていこうかね。あ、お金はね、給料もらえるようになったら返済してね。アタシに預けてくれればいいわ。
え? 誰に返すんですかって? だーかーらー、そんなことは気にしなくっていいの。いーい、今、ここに二十万円あるでしょ? それをあんたにあげるでしょ? あんたは給料から二十万円――分割でいいからね――返すでしょ? ほーら、そうすれば差し引きゼロ。まーったくなんの問題もないじゃない? わかった?
ほら、そこの駐車場の入口から入りなさい。今日はお客さんとして入ればいいわ。そら、すぐ右手が青果コーナーよ。
あ、鷺沼さーん、吉井ですぅ。お久しぶりですぅ。こちら新たにお願いする鳶田です。ほら、小娘、頭下げる。明日からもう出勤させていいですかぁ? 大丈夫? はい、じゃあ、明日の七時に出勤ということで。はい、トビちゃん、わかったね? じゃあ、明日からよろしくお願いしますねぇ。
鷺沼さん、なんだか顔色悪かったわね。女遊びが過ぎるんじゃないのかしら。え? 私あの人知ってます? むかし、城址公園のお堀であのひとが捕まえた鯉を横取りしたことあります? あんたのせいかい! ちょっとー、そんな因縁があって、明日からうまくやれるの? ヤるしかありません? ――黒い笑顔してるわね。あんたが言うとシャレにならないんだけど。まあ、頑張ってちょうだい。
あ、そうだ、ここのさ、精肉部門で売ってる、揚げたてメンチカツ、すっごくおいしいの。葉山牛が入ってるんだってよ。キャベツはもちろん三浦産。ちょっとお高いんだけど、一個ずつ買って、食べながら行かない? ね、ここはアタシがおごってあげる。新生活のお祝いよ。
メンチカツ、ある? 今ちょうど揚げたて? わ、嬉しい。ふたつください。あ、そっちじゃなくて、隣のがいいな、それのが大きいもん。
ああ、そうそう、画眉山さん、こっち、鳶田さん。明日から青果部門でお世話になるからね。元トンビだから。あら、嫌な顔するわね。え、しつっこく追い回されたことがある? あの画眉山さんに「しつっこい」って言わせるんだから、相当だったのね。まあ、昔のことは水に流して、仲良くやってちょうだい。
トビちゃん、わかってると思うけど、このぬめっとしたなで肩の画眉山さんは、元ガビチョウよ。アタシとは筋トレ仲間なの。トビちゃんも、一緒にやる? 筋トレ。あんた、まるで陰キャだけど、実は筋肉あるでしょ? 考えときます? おう、考えときなさい。
さあて、じゃあ行きましょうか。はい。ひとつあげる。おいしいわよ。食べながら駐車場を抜けて行こうか。
――うわわわっ、やだ、なに、なに? いま、何が頭の上をかすめてったの? え、カラス? カラスなの? ちょっとぉ、失礼なやろうだね! 転生してきてもおまえの面倒は見てやらないからね!
トビちゃん、大丈夫だった? ――え、メンチカツ、さらわれた? あらあ、あんた、意外とトロいのね。さっそくやられちゃったか。攻撃には強いけど、守りには弱いタイプね。この先、心配ねえ。大丈夫かしら。
この駐車場さあ、ガラの悪いのが集まるのよ。入口に貼り紙してあったでしょ? 「頭上に注意!!」って。
カラスが数羽でにらみを利かせていたこともあったし、トンビとカラスがかっぱらったコロッケを奪い合ったりもしてたわね。最近はみんな気を付けるようになったから、被害にあう人は減ってたんだけどさ。人間になったその日のうちに、あんた、さっそく手痛い洗礼をうけたわね。あはは、しかたないよ。
はい、アタシの、まだ食べていないからあげる。遠慮しないで。ここのメンチカツ、ほんっとうにおいしいんだから。
うん? どうしたの、変な顔して? 上、見といてあげるから大丈夫よ。食べたらいいわよ? カラスも二個目は狙わないわよ。上見る限り、トンビもいなさそうだしさ。
トンビ――そっか、もうトンビがかっぱらいに来ることもないのかもね。
ミョウガの妖精 佐藤宇佳子 @satoukako
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます