読者は賢いのである――「雑文集」以外読まれない現状について――

 読者は賢い。

たしかに私の文章において一番オイシイところは「雑文集」である。


 

これはジャンルレス(つまり「小説」に限らず何書いてもヨシの)ショートショート集「モドキ(擬)」でもエッセイ的に書いたことだが、

ちなみに第三回「生きていると生まれてしまうもの、文章」(https://kakuyomu.jp/works/16818093081364196623/episodes/16818093082749770467)の末尾に収録されている。


「私と短歌の不思議な距離感――つまり私は歌人ではない――」

からはじまるこの文章は絶妙に私の現状を描いている。

ただ不器用な感じがするのは、このエッセイが

「短歌というものがよくわからないと白状する」側面と

「短歌はこういうものだが、私はこうした短歌が作れていない」という先の面とやや矛盾した側面が同時にあるからだろう。


「歌がなにかわからん」と言うときに「」というパラドックスがあったかと思う。

丁度そのような感じで矛盾を抱えているから、不器用な短歌論が展開されている。


」という点、

それから不器用な短歌論自体から滲み出ているように「」という点は現状をよく反映している。

奇妙に捻れたエッセイだが、真実がある。


「それじゃあ小説書きか?」と訊かれれば「」と答える。

前掲の「生きていると生まれてしまうもの、文章」にも触れられているが、

私は本当に小説が苦手である。


 特に三人称の視点で作者が顔を出さずに淡々と

「××はナントカした」という風な文章が続いているとイヤになってしまう。

作者は生身の存在として(それこそAIでもないかぎり)そこにいるんだから、

そんなに黒子に徹さなくても良いではないかと思う。


 実際に平安時代の「物語」には「草子地そうしぢ」といって作者が読者に語りかける箇所が挿入されている。

「昔々あるところに」という昔話を子に語る時を想像してみれば良い。

自然と聴いている子への呼びかけをしながら語ってしまうものではないか。


 しかしこうした要素を小説に入れてしまうと、

「メタいメタい」と苦情が来る。

「メタいのが正常だ! 〈小説〉なる近代の遺産に執着する変人どもめ!」

と言いたくなるが、それを言い出したら私は

「〈物語〉なる前近代の遺産に執着する変人」ということになりはなはだ不利である。


 私の小説は三つある。

まずは「炎上系WEBライター、鬼ヶ島へ行く」(https://kakuyomu.jp/works/16818093079718623406/episodes/16818093079719104017

というのが一番最初に書いた小説である。

「デスマス調」たまには「デゴザイマス調」を用いることで語りかけの要素を残し、

どうにか書き切ることができた。

一番ウケた小説(現在星が五つ)でもある。


 次にふざけてかいたままになっていて未完結の

「異世界転生したと思ったらゾンビ状態で地獄に流されただけだった」(https://kakuyomu.jp/works/16818093080865598332/episodes/16818093080865899058

という小説がある。

本当にふざけて書いている。

第一回のタイトルが「主人公の名前はジョンである」だ。

この時点でどこかおかしい。


 そもそも小説全体の題も正式に全部掲載すれば

「異世界転生したと思ったらゾンビ状態で地獄に流されただけだった――主人公の名前はジョンだ アメリカ人である めちゃくちゃ強い 無双する しかし敵は世にも不気味な怪物揃いだ とてつもない恐怖譚である――」

という長大かつ無内容なものとなる。

小説のタイトルは長ければ良いというものではない。



 第二回の「おお作者よ! 死んでくれ!――もう二度とこんな作品の続きを書かないでおくれ!」で止まっているのだからある意味という感じもする。

連載中にしてあるからいつでも続きを書くことが出来る。

作者復活である。


 この「異世界ゾンビ」は星レビューこそゼロであるものの第一話のPVが10を超えており、「一応読んだ上でツマラナイと判断してもらえたんだな」という納得がある。

「良し悪し以前に明らかに読まれていない」という状態が頻発するのがカクヨムなのである。


「雑文集」も第五回くらいまではゼロPVが続いていた。

奇跡的に読者に発見された結果どういうわけか読まれている。

ジャンルは「創作論・評論」だったかと思うが、

「創作論・評論」ジャンルは「小説の創作論」で溢れかえっているから

「創作論ではない文章」というだけでかなり不利である。


「異世界ゾンビ」はやはり「異世界」だからか不思議と

「読んだ上での判断」をしてもらえた。

ちなみに第二回の「おお作者よ! 死んでくれ!――もう二度とこんな作品の続きを書かないでおくれ!」のPVは「1」である。

いかに第一回がつまらなかったかがよくわかる。


 それでも「異世界ゾンビ」にも工夫が一点だけある。

それは「どうせ小説書くのがヘタな私のことだから苦労するだろう」

「特に苦労するのは〈場面の転換〉に違いない」

と予測した上で対策をしていた点である。


 結構見た目がダサい対策法なのだが、

〈一話の中を「一、二、三、四……」と場面転換の度に区切る〉というやり方である。

別にアスタリスク(*)で区切っても良かった。

その方が見栄えも良かっただろう。

しかし「連続する数字」にしておくと編集時に目印として便利だったから「数字」に決定した。


 読者は「一」とか「二」とか書いていてその度に〈時間〉や〈空間〉(つまり「場」)」が移動していれば自然と

「ああこれは場面転換のサインか」と納得するだろう。

説明ナシでもギリギリ伝わるのである。


「とにかく長い小説を書く予定があるが、場面転換がヘタだ」という人はこうした

「文章ではなく記号で全部示してしまう」作戦に出るのも面白いのではないか。

文章での表現を捨てているようなものだから小説書きとしては失格だが、

そもそも私は最初から小説など書けると思っちゃいないのである。


 前に提示した「モドキ(擬)」(https://kakuyomu.jp/works/16818093081364196623/episodes/16818093081364762847

というショートショート集も小説だ。

〈見ようによっては〉というのがミソで「小説もエッセイも散文詩もごちゃまぜにしてしまう」のがこのショートショート集のコンセプトなのだ。

小説とエッセイが混ざり合うと「作者の実体験(実話)」なのか「ウソ」なのかすらわからなくなる。


 ある意味「雑文集」以上に「雑文」的混沌を示しているのが「モドキ」である。

それゆえか結構愛着がある。

なんとなく続きを書いてしまうのだ。


 に対してPVはサッパリ伸びていない。

ジャンルは「詩・その他」にしておいた。

最初は「現代ドラマ」だったのだが雰囲気的にが受容されそうなジャンルを探すと「詩」に落ち着いた。

実際私としても「小説」よりは「散文詩」の方が近いように感じる。


 第一回のPVは「5」である。

それなりに読まれているといえば読まれているのだが、

最新の第五回と第四回のPVが「0」だ。


「第一回を読んでつまらなかったから続きを読まない」

というのは理解できる。

しかし「5」ではどうだろうかと思う。

なかなか奇妙でジャンルレスな話だから

第一回の「5」PVでは「良し悪しの判断をしてもらえた」とは考えがたい。


 私が短歌を書いて投稿したのが二作ある。

ひとつ目は「悪漢ダンディズム」といって二十首ある(https://kakuyomu.jp/works/16818093079117467245/episodes/16818093079118200713)。

カクヨムの「俳句・短歌コンテスト」の「二十首連作部門」に合わせて作った。

これが私のはじめての作歌体験である。


 内容は一日で一気に作った。

「短歌」も「連作」もわからない。

特に「連作」というのがわからないから

「一日の間に一気に作歌すれば自然と〈流れ〉が生まれてそれらしく見えるだろう」と考えた。

あとは順番を整理して「連作」らしく見えるよう素人なりに気を配った。

素朴なお話である。


 次に「人形供養」という連載の〈短歌置き場〉を作った(https://kakuyomu.jp/works/16818093079314761591/episodes/16818093080403340242)。

これは何年でも歌を作る限り連載できる。

だいたい一週間に一度くらいの頻度で

「作った歌の内よいものを選び、コンセプチュアルに配列する」ような内容の歌群が更新される。

連作らしい体裁を持っているものもあれば雑詠ざつえいに近いものもある。

〈編集のパワーで「バラバラの短歌たちを連作っぽくする」ことが可能だったか〉

というのが「連作らしい体裁」の歌群と「雑詠」らしい歌群の分かれ目である。


〈先にコンセプトを用意し、それに合わせて詠む〉ということはしない。

とはいえ自然と「気に入ったモチーフ」や「気に入ったフレーズ」は連続して使ってみたくなる。

だから結果的にかなり「連作っぽい」ものが出来上がることがある。


「人形供養」には

「とにかく出来た歌を公開することで賞やコンテストに出せなくし、次の歌を作るプレッシャーに繋げる」という意味がある。

私は歌人ではないからカクヨム以外の賞やコンテストには関心がない。

しかし「未公開の自信作」が手元にあると「次の歌へ!」という意思が鈍ってしまう。

「未公開の自信作」を延々といじくりまわすくらいならさっさと「公開済み」の傷物にしたほうが人生の為に良い。


「悪漢ダンディズム」は星を「12」も貰っている。

肝心の長期連載である「人形供養」は「6」。

別に星が「6」でも良いのだが、PVの伸び悩みが気になる。


 もうそのまんま言ってしまうと「人形供養」は一人の読者しか付いていない。

夜に投稿して一晩寝かせる。「0」PVである。

しかしある熱烈な読者がいて必ずPVを「1」にする。

たまに「応援コメント」を書いてくれることもある。


 もはや一人の読者しかいないのだから交換日記のようなものである。

それでも「一週間で出来た短歌を選択・配列する」というだけの作業はそこまで負担がない。

だから一人しか読者がいなくても「まあいいか」と思ってダラダラ更新をしている。


 さて、一つだけ残った私の作がある。

何を隠そうそれこそが我が「書けない記」だ。

ナントこの「書けない記」、全話トータルでPV「1」なのである。

第一回がPV「1」で、第二回からはもう「0」だ。


 この文章に誰か読者がいるものだろうか。実にあやしい。

それでも「書けない記」を書くのはこうした愚痴を書けるからだ。


 こうした私のカクヨム投稿状況を見回して、結論は「読者は賢い」というものだ。

一番面白い「雑文集」以外ほとんど読まれていない。

それはツマラナイから読まないのである。

ツマラナイ作品を読まない。実に賢いではないか。


 しかしツマラナイ作品を書きながらでも評価してもらう方法はある。

「作者に付く」タイプの固定読者を手に入れることだ。

私は「作者に付く」タイプの読者がいない。

「この作者の書いた文章ならなんでもいい」という信者がいればなにも苦労することはない。


 そういうわけで君、信者になってくれ給え。

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書けない記(き) 妄想機械零零號 @rerego

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