雪がちらついた昨夜とは打って変わって、真夏と見紛うような晴天が訪れた。


 普段なら上機嫌のはずのケヴィンは助手席でラジオのニュースに耳を傾けるだけだった。単調な声のキャスターは透明病患者の犯罪多発と取り締まりの強化を訴えている。


 俺はラジオを消してハンドルを握った。

「ケヴィン、もう少し金が貯まったら中国に行かないか」

「人体の神秘展に売り飛ばす気か?」

「それはもう閉鎖されてる。中国には俺の親戚がいるらいし、中国で透明病の特効薬を開発中だってニュースで言ってたんだ」

 ケヴィンは黙り込む。こういうときは表情が見えないのがもどかしくなった。

「……ロウ、今いくら貯まった?」

「せいぜい旅費の半分だ」

「ひとり分ってことか」

「だから何だよ」


 俺はハンドルを切って通りを曲がる。巨大な銀行が見えた。

 車内の沈黙を破ったのは、銃声だった。

 俺はブレーキを思い切り踏み、ケヴィンの見えない頭を掴んで伏せる。フロントガラスの向こう側に白煙が見えた。

「くそ、何だよ!」

「銀行強盗だ、警察が応戦してる!」


 ケヴィンの言葉を肯定するように無数の銃声が響いた。

 俺はダッシュボードから目だけを出して様子を伺う。銀行を埋め尽くすようにパトカーの波が押し寄せた。

 真昼間の輝く通りに悲鳴と怒号が満ちる。白煙で犯人の姿は見えない。だが、目を凝らすと、スタンプを押したように赤い足跡が路地を点々と染め出した。透明人間か。


 ケヴィンがうんざりした声を出す。

「馬鹿だな、せっかく透明なのに目立つ犯罪をやるなんて」

「犯罪組織に雇われた鉄砲玉だろ。尻尾切りに使われたんだ」

「仲間に恵まれないと哀れだな」


 鈍い衝撃がキャンピングカーを揺らした。運転席のガラスに赤い手形がつく。

 ケヴィンと一緒にいすぎたせいで見えない犯罪者の厄介さを忘れていた。窓ガラスにヒビが入り、血の手形がいくつも重なる。


 透明人間は俺たちの車を奪おうとしている。まずいことになった。逃げようにも警察がいるし、ケヴィンの存在を知られたらまずい。

「ケヴィン、伏せてろ」

 俺は手足を伸ばしてアクセルを踏み込み、闇雲にハンドルを切った。タイヤが柔らかく嫌な感触を踏みしだき、苦悶の声が響いた。


 透明人間を押し退けて大通りへと飛び出す。

 進路に銃を構えた警官が塞いでいた。奴らの仲間だと思われたのか。

 まずいと思うより早く、ひび割れた窓ガラスに火花が乱反射し、爆音が鼓膜を貫いた。



 洗濯機に押し込められたように視界が回転した。

 ダッシュボードに置いていたパンプ小説とティッシュペーパーが俺の腹に乗り、シートベルトが目の前に垂れている。全身の感覚が鈍化して、重みと脇腹の痛みだけを感じた。

 ケヴィンが俺を呼ぶ声が遠い。


「ロウ、しっかりしろ! くそ、破片が刺さってる……」

「何処に……」

 霞んだ視界にケヴィンの姿は映らない。見えない手が俺の腹をまさぐり、肉を抉られる痛みを感じた。

 俺の血を吸ったケヴィンの手が徐々に赤く輪郭を帯びていく。


 ケヴィンは血塗れの手で頭を抱えた。透明な頬がラインマーカーを引いたように彩られて、俺は思わず吹き出す。

「錯乱してるのかよ。参ったな。どうしよう……」頰が震えていた。赤い線が蠢いて俺の腹に近づく。温かいものが傷口に触れた。

 ケヴィンは俺の腹に刺さった鉄の破片を咥えていた。口紅を塗ったような赤い唇が俺に何かを囁いた。

 朦朧とする意識の中、ケヴィンが美人に勝手にキスをしたらこんな風になったんだろうなと思った。



 気がつくと、白いベッドの上にいた。

 キャンピングカーのヤニくさい狭い座席とは違う、広くて清潔な布団だった。背筋がざわついた。


 俺が目覚めるのを待ち構えていたように、年寄りと若者のふたりの刑事が現れてベットを取り囲んだ。

「アレックス・ロウさんですね? 意識ははっきりしていますか」

「ここは州立病院です。安心して」


 何を安心しろと言うんだろう。ここにはケヴィンがいない。もしかしたら、隣に立っているんじゃないかと手を振り回して見たが、いくら指を伸ばしても透明な身体にぶつからなかった。


 年寄りの刑事は憐れむように目を伏せた。

「まだ不安でしょう。大丈夫、ここに透明人間はいませんよ」

「ケヴィンは何処に行ったんですか……」

 俺の声は掠れ切っていた。



 若い刑事が俺にペットボトルの水を差し出してから、スマートフォンの画面を見せた。

 見たことがない桁の再生回数の動画が再生された。


 画面は暗く、最初は何かわからなかったが、覚えのある毛布が見えて俺は息を呑んだ。

 俺とケヴィンのキャンピングカーの中だ。倒した座席にはうつ伏せで眠る俺の背が映っている。


 画面の中央に目出し帽とサングラスとジャケットで全身を覆い隠した男が映った。俺が盗みに入るときの服装だった。

 俺の姿を投影したような男はケヴィンの声で話し出した。


 ケヴィンは今まで無理やり俺を従わせて逃避行を続けたことを語る。

 盗みも殺しも全部自分がやった。ロウは脅して運転手をさせただけだ。いつもの声音とは違う抑えた口調だった。


 ケヴィンは漫画の悪役の理想論をつぎはぎした言葉で、めちゃくちゃな思想を語り、透明病患者の社会に対する報復として犯罪を繰り返したと演説した。

 ケヴィンが一礼し、動画はそれで終わった。



 俺は呆然と白い天井を仰いだ。

 いつからこれを計画していたんだろう。

 俺が盗みに入るとき、監視カメラがない店でも全身を覆い隠す格好をするよう、執拗にケヴィンに勧められたことを思い出す。

 いざとなったとき、ケヴィンは自分だけ罪を被るつもりでいたんだ。



 俺は声を振り絞り、同じ言葉を繰り返す。

「ケヴィンは今何処にいるんですか。逮捕されたんですか」

 年寄りの刑事は首を横に振った。

「身柄は確保できませんでしたが、あの日差しの中を逃げたんです。もういないでしょう」

 言葉の意味を取りかねる俺に、若い刑事が問いかけた。

「ご存知ないですか。透明病の患者は日光が大敵なんです。長時間浴びると全身が溶けて跡形もなく消え去ってしまうんですよ」



 俺はその後、何を言われたか覚えていない。

 刑事たちが去り、看護師たちが俺の様子を見に来て、誰もいなくなった。今が何月かも忘れるほど温かくて快適なのに、俺の身体は透明になったように感覚がなかった。


 白い病室をオレンジの夕陽が侵食し、やがて藍色に塗り替える。俺たちの夜が訪れた。


 俺はベットから身を起こし、誰もいないのを確かめてから外に飛び出した。

 ナイフの刃を押し当てられたような冷気が身体を包む。病院のだだっ広い広場を縁取る街路樹は七色の電飾を絡めて光っていた。星が地上に散らばったような光景だった。


 路面に薄い光が反射し、目を凝らすと路面に一双の濡れた足跡が残っているのが見えた。

 ケヴィンが来たのかもしれない。俺は足跡が徐々に増え、こちらに向かってくるのを待った。


 足跡は増えない。与太話を続ける騒がしい声も聞こえないし、手を伸ばしても温かい体温には触れない。

 俺は祈り続ける。

 電飾の光が消え、夜の闇が左右ひとつずつのままの足跡を覆い隠した。

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スケルトン・ナイトホークス 木古おうみ @kipplemaker

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