首吊りがいっぱい②


 もちろん素人なので、撮影機材は市販のビデオムービーだし、内容は取材映像とナレーションで構成された短編作品である。映画制作の技術と経験はなかったが、若さゆえの根拠のない自信だけは充分にあった。


 僕はビデオムービーを手に現地に向かった。基本的に行き当たりばったりの撮影だが、五ヵ所の自殺現場を訪ね歩くことは決めていた。あらかじめ事件の概要は調べてあったので、五人がそれぞれ首を吊った場所はわかっていたのだ。


 不思議なことに、五ヵ所の自殺現場は離れていなかった。直径1kmの円の中にすっぽり収まるぐらいである。


 野菜保管用の小屋や鬱蒼うっそうとした雑木林の中、国道の高架下といった現場で、僕は淡々と撮影を続けた。自殺の現場であるにもかかわらず、陽ざしが明るかったせいか、あまり恐怖は感じなかった。


 幽霊らしきものや不可解なものが映り込むこともなく、撮影は予定通りに無事完了した。


 ただ、恐怖感や不安感を前面に打ち出したいのに、ビデオ特有のくっきりとした映像では難しそうだった。おどろおどろしいBGMを合わせてみても、どこか空々しく見えてしまう。


 そこで、セピア色のレンズフィルターを使って、一から撮り直すことにした。さらに思い切って、地元の方々に路上インタビューも行った。もし、自殺をした五人の知人や関係者にぶつかれば、思いがけず事件の真相に近づけるかもしれない。


 連鎖自殺の原因については、いくつかの仮説があった。社会の閉塞感や金銭トラブルなどだが、中には他殺説まであった。もっとも、明確な根拠はなく、すべてマスコミの創作、無責任な戯言ざれごとである。


 結論から言うと、路上インタビューに芳しい成果はなかった。あっさりスルーされたり、面白半分にとりあげるなと怒られたり、けんもほろろの対応ばかりだったのだ。


 連鎖自殺事件から半年が経過していたが、地元ではタブーだったのかもしれない。


 それでも撮影映像のダビング編集を行い、ナレーションやBGMを加えて、十五分ほどのドキュメンタリー映画を完成させた。


 しかし、その出来上がりを観て、僕はがっかりした。イメージしていたものと全然違っていたし、理想と現実の落差は予想以上に大きなものだったからだ。


 自主映画コンクールに出すつもりだったのだが、到底そんなレベルではない。その短編映画は誰にも見せずに封印することにした。


 十数年の時が流れた。昨年、久しぶりに実家に帰った僕は、押入れの中から、その封印作品を見つけた。懐かしさを覚えて、ビデオデッキで再生してみた。


 しかし、ビデオテープとビデオデッキの互換性がよくないのか、映像は乱れまくってノイズだらけ、音声もひどい雑音混じりである。


 かろうじて聞き取れたのは、最後の方の甲高い笑い声だけだった。

 少し考えてから、僕は背筋が凍った。そんな笑い声に心当たりがなかったからだ。


 僕は反射的に、ビデオテープにハサミを入れて捨ててしまった。後になって、神社で処分をしてもらうべきだったと思ったが、幸いなことに、その後、祟りらしきものはない。


 いや、僕が気づいていないだけかもしれない。よく考えれば、実家は地震の被害に見舞われたわけだし。



                 了

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首吊りがいっぱい 坂本 光陽 @GLSFLS23

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