十八歳からの感情移植

加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】

『十八歳からの感情移植』

「よし、ついに感情移植装置が完成したぞ」

 P博士は自身の研究ラボで、そう独りごちた。

「これを使えば、きっと世の中からいじめっ子といじめられっ子を無くすことができる。ああ、わたくしの長年の夢がついに叶う」


 P博士はその装置を、政府の虐遇ぎゃくぐう撲滅委員会に持っていくことにした。


「委員長。この度わたくしは、強力ないじめ撲滅効果が見込まれる発明をしました。どうぞ、こちらです」

 P博士は委員長に、半球状の物体を見せる。その中心部は、これまた半球状に大きくくり抜かれており、中に何かものを入れられそうだ。

「これはなんだね? ヘルメットのような、頭につけれそうな形をしているが……」

 委員長は装置を手に取り、執拗に観察する。

「これは、感情移植装置です」

「ほう。というとあれか、この装置を使えば、悲しい時に嬉しい気持ちになったり、辛い時に楽になったりする、ということか?」

「そういう使い方もできないことはありませんが、目的はもっと他にあります」

「というと、なんだ? どうやって使うんだ?」

「この装置は、厳密に言えば、感情そのものを植え付けるわけではありません」

「ん? どういうことだ? それだと、タイトル詐欺と変わらない。誇大広告になってしまいかねないぞ?」

「心配には及びません。いずれにせよ結果的には、特定の感情を植え付けることができます」

「うーん、なんだかややこしいな。くわしく仕組みを教えてほしい」

「ええ、もちろんです。この装置は人の脳にイメージを見せます。例えるなら、明晰夢のようなものです」

「夢か。それなら、すでに似たような商品が世に溢れている。夢見装置ゆめみそうちなるものが。私も一度試したことがあるが、どれも大味な夢ばかりだった。退屈だったので、すぐ捨ててしまったよ」

「その点もご心配なく。この装置は、それら従来品を遥かに凌駕する性能を備えています。この装置が見せるイメージが、単なる夢と異なる点は、被験者の脳にしっかり定着すること。頭にこびりついて離れないような、どぎつい、ある種トラウマ的なイメージです。それも、本人はそのイメージが植え付けられたものではなく、実際に体験したことだと認識します」

「なるほど、となるとそれは、よほど強力な装置のようだな。だが、いったいそんなものを何に使うのか。ただ記憶を捏造して、嬉しくなったり悲しくなったりする。申し訳ないが、馬鹿バカらしいとしか思えない」

 委員長はP博士の発明に対して、懐疑的な立場を崩さない。

 そこでP博士は、装置を素早くひったくり、委員長の頭に被せて、

「ちょっと君、やめてくれないか? 何をするんだ!」

「実際にお試しになってください」

 電源をオンにした。


 委員長の脳は、得体の知れない装置の怪電波により、激しく揺れた。


 そして、何者かの声が委員長を襲った!


————おまえのはつめいなど、ばからしい! おまえのつくったルール、おまえのつくったしくみ、おまえのつくったりょうり、おまえのつくったこどもじだいのこうさく、おまえのつくったあのひとへのてがみ、すべてばからしい!————


 さらに、『虐遇ぎゃくぐう』のイメージが、委員長の脳内を流れる!


「私は地に横たわっている? 周りに、ニヤニヤと笑う人間がたくさんいる。あ! 踏みつけられた! 今度は蹴りだ! 痛っ……くはないが本当に蹴られたような感覚だ。冷たっ! 今度はなんだ? み、水か!? 奴ら、バケツで水をかけてきやがった! 何をする、人でなしめ! よ、し。やっと去っていくぞ。く、くそっ……何という屈辱。なんて不快なんだ、このイメージは!! 胸が苦しい! 耐えられない! もう、やめてくれ! なんだこれは!? うわああああ!」


 P博士はもだえる委員長を見て、さすがに可哀想になり、ほどほどのところで装置を外してやった。

「気分はどうです? 何か変わったことはありましたか?」

「ああ、君の発明はなんて素晴らしいんだ。イメージは耐え難い内容だったが……私はすっかり、他人に同じような仕打ちを働こう、という気にはならなくなった。もしこの感情移植装置とやらを馬鹿にする奴がいるならば、そいつこそ馬鹿に違いない。これをぜひ、社会問題の解決手段として採用しよう」

 委員長は、人が変わったようになり、P博士の発明を認めた。

「その様子だと、わたくしの想像以上の効果があったようですね。これで、装置の有用性を認めてもらえましたかね?」

 「当然だ。発明とは、尊いものだ。全て正しく評価されなければならない。で、具体的にはこの装置を、どのように使って欲しいというのだ?」

「それは最初から決めていました。いじめや、虐待、パワハラなど、人をおとしめるような行為を無くすのです」

「まぁ、ここは何と言っても虐遇ぎゃくぐう撲滅委員会であるからな。で、それから?」

「この装置を使って、国民全員に、虐められた記憶や、ひどい嫌がらせ、ひいては暴力を振るわれた記憶を脳に移植します。するとあら不思議、身をもって辛い経験をした被験者は、他の人に同じようなことができなくなります。そうして、虐遇が減り、平和な世の中になるのです」

「なるほど。だが、それは自分が嫌なことは人にしない、という優しさというか、モラルのようなものがある前提が必要ではないだろうか?」

「ああ、確かに。では、まずは優しさやモラルを獲得できるようなイメージを植え付けましょう。必要に応じて、ついでに、他のいろんな感情を植え付けてもいいかもしれませんね」

「うむ。ちなみにこの装置は、何歳から使うべきだろうか? あまりに幼い子供に使うと、人格形成の過程に影響を与えかねない気がする」

「そうですね……では、十八歳から、というのはどうでしょうか。もっと言えば、国民の義務として追加してしまえばいいのです」

「ほう、つまりは成人するのと同時というわけか。四つめの国民の義務、憲法改正が必要になりそうだ」

「はい。選挙権獲得や各種契約の類が一人で可能になるのと同じタイミングです。この装置の利用は新成人に、立派な大人になるための一つの大事な段階として、受け入れてもらえるに違いありません」

「よし、では早速立法議会に掛け合って、改憲発議をしてもらえるように頼むとしよう。このような素晴らしい装置があれば……当委員会は各界から間違いなく高く評価されるだろう」

「ええ。お手数ですが、よろしくお願いいたします」

「そうだ、結果次第ではあるが、君には少なくない報酬を約束しようではないか」

「委員長、それはありがたいご提案ですが、ご遠慮させていただきます。この装置は、無償で提供します。開発費や特許料など、この装置に関わるいかなる金銭もわたしは受け取りません。ただただ、これを世のために役立てたいという一心なのです」

「ほう、それは殊勝な心掛けだな。では、君の言う通りにしよう」


 その後、P博士の発明した感情移植装置は無事認可され、全国の成人に対して、感情移植が施されることになった。


 被験者たちの頭に、感情移植装置が被せられる。

 装置の電源がオンになると……


 ——『幸せ』の感情が移植される。

「おお! なんだ……この、温かさは! 非常に、心地がいい。この、柔らかな毛布に包まれるような、無償の愛が注がれるような感覚! 俺は、他人に対して、そうなってもらえるよう、優しく振る舞わなければならない。そんな気がしてきたぞ!」


——『怒り』の感情が移植される。

「この胸の底から沸々と湧いてくる激しい感情……血の流れが速い! はち切れてしまいそうなくらいに! ああ、大声で叫びたい! 破壊衝動に駆られる! そうか、昨日彼が私にひどいことを言ってきたのは、こんなふうに、抑えられない何かが、体の中にあったからなんだ!」


——『悲しみ』の感情が移植される。

「何かを失ったような気分だ……いや、それは無くなったわけではないが、どこか自分からは遠く離れたところへ行ってしまったのかも。あの人に会いたい。でも会えない。じゃあどうすれば……なんだ? なぜか涙が溢れてくる。ああ……わかったぞ! こんな気持ちになる前に、取り返しのつかないことになる前に、人と人との繋がりを、大切にしなければならない! 僕に欠けていた要素は、それだったんだ!」


——そして、『驚き』の感情が移植される。

「ああ、まるで心臓がキュッと縮んでしまったようだわ。全身、鳥肌も立ってる。寒くなんてないはずなのに、何かがヒヤッと触れて、背筋が凍るようだわ。あれ? 何? そんなつもりはないのに! 体が勝手に、飛ぶように動く!? 頭が……真っ白! こんなに無防備になってしまうものなの? ドッキリは……節度を守らなきゃね、下手すれば訴えられちゃう」


 感情移植装置が導入されてから、そう短くない月日が経った。P博士の思惑通り装置の効果はてき面で、世に蔓延はびこ虐遇ぎゃくぐうはすっかり消え失せた。しかし、装置には予想だにしなかった副作用も存在した。


「ああ、やめてくれ。なんでもするから、たないで……」

「ひゃっ! なによ!? わたしに触らないで!! って見えない。今何が触ったの? 風? 虫? 幽霊? やだ、怖い!」

「あそこは危ない。なんだかとてつもなく不吉な予感がする。近寄らないでおこう。でもこっちの道も、ひょっとすると、落とし穴が掘られているかもしれない! 俺はどこを進めばいいんだ!? 誰か教えてくれ!!」

「私なんて……私なんて……生きてる価値のない、ダメな人間なのよ」

「どうしよう、もしあんなことが起きてしまったら! 早く対策を考えないと、考えろ、考えるんだ。捻り出せ! ああ……だめだ、何も思いつかない! 時間が足りない!!」

「くそっ! 世の中どうしてこうもっ! 思い通りに! ならないんだ! どいつもこいつも、ふざけやがって! ああ! 腹の虫がおさまらない!!」

「眠れない……眠れない……眠れない!!!! 眠いはずなのに、どうしてしまったんだ、私の体は!」


 なんと被験者たちには、日常生活に大きく支障をきたすような症状が数多く認められた。植え付けられた記憶と感情の、突然のフラッシュバック。ちょっとした刺激にも酷くびくついてしてしまう驚愕反応。何か特定の出来事に対する異常なまでの回避行動。それ以外にも悲観的な思考と感情、焦燥感、行き場のない怒り、不眠症など、多岐に渡る症状に、人々は悩まされた。

 

 また、世が混迷を極める中、医療・製薬業界が、思いがけず利益を享受していた。


「ふふふ……少し前までは閑古鳥が鳴いていた当院に、患者が面白いように雪崩なだれこんでくる。これで廃業は免がれた。そうだ、院内処方が増えるだろうから、SSRI(※『選択的セロトニン再取り込み阻害薬』のこと。しばしばPTSDの第一選択薬とされる)をたくさん発注しなければ」

 ある病院の院長は、製薬会社に薬を大量発注した。すると製薬会社側は、驚きの反応を見せた。

「いつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます。念の為確認させていただきますが……発注ミスではありませんよね? SSRIをこんなに大量に、ですか? いつもの……百倍以上ですよ? はっきり言って異常です。まぁ、弊社としては売り上げが上がるので、嬉しいですがね」

 製薬会社の営業担当は、嬉しいながらも困惑する。

「いやぁ、こっちも同じく驚いているよ。なんなら、もっと多く薬を仕入れてもいいのではとも思ったが、院内での相談の結果、いったんは様子を見て、普段の百倍の量ということで落ち着いたよ」

「なるほど……そこで提案なのですが、百倍を百二十倍、いや、百十倍でも構わないのですが、とにかくあとほんの少し発注の量を増やしていただければ、お値引きいたします。いかがでしょうか?」

「ふむ……思い切ってそうするのも悪くない。だが値引きしてもらうならば、当院での売価も安くするのが筋だろう? 在庫が増えること以外、こっちにメリットは特にない気がするが……」

「それが違うんです。ここだけの話ですが……患者と審査支払機関への請求は、定価ベースでしてしまえばいいんです。まとめ買いの割引がありますから、薬価差益やっかさえきで儲けられます」

「そうか、それは良いことを聞いた。ぜひ、そうさせてもらうおう。じゃあ、できるだけ早く、薬の納品を頼む」


 そして、この医療絡みの問題を、政府は見逃さなかった。見逃さなかったのだが……


「ちょっと失礼、こちらの医院では、前年度に比べてやけに収益を上げていると聞いてね。どんなに素晴らしいところなのか、抜き打ち視察に来たのだよ」

 医療大臣が突然、院長の病院に押しかけた。

「これはこれは医療大臣殿。お会いできて光栄です。どうぞ、院内はご自由にご覧になってください」

「そうかい。ではお言葉に甘えて……帳簿の方を確認させてもらおうか。医療事務の方は、今どこに?」

「えっ! あ、それはちょっと……」

 院長は、ギクリとした。

「なんだね? 何かやましいことでもあるのかな?」

 大臣は、いやらしい口調だ。

「実は……当院は今期、薬価差益でかなり利益を上げているのです。それは……赤字脱却のため、廃業の阻止のためです。この辺りでは、病院はここくらいです。遠くの病院に通えない足腰の悪い高齢の患者様などのためにも、当院は必要なんです! つまり、苦肉の策なのです。医療大臣閣下、どうかご理解いただけませんでしょうか……?」

 院長の必死の言い訳に、大臣はニヤリと笑い、

「そういうことなら、認めよう。だが……タダで、とはいかない。わかるよなぁ?」

 と言って、ねちっこく人差し指と親指を擦り合わせる仕草をした。


 感情移植装置は、発明者であるP博士の期待とは裏腹に、災厄を引き起こした。人々は病んで薬漬けとなり、薬の需要で儲けた医療業界は拝金主義者の巣窟そうくつと化し、ひいては政府をも巻き込み贈賄ぞうわいや腐敗を招いたのだ。

 世の惨状を目の当たりにしたP博士は、やりきれない喪失感と、大きな後悔の念にさいなまれた。責任感の強かったP博士は、夜逃げなどせず、潔くも虐遇ぎゃくぐう撲滅委員会の委員長に、自身の失態の謝罪をしに向かった。

 

「委員長、例の装置の件で参りました……」

 P博士の投げた声は、重く、地に落ちていく。

「博士、そう落ち込まないでくれ。残念な結果にはなってしまったが、虐遇撲滅という意味では、装置は確かに絶大な効果をもたらしたわけだ。むしろ、報酬なしでこれほどの物を無償で提供してくれた君の心意気は、評価しているよ。一方で、世間からの私と委員会への評価は……今やどん底だがね」

 大臣は、P博士を擁護しつつ、やや嫌味っぽくそう言った。

「本当に、申し訳ありません。わたくしの発明した装置のせいで、世の中は取り返しのつかないほどに荒廃しています。どうすれば状況が好転するか、見当もつきません……」

 P博士は自信を失い、目も当てられないほど、沈んでいる。

「それは、私にもわからないな……そうだ、ずっと気になっていたんだが、被験者に植え付けられたイメージは、どのように作られていたんだ? イメージは自由に作ることが可能だとか? それとも、誰かの記憶を元にしているだとか?」

「後者、です」

「というと?」

「実は…………全て、わたくし自身の記憶を使いました。ほんのわずかな細工もない、わたくしが実際に、過去に経験したことを、装置に組み込んだのです」

「なるほど、そうとは気づかなかった。実は私は、装置の副作用を懸念して……君に不意打ちされて試して以来、自分では使のだが、具体的にはどんな記憶を組み込んだんだ?」

「その記憶の多くは……辛い記憶で占められています。わたしは……わたしはありとあらゆる人間から不当に否定されて育ちました。そこで、自分の記憶を幾万幾億の人間の脳に移植すれば……自分に共感してくれる存在で世の中はあふれかえる、と思いついたんです。だからわたしは、自分が過去に受けた仕打ちの全てを、全国民の脳に刻みこみました。自分という存在が全肯定されるなんて、それ以上に素晴らしい世界は存在しませんからね」

 P博士は、つらつらとそう語った。

「そうか……一つ疑問がある。他人から否定されて育ったと言ったよな。それは、さぞ辛かっただろう。だが、被験者には、優しさなど、プラスの感情を獲得しうる記憶も植え付けられていたような気がする。興味本位に聞くが、それもP博士、君の記憶なのか?」

「はい。それが……わたくしの……母との、数少ない思い出です。わたくしはかなり幼い頃に、孤児院の前に捨てられてしまったので。ですがわたしは確かに、母の胸に抱かれていた時がありました。あの瞬間というのは、無限の安らぎが感じられるのです。その感情を、感情移植装置に利用しない手はない、すぐにそう思いました。わたしは、母との思い出以外で、優しさや温かさというものに触れたことはありません。数多ある暗い否定の記憶たちの中にある、たった一筋の光が、母との思い出でした」

「…………P博士、あなたの気持ちと考えは、よくわかった。感情移植装置により、全てが肯定され、この世から虐げる者、虐げられる者が消える。現にそうなったのは私も知っている。だが……これは装置の影響を受けていない、私という君とは別な人間の一意見として聞いてほしいのだが、それは言ってしまえば、単に君一人の自己満足だったのかもしれないな。ただ殻に閉じこもっているに過ぎない、と批判されても仕方ないとも思う。それに……そのようなあまりに一様な世界は、本当に豊かで幸せなものと言えるのだろうか?」


 P博士は、委員長の質問に答えられなかった。


〈完〉

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