夏色の思い出

ふみその礼

第1話 裏階段

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 昭和の40年代のことだ。松崎という地方都市の、ある駅前のアーケード商店街の裏筋に、「オーロラ」というキャバレーがあった。

このような地方キャバレーが成り立つかどうかは、その街の人口と、企業の数で決まる。この街には大きな製紙会社があり、就業時間が終わると、かなりの数の従業員が駅の方へ流れてくる。食事と飲屋街へ行った後、キャバレーにたどり着くのは、ごく一部ということになるが、それでもキャバレーにとっては充分だ。その他にも、公務員関係、教員系、土地で儲かっちゃった地主のおっさん。定期的に勉強会を開く地元商店街の面々。などなどが来てくれるので、どうにかやっていけるのだ。

 ホステスは十数人いる。これは多い方だ。今のように、何考えてるか分からないような若い子はいない。濃い化粧を一皮むいたら、ウチのかあちゃんと変わらない素朴なホステス達。あまり別世界感はないけど、その分、話が合うし、妙に落ち着く。

 お酒は、ビールの他、ウイスキーはオールド一択。ストレートか水割り、それだけ。つまみは、あられと落花生、クラッカーなど。バーテンすらいないので、ホステスが立って、冷蔵庫を引っかき回しに行く。

この時代、カラオケはない。普段と同じような雑談を、ホステスが要領よく盛りあげてくれ、酔いに任せて大声で笑うだけだ。それでみんな充分楽しんでいた。

 ただ、キャバレーの社長は、店の評判になるような企画を模索していた。まず考えたのは、大都市で流行っていたラインダンスのようなダンサーを入れること。でも、それだと楽団もいるし、人数が増えて経費がかかりすぎる。それで、バックミュージシャンを連れた個人的なダンサーを入れてみた。ダンスは見事なんだけど、真面目に鑑賞しなきゃいけない雰囲気で、へたな掛け声もかけられない。ちょっと違うな…。

 マジシャンを入れてみた。これは良かった。驚きがあって盛り上がる。評判も良かった。ただ、舞台暗いので、遠いボックスからは何やってるか分からない。

 漫才師は、現代ほどの市民権を得ていなかったし、そもそも絶対数が少なかった。キャバレーで落語もおかしいので、しかたなく奇術師やバンドネオン演奏などを続けていた。そんな折、社長の知り合いに演劇に通じた人がいて、一人のアクターを推薦してくれた。その知り合いの顔を立てて、10日間だけ来てもらうことにした。


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 私の名前は「サクラ」小学校4年生。アパートでお母さんと二人暮らし。お母さんは隣町で給食のおばさんをしてる。そして夜はホステスさんになる。夕方4時半になると、お母さんと私は「オーロラ」というキャバレーの裏の「瀬戸屋」という旅館に入る。瀬戸屋はもう旅館はやってない。瀬戸屋の跡取り息子が旅館を廃業してキャバレーを始めたのだ。瀬戸屋の客室はキャバレーとつながってるので、「桔梗の間」とか「楓の間」とかが、ホステスさんたちの控室になってるのだ。

 私はお母さんと一緒に「桔梗の間」に入るけど、お母さんが店の方に行ってしまうと、もうその部屋にはいない。今は真夏。エアコンもないそんな暑い部屋にはいられない。

上の3階に「うなぎの間」という部屋が一つだけある。狭くて長細いから、そんな名前で呼ばれてる。その部屋の窓から、キャバレーの外を巡る裏階段に直接出られる。そこが涼しくて大好きなんだ。だから、「うなぎの間」と裏階段が私のプライベート空間だった。そんな「うなぎの間」に、ある日突然入ってきた親子がいた。


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 私が裏階段で涼んでいる時、勝手に「うなぎの間」に入ってきた親子。お父さんと息子らしい。お父さんは、ちょっと目を引く見た目だ。背が高く痩せて色白で、男の人なのに長い髪を後ろで束ね、顔中、というか、そこら中灰色の髭が生えてる。そして、顔の深い所に青い眼があった。次の日に、ホステス仲間のサユリさんが、「あれはジーザス・クライストよ」と言っていた。私は、ジーザス・クライストさんのこと知らないので、きっと、偉い人なんだろうと思っただけだ。

 息子さんは私と同じくらいの年だろうか。やっぱり信じられないほど色が白い。髪は灰色。でも、お父さんほど目の彫りは深くなくて、眼の色は、私たちと同じ茶色に見えた。彼を最初に見た時、私は生まれて初めて誰かのことを「きれい」と思った。

 さて、裏階段から二人を覗いていた私、大人であるお父さんにはすぐに見つかってしまった。彼は顔の深い所にある青い目でじっと私を見つめた。私は、すこし恐いと思った。でも、すぐにその顔に柔和な笑みが浮かんだ。そして息子に、何か分からない言葉で語りかける。息子はびっくりしたように私の方を見た。見つめられた私は固まってしまう。息子の方は、お父さんのように微笑んではくれなかった。逆に怒ったような顔で私を見ている。でも、でも言わせてよ。その「うなぎの間」は私の部屋なんだから。勝手に入って来たのは、あなたたちよ。私は仕方なく背を向け、裏階段を上がって行った。


 裏階段を上がりきると、キャバレーのホールの天井裏に入れる。そこは舞台に向けて大きな照明装置があり、舞台が良く見える。天井桟敷だ。そのふちっこに照明技師さん達が使うラセン階段があって、舞台の裏に降りられる。私はそれを使ってホールに降りた。

まだ時間が早く、お客さんは一人も来ていないので、私は厨房の方へ行って、お母さんを探した。お母さんは、他のホステスさん達と喋りながら開店の準備をしていた。

ホステスの小雪さんが、すぐに私を見つけてくれた。

「あら、サクラちゃん、おはよう…」このお店では、時間に関係なく、その日初めて会った人には「おはよう」と言う。

「アイナちゃん、サクラちゃん来てるよ」

 私のお母さんは「美穂子」なんだけど、このお店では「アイナ」と呼ばれてる。「源氏名」とか言うらしいけど、よく分からない。私はホステスじゃないし。

「あなた、何?なんで店に入って来たの?」

「あのね、私の部屋に変な親子連れが来てるの」

「ああ…」

 お母さんは小さく頷きながら小雪さんを見た。

「田所さん、言ってたね。一人芝居の人が来るって…子連れだったの?」

 田所さんはマネージャーさんのこと。小雪さんがうれしそうに言う。

「ふうん…『子連れ狼』かな…でも、切られ役いないよね。ここには…」

 お母さんが私を見て諭すように言った。

「あのね、『うなぎの間』はあなたの部屋じゃないの。あそこは、そうやって外から来る人が使うんだから…『桔梗の間』に居なさい」

「だって、あそこ暑いんだもん…」

 私はちょっとすねて見せた。そうしたら、舞台の方で道具係の宮前君が、とんでもなく大きな物を舞台に上げようとしてるのが目に入った。私はそこへ走っていった。

それは木で長い長い長方形に組まれた物。宮前君は、それを舞台の上に立ち上げるように置いた。私は舞台に駆け上がり、興味深々でそれを見上げた。

「何?これ…なんなの?お芝居で使うの?」

「ああ…サクラちゃん」

 舞台の天井までの3分の2程もありそうな背の高い物体。宮前君は、それを見上げながら言った。

「これね………ギロチンなんだ…」

「ギロ…チン?………何それ……」

 私は長方形の空間に首を入れて下から見上げようとした。

「ダメ‼ そこに首入れたら、首がちょん切れちゃうよ!」

 キャッ‼ 私は一瞬の恐怖で飛びすさった。

「ほら、一番上見てごらん。包丁の親分みたいな大きな刃物がついてるだろ…今はちゃんと紐を止めてるからいいけど、この紐を放したら、あのでっかい包丁が落ちてきて、首なんか、一瞬でちょん切れちゃうんだ」

「ど…どうして、そんなことするの?………」

「これはね、罪人の首をねるための道具なんだ」

 私は、恐怖で足が震えていた。


 



 

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