第3話 罪人との対話

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 舞台の下手に現れた罪人。死刑執行人と同じような仮面をつけているが、体はとても小さく見えた。作り物のように、ちんまりと坐りこんでいる。私は、それを見て、「あっ、嫌だ…」と思った。昨日「うなぎの間」で見た、あの少年じゃないだろうかと思ったのだ。 死刑執行人は、その小さな罪人に語りかけた。

「罪人、お前にも、名前はあったのだろうが、俺は、そんなもの知りたくない。俺は死刑を執行する、そしてお前は執行される、それだけだ。だが、どんな人間にも、最後の瞬間となれば、言いたいことの一つや二つあるだろう。言ってみろ……俺が聞いてやる」

 罪人はピクリともせず、何かを話す雰囲気はまるでない。でも、私の隣にいる宮前君が、台本を見ながら、オープンリールテープのスイッチをガチャリと入れた。舞台上に、聞いたことのない男の声が響き渡った。

「執行人、お前こそ、名前はあるのだろう。だが、わしも、そんなもの知りたくはない。だいたい、名前なんぞというものが、お笑いぐさなのだ。動物で、自分の名前を名乗っている奴がいるか?名前は、自分とは別のおのれを作り出す。人間がつく嘘の始まりだ」

 死刑執行人は、改めて罪人に向き直った。

「なかなかいいこと言うじゃないか。お前とは話せそうだな。言いたいことがあったら全部言ってみろ、聞いてやるぞ…」

 罪人は相変わらず物のように動かないのだが、声だけは朗々と響いて答えてきた。

「わしは今、仮面を被っている。そして、執行人、お前も仮面を被っている。これは何を意味するんだ。わしらは、こんな仮面がなきゃ生きられないということなのか」

 執行人はゆっくりと首を傾けて答えた。

「俺たちは、生まれ落ちた時に、すでに仮面を被っていた。だから仮面なしには生きていけない。むしろ、仮面の下に隠れて生きるのが人間の本質ではないか…」

 罪人が、いや、罪人は人形然として、沈黙してそこにあるのだが、声だけが、妙に自信に満ちて問いかけてくる。

「じゃあ聞くが、執行人。お前は、仮面を取ってみたいと思ったことはないのか。…仮面のない自身に憧れたことはないのか」

 執行人は、少し虚空を見上げ、考えた風を装ってから答えた。

「仮面のない俺か…仮面を取って俺に何が残るだろう……動物のように欲望のままに生きる俺だろうか……言われてみれば、それを考えたことはないな」

「教えてやろう。仮面を取った瞬間、お前は、身の危険にさらされる。なぜなら、仮面を取ること、それは戦いのサインだからだ。仮面がないということは、この世界に自分だけが存在する、自分だけが生きると主張することだ。それは、この世界の全てを敵に回すということだ。お前にそれが出来るかな……出来はしない、わしは、そう思うがな……」

 執行人は、罪人が言った事を考えているようだった。やがて、罪人を見下ろして答えた。

「面白いことを言う奴だ。それなら、俺が仮面を取る前に、お前が取ってみたらどうだ。どうせ、お前は今処刑される身だ。世界を敵に回しても恐いことはないだろう」

 執行人は、手に持った鉄の棒で、罪人の仮面を突っついた。罪人の仮面は、がくりと斜めに傾く。それだけで何も起こらない。そこにある罪人は小さなハリボテに過ぎなくて、中身は何もないことが観客に明らかになった。それは、これが一人芝居で、罪人の声も、録音したものが流れていることからも分かる。

私はそれを見て、ちょっとだけホッとした。よかった、あの少年じゃなかったんだ。


 執行人は、仮面が傾いた罪人の様子をしばらく見ていたが、「ふん!」と言い捨てて正面へ向き直った。

「くだらない……考えてみれば、俺は、お前の素顔なんて全然興味ねえんだ……」

 すると、罪人の声が、嘲笑うように、また天から響いてきた。

「そうさ!誰だって、人の素顔なんて興味はない。お前が、唯一興味があり、お前が何より恐れていて、何より見たくないもの、それは、お前自身の素顔だよ…」

 執行人は、何も答えず、手にした棒をはげしく地面に打ちつけた。それから吐き捨てるように言った。

「くだらない!やっぱりお前は、さっさと処刑した方がいいようだな…」

「まったくそのようだな。処刑人、お前は、やはり自分の素顔を恐れている。それを見るのが恐いんだ。もし、仮面を取り、そこに、刑を執行できないお前が出てきたらどうする………お前の存在は、そこで終わりだ」

 一歩前に出ていた執行人が罪人を振り返った。

「俺が、処刑をできないって?何をバカな…俺はどんなことがあったって処刑だけはできる。どんな極悪の罪人だって、どんなに罪がなさそうな女、子供だって、処刑はできる!」

「ほうらみろ、それこそが、お前の仮面の力なんだよ。お前は処刑人の仮面を被っている。だからそれができる。もし、その仮面がなかったら、お前は、何もできやしないんだ」

 処刑人は、前を向き、鉄の棒を両手で持ち直した。何かを深く考えているように見えた。やがて再び罪人を振り返り、鉄の棒を、罪人の動かない仮面の前に伸ばした。

「なるほどな………確かに、お前の言ってることは当たってるかもしれん。俺は、仮面がなかったら、処刑はできないかもしれん。お前の言う通りだよ。残念ながら……でも、だからといって、それがなんなんだ。俺は、そうやって生きていくしかないんだ………」

「処刑人、お前は今、生きると言った。そうして仮面を被ったまま生き続けていくのなら、そんな生き方でいいのなら、それもよかろう。だが、どうせ生まれたのなら、一度でいいから、仮面を取った、本当の自分に会いたいと思わんか……」

 処刑人は罪人に背を向けてしまい、前を向いて考えていた。

「俺は………それが………本当の自分とかいうものが、会う価値のあるものだとは思わんな………どうせ、弱くて、卑怯で、情けない奴に違いないんだ………」

「おう………随分自分のことが分かってるじゃないか。それなら、なおのこと、本来の自分に会ってみるべきだろう。そこに、今のお前のように、仮面に引きずられるだけとは違う、強い自分があったらどうするんだ。もったいないじゃないか………」

 執行人は再び罪人を振り返る。

「へっ!そんなわけないね。仮面があろうがなかろうが、俺は俺で、変わるわけはないさ。そんなことは、俺が一番良く知っている……分かったぞ!罪人、お前の魂胆。お前は、俺に仮面を取らせて、処刑を免れようとしているのだな。そうはいかねえ!俺は仮面はとらない。少なくとも、その、お前の処刑を終わらせるまではな………」

 処刑人は、罪人の横に立ち、罪人の肩をつかんで立ちあがらせようとした。

「無駄な時間だった。危なくお前の策にはまる所だった。さあ!立て!処刑だ!念仏を唱えやがれ!」

「だはははは………!」

 罪人の笑い声が響き渡った。

「処刑人!だんだんお前の仮面が取れてきた!素顔が見えてきたぞ………」

 処刑人は、罪人を立ち上がらせようとするのだが、ハリボテのごとき罪人が石のように重くなり、持ち上げることができない。

「くそ!この場に及んで、何を抵抗しやがる。立ちやがれ!」

「確かにな、処刑人!お前のいった通りだ。お前の素顔は強い男なんかじゃなかったよ。お前のいう通り、弱くて、卑怯で、情けない奴だった。それを、わしが、今見せてやる。わしが、お前になり替わって、お前の素顔を見せてやる!」


 その時、驚くべきことが起こった。処刑人が無理やり持ち上げた、小さなハリボテの罪人から、白い手足がニョキニョキと出てきたのだ。そして、その手足は、処刑人に抵抗するように暴れはじめた。場内にざわめきが起こる。人形に過ぎないと思っていた罪人に手足が生えたのだから。………処刑人が叫ぶ。

「なんだこのやろう!無駄な抵抗をするんじゃねえ!さっきの偉そうな大口はどうしたんだ………」

 白い手足は抵抗しているが、罪人の声が、それとは別に朗々と響いてきた。まるで上から見下ろしているかのように。

「処刑人!お前は、今まで無数に罪人を処刑してきた。それが出来たのは、その処刑人の仮面のおかげだ。その仮面の陰の、本当のお前は、実は、ひとりだって人を殺せない人間だったはずだ。だから、そんなお前は、人を処刑する度に、その罪人だけでなく、自分自身を殺していたのだ!」

「訳の分かんないこと言ってんじゃねえぞ!おとなしくしやがれ!」

「今、お前に抵抗しているのは、わしではない。処刑人!お前自身だ!お前の中には、人を殺したくない本当のお前がいる。今、お前は、その自分自身を殺そうとしているのだ!……」


 処刑人よりもずっと小さな罪人の抵抗は長く続かなかった。処刑人は、ついに罪人を押さえつけ、仮面をつけたままのその首を、半円にくりぬいた板に乗せ、その上からもう一枚の板をあてがって首を固定した。

 処刑人は、一歩退くと、鉄の棒を伸ばし、紐を止めている金具にあてがった。罪人の白い手足はまだ動いている。場内に、ざわざわと動揺が広がる。いく人かのホステスの「イヤァ…」という声も聞こえる。天井桟敷の私も、「うそ…」と思って、一瞬目をそらした。

 処刑人は、鉄の棒を伸ばした手元は見ず、正面を見て「執行!」と叫んだ。

ズダダン‼とギロチンは落ちた。仮面をつけたままの罪人の首がコロコロと転がる。

切り口から血が噴き出すことはなかった。切り口は、たぶん赤い色に塗られているのであろう。青い光の下で緑色に見えた。白い手足はグンナリと垂れて動きを止めた。でも、これは演劇であり、実際に断頭が行われたわけじゃない。なんらかのトリックがあったに違いない。場内に、安堵の空気が広がった。

 処刑人は前に進んで転がっている首を拾い上げた。それを自分の眼の高さに上げ、

見つめ合うようにして、その横顔を観客に見せた。

「わたしと同じ顔、同じ仮面だ…」つぶやくように言った。

「確かに、この男が言ったように、わたしは、自分の首を刎ねたのかもしれん……。この男は罪人、私は死刑執行人、たまたまそうであっただけ。この男とわたし、何ら違いはない。そして……まさに、この男の言った通り………わたしは、はげしく抵抗していた。刑を執行することは、自分の首が刎ねられる以上に苦しかった。そこに、本当のわたしがいたのかもしれない………この男は、それをわたしに教えてくれた」

 執行人は、首を手に下げて、舞台の前に進み出た。

「わたしは……今、知った。誰かを殺すことは……おのれを殺すこと。いつ、どんな場合にも、正しい殺人はない。そこに、その国の法があったとしても、その国家の大義があったとしても。……………いつ、どんな場合にも、正しい殺人はない」


 処刑人は、首を足元に置き、自分の仮面に手をかけた。

「わたしは今、仮面を取る。わたしは、仮面を取り、仮面に操られる自分に別れを告げる。そして、本当の自分自身として、自分自身であり続ける道を歩まねばならない。それは、今まで裏切り続けてきた、自らの命への鎮魂だ」

 処刑人が、その仮面を取った。そこには、大方の観客が予想したのとはまるで違う外国人の顔があり、場内に驚きが広がった。最初にアメリカから来たと紹介されていたのに、あまりに日本語が流暢なので、観客はそれを忘れていたのだ。

 処刑人役ブライアン・ラッセル氏が深々と頭を下げ、満場の拍手の中幕が下りた。

でも、一度、場内の電気が点いてから、下りた幕の前に再びラッセル氏が登場し、頭を下げてから、舞台の下手に手招きをする。すると、半そで、半ズボンで白い手足をした少年が出てきた。ずっと人形然とした罪人を演じ、最後に手足を出して抵抗する演技をしたのは、この少年だったのだ。場内は割れんばかりの拍手。少し重いテーマで、重い結末だったのに、この少年の登場で、最後は不思議な感動に包まれた。どんな舞台でも「子供には勝てない」という言い方もされるが、まさにそうだったのかもしれない。少年に向けて「おひねり」を投げるホステスもいた。親子は、何度も頭を下げて舞台の袖へ下がっていった。


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 私は、照明と音響を無事やり終えて、横で伸びている宮前君を飛び越し、ラセン階段から下へ降りて行った。昨日「うなぎの間」で見たあの子。こんな風に出てくるとは思わなかった。最初罪人を見た時、嫌な予感がしたし、抵抗する白い手足を見た時には、すごく不安だった。だから、最後に元気に出てきて、ほんとにホッとした。

舞台の裏に回ると、社長やマネージャーと一緒に親子がいた。私は、少年の姿を見たら、なんだか、わからないけど………涙がこみ上げてきた。思わず、「良かった」と言って、抱きついてしまった。少年は「なんだよ!気持ち悪い!離れろ!」と言って私を突き飛ばした。手を触れあうこともない小学生の男女。当然のリアクションだろう。お父さんは「タケヤ!なんてことするんだ!」と怒った。でも、「タケヤ」と呼ばれた少年の眼に、すぐに親しみのある笑みが浮かんだ。

「おまえ、天井の上で覗いて見てただろ、俺、ずっと気づいてたんだぞ」と言った。初めて話したのに、急に距離が縮まった気がしてうれしかった。

 



 










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