最終話 南十字星

 海南島ということは、香港の南。


 バシー海峡を通過していると思ったら、また戻ってしまった。


 海南島の三亜の海軍航空隊基地近くの港に深夜到着した。

 夜には星空。椰子の木が揺れている。


 救命艇からは、引揚げ邦人、怪我の程度が軽い傷痍軍人から下船して、わたしのような重傷者は一番最後だった。


 海南島の海軍病院は平屋建てで、中に入るとおびただしい数の患者で溢れていた。

 私は空いた場所を見つけ、横たわって目をつむった。


 ◇◇◇


 昭和19年4月下旬


 インド・マニプール州 インパールから南に20キロほどのログタク湖付近


 その近くにビシエンプールという町があり、その西方15キロくらいのところに、ガランジャールはある。


 インパールを攻略中に、この小さな高地に待ち受けたのは、グルカ兵の精鋭部隊だった。偶然にグルカの集団に遭遇したわが小隊は、白兵突撃を敢行した。グルカナイフをもったグルカ兵が突進してきて、私は持っていた軍刀で突き刺した。

 彼の苦痛に満ちたうめき声がまだ耳に残る。

 この軍刀には何度か救われ大事に携えている。


 だかその後の戦闘で、バーンと近くで砲弾が破裂し、その破片が肺に刺さった。とても息が苦しく倒れこんだ。

 衛生兵が私の足を引っ張って、曳きずられて、後方に下げられた。



 私は、幾多の戦闘と、遭難から救われ、この海軍病院についた。

 目をつむると、戦友の笑顔が浮かんだ。


 ああ、彼は死んだのか。

 ヤツは、旅立ち前に、おれの夢の中へ会いに来たのか。


※インド・マニプール州、ログタン湖の西方、約15キロくらいのところに英国の教会があり、その付近が高田(高崎)「弓」第215連隊と英国グルカ兵部隊の戦闘区域である。


 ◇◇◇


 ガヤガヤという声で目が覚めた。

 ああ、俺は生きている。

 点呼が始まり、担送患者から衛生兵に付き添われて、小さな受付に行った。

 そこで小さな湯呑みに肝油を注がれて一杯飲み、病床日記と照合されて、病室に案内された。個室だった。


 昼過ぎに軍医と看護婦が回診に来た。

 ただ様子を聞いただけである。

 私は看護婦に、我々の救命艇に救助した看護婦は乗っていなかったかと聞いたが、乗っていなかったという。台湾の方から来て救助艇に救われていればと願ったが…


 軍医は病室から出るときに、私にタバコを3箱渡した。

「南十字星」という10本入りのタバコである。


「今晩、夜空を見て見よ。南十字星がよく見えるぞ」と軍医は出て行った。


 その後に、患者の世話をするボーイが病室に入ってきた。

 左腕に赤い星の印を付けた軍属で、台湾人である。

 彼は指を丸くした。金をくれ、の合図である。

 いくらか渡せば何かを買ってきてくれるという。賄賂も含めて。


 そして彼からは、南の赤い星、カノープスは中国語で「南極老人星」ということを教えてもらった。寿老人を意味し、あの星に長寿を願うという。


 その台湾の青年にいくらか金を渡したが、大して効果はなかった。

 海軍病院の飯はボロボロのご飯に、芋蔓(いもづる)を醤油につけたものが入ったものだ。


 そして4日から5日して、軍医と看護婦が来て「診断」すると言った。

 そしてカルテに何やら書いて、


「今晩、大阪行きの海軍の輸送船が出る。それに乗るように」と私に告げた。


「ああ済まない」

「私こそ、なにも出来ないで申し訳ない」と看護婦を招き、看護婦は包みを開いた。


 南十字星のタバコが5箱あった。

 その軍医は配給のタバコを私に回したのだった。


◇◇◇


 9月15日の夜だった。


 船は夜に出航した。

 海南島の三亜の街の灯がだんだん遠ざかっていく。


 この船はわが国の最南端の都市、高雄(台湾)の方に向かうという。


 そういえば、あの若い軍医は「南十字星」がよく見えると言ったっけ。


 私は甲板に出て、南十字星を見つけた。


 南十字星は、あの護国丸で私の世話をしてくれた、赤十字社の看護婦さんの笑顔のように見えた。

 その周りを囲む星が、イギリス兵の捕虜たちのように見える。彼女らを守るように星がきらめいている。


 そして、南の空にひときわ明るく輝くカノープス。


 私は軍医からもらった南十字星のタバコを見つめた。

 舷灯げんとうけず、灯火管制の船は満天の星空の下を静かに進む。

 

 あの看護婦さん、そして護国丸の仲間らが、あのカノープスに導かれて、永遠の命を賜らんことを願う


(終わり)


 


 


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DEF trip 碧海のカノープス(水先案内人) 晁衡 @monzaeshi

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