月華帝国恋綺譚 ―星詠みの少女と氷の女帝―

藍埜佑(あいのたすく)

序章:銀月の帝都

 月華帝国――その名は、大陸の東端に広がる広大な国土を統べる、古より続く王朝の名であった。帝国の中心、銀月城を擁する首都は、まさに月の光に包まれた神秘の都といえた。


 銀色に輝く巨大な城壁が都を取り囲み、その内側には優美な建築物が立ち並ぶ。白亜の宮殿群、天を突く尖塔、美しい庭園、そして夜になると月光を反射して銀色に輝く道路。全てが月の女神の加護を受けているかのようだった。


 都の中心に聳え立つ銀月城。その最上階の広間で、新たな女帝の即位式が行われていた。


「我、嫦娥じょうが、ここに月華帝国第108代皇帝として即位することを誓う」


 凛とした声が広間に響き渡る。そこに立つ若き女帝・嫦娥の姿は、まさに月の化身のように美しかった。銀色の長い髪、深い紫紺の瞳、そして白磁のように滑らかな肌。その佇まいは、見る者すべてを魅了した。


 しかし、その美しい瞳の奥底に潜む冷たさに気づく者はいなかった。


 即位式が終わり、夜の帳が下りた。嫦娥は自室の窓辺に立ち、月を見上げていた。


玉兎ぎょくと……」


 その唇から零れた名前は、かつての親友のものだった。


 幼い頃の記憶が蘇る。銀月城の庭園で戯れる二人の少女。一人は銀髪の嫦娥、もう一人は白髪の玉兎。二人は手を取り合い、月の光の中で踊っていた。


「嫦娥、私たち、ずっと一緒よね?」

「ええ、玉兎。永遠に……」


 しかし、その誓いは儚くも崩れ去った。


 玉兎は、月兎族の姫だった。月兎族は月華帝国の中でも特別な地位を占める一族で、月の力を操る能力を持っていた。しかし、その力ゆえに常に警戒され、時に迫害の対象となることもあった。


 ある日、玉兎は嫦娥を裏切った。月兎族の権力拡大を狙う一派に加担し、嫦娥暗殺計画に加わったのだ。


「なぜ……玉兎……」


 嫦娥の心は凍りついた。最愛の人に裏切られた痛みは、彼女の心に深い傷を残した。それ以来、嫦娥は誰も信じられなくなった。そして、その心の闇は日に日に深まっていった。


 即位から数年が経ち、月華帝国は嫦娥の賢明な統治のもと、かつてない繁栄を謳歌していた。しかし、その繁栄とは裏腹に、嫦娥の心の闇は深まる一方だった。


 そして、ある日を境に、嫦娥は恐ろしい習慣を始めた。


 毎夜、一人の美しい女性を後宮に呼び寄せ、その肉体を味わい尽くした後、魂を吸い取るのだ。嫦娥は、他者の魂を吸収することで、自らの寿命と美しさを永遠のものにしようとしていた。


 後宮に呼ばれた女性たちは、恐怖と絶望に打ちひしがれていた。


「お願いです……命だけは……」


 しかし、嫦娥の冷たい紫紺の瞳に映るのは、ただ虚ろな月の光だけだった。


「さあ、お前の魂を頂こうか」


 嫦娥の手が差し伸べられる。女性の体から淡い光が立ち昇り、嫦娥の体へと吸い込まれていく。


「あ……ああ……」


 悲鳴とも吐息ともつかない声を残し、女性の体は力なく床に崩れ落ちた。


 嫦娥は窓に向かい、月を見上げる。その瞳に映る月は、かつてないほど美しく輝いていた。


 しかし、その美しさとは裏腹に、嫦娥の心の闇は深まるばかりだった。


 月華帝国の夜は、静かに、そして残酷に更けていくのだった。

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