正面VS斜面、2人の青年はインターハイで再開する◉➶
弓道、ツギヤ
突然の別れは、切れ落ちた弦のように唐突だった。
木漏れ日が差し込む、古めかしい人寂れた弓道場。
周囲には緑鮮やかな木々が葉を揺らし、その場を取り巻いていた。
せわしく蝉時雨が飛び交うなか、矢取道の中央で向かい合う2人の少年。小さな体を震わせながら、嘆いていた。
ショウヤは背丈より飛び出た和弓を両手で握りしめ、溢れんばかりの涙を浮かべながら、空を見上げ、泣き叫んだ声が響いた。
「ツルヤ、なんで転校しちゃうんだよ! おおきくなって、オレといっしょに弓をひこうって約束したのに、なんでだよぉ、なんでだよぉぉ!」
ショウヤと向かい合うツルヤは、グッと唇を噛みしめる。
ツルヤは背丈より飛び出た矢筒を背負い、ポツポツとうつむきながら雫を落としている。それでも、優しい声で言った。
「ごめんショウヤ。約束、まもれなかった……でも、ボクだって転校したくないんだ。ボクだって、ショウヤといっしょに弓がひきたかった……うそじゃないんだ……ごめん」
ツルヤはショウヤに背に向けると、浮かぬ顔のまま林の中へと歩き始める。少年達にはどうすることも出来ない、抗えない事実だった。
胸を締め付けるような痛みを抱えながら、自分自身の心に問うた。
───いままで楽しかった、ありがとう
オレは、ボクは、きゅうどうぶにはいるから
おおきくなったら
ツルヤに、ショウヤに、かつから、まけないから
いつかきっと、いっしょに弓をひきたいから
だから、笑ってサヨナラしたい。
無垢な心を持つ少年達は、最後に向かい合った。
精一杯の声を張り上げ、涙を散らし叫んだ。
「オレ、ツルヤより上手いせんしゅになるから!」
「ボクだって、ショウヤより上手いせんしゅになるんだ!」
少年達は小さな瞳を輝かせ、未来での約束を交わした。
ショウヤは、背丈より飛び出た和弓を掲げて。
ツルヤは、背丈より飛び出た矢筒を掲げて。
『おおきくなったら、ぜったいきゅうどうぶに入ろうな、きゅうどうじょうで、どっちがつよいかしょうぶだ。オレたち、ボクたち、いつまでも親友だから!』
* * *
それから、歳月は人を待たず、2人は再開する。
《インターハイ・男子個人決勝戦》
試合会場の弓道場は猛暑だった。
日陰になったその場所、真新しい道場の応援席には無機質な屋根が覆い被さっていて、その下に集う観客達の熱気が漂っている。
道場の射場内では先程まで、パイプ椅子に座っていた2人の青年が立ち並び、向かいあう姿があった。
男子個人の決勝戦、
5段目──
弓道インターハイ男子個人決勝戦、残る最後の2名の選手。
決勝戦の選手の名を知らせるアナウンスを聴き、青年らは心底驚いたような表情で見つめ合っている。
2人は白い弓道衣。墨色の袴に身を包み、 左手には背の丈より少し長い程度の和弓。
右手には茶色い
気迫のある雰囲気を持ち、空色の短髪。
落ち着いた雰囲気を持つ、土色の長髪。
だが、再開を喜ぶといった様子はいっこうに感じられない。
互いに至近距離で言葉を交わすも、雲を掴むように交差していくだけだった。
「相手が弦矢でも、俺はこの試合で勝つためにここまできたんだ」
「そうだね。僕だって負けて帰る気はないよ、翔矢」
2人は無表情となる。
それは試合中だからといった理由ではなく、また別の理由によるもの。それぞれ瞳の奥に宿していたのは、各々の約束を果たすため。かつて無垢だった小さき頃の瞳には程遠く、互いに違う道を歩んだ事による、決別を示唆しているかのようだった。
「俺は約束したんだ、お前に勝たないといけない理由がある」
「僕も約束したんだ、君に負けられない理由がある」
観客席の熱量とは相反するほどに、凍てつくような緊張感がその場に漂っていた。
それぞれが歩んできた道で得た約束を胸に秘め、2人は目を細め、睨みあう。
───あいつと約束したんだ、弓道インターハイで優勝すると。
感情的だったかもしれない、でも誓ったんだ。
この試合で勝たなければ、俺のプライドが許さないんだよ!
弦矢の流派は〝斜面打起し〟だ、
中て射に特化した流派に、負けてたまるかよ。
俺は弦矢に勝つ、絶対に的に中ててやる!
───あの子と約束したんだ、弓道インターハイでも負けないと。
今でも病と格闘しているんだ、だから一緒に頑張ろうって。
この試合で負けれない、僕には背負うものがあるんだ。
翔矢の流派は〝正面打起し〟だったね、
見た目を重視した流派より、斜面のが中るんだ。
僕は翔矢に勝つ、絶対に的から外さない。
的替えが終わった安土へと向き直り、2人は執弓の姿勢になると、椅子へと座った。
安土に設置された的は、「直径三十六センチの霞的」よりひと回り小さい、「直径二十四センチの星的」が2つ。
《只今より、男子個人決勝戦、射詰め──5段目を開始します。本座へとお進みください》
試合再開のアナウンスが流れ、翔矢と弦矢は椅子から立ち上がる。
立射の形式により行なわれる決勝射詰め、大前は翔矢、大落は弦矢だった。
本座で揖。的に向かって摺足しで前進、射位へと進む。
左足から踏みこみ、右足を踏みこむ。重心を定め胴造りへ。
弓を目線まで持ち上げ矢をつがえた、「カチッ」と音が鳴る。
弓は左膝の上に据え、右手は腰に添える、物見。
2人が描く体配は、まるでツガイのような息のあった動作だった。
美しく、キレのある動きに、観客席の者達は圧巻された。高ぶる期待、高揚する気持ち。それは数多の射を見てきた他の選手達でさえ認めるほどの待ち遠しさ。
しかし、翔矢と弦矢にとって、感じることのない空気であった。決勝の場で、そのような雑念に気を取られるほど未熟な精神力ではないからだ。
〝勝たなければならない、負けるわけにはいかない〟
その不動心こそが、緊張という雑念に打ち勝つ集中力の礎なのだ。
【翔矢】は取懸けた。
肘を張り、ボールを抱えたような姿勢、物見。
両拳を持ち上げ、頭上でそろえる。
弓を押し開き、手の内を絞り──大三。
関節と背筋を使い、弓を降ろしていく。
左右の力の比率は等しく、和弓は美しく――反り返った。
『会』矢摺籐の先から視えるもの、闇。
弓手からの反発力を感じながら、さらに手の内を絞っていく。
親指の付け根に一点集中する力。馬手は、右肘を支点に矢筋へと弦を引っ張る。
伸び合う──弦枕から動きだす弦のタイミングを見計らい『離れ』
『カシュン』かん高い音色を奏で、矢風を鳴らす。
『パァン』矢所は的の中心を捉えた──残心。
翔矢は執弓の姿勢となった。
【弦矢】は取懸けた。
押手を伸ばし、天文筋を握りに添わせ、爪揃え。
手の内を絞り、右肘を張って構える、物見。
弓を持ち上げ、押手よりひと拳分高い位置にある勝手。
腕力による力強い──三分の二。
軋むような音を鳴らし、キリリと──和弓は反る。
『会』矢摺籐の先から視えるもの、闇。
押手は親指の付け根と小指の2点に力を込め、握り絞るように的へと押し続ける。
勝手は弦をねじりながらも、力は矢筋へ伝達し『離れ』
『ガシュン』鈍い音色を奏で、風を裂く。
『パァン』矢は的の中心を射抜く──残心。
弦矢は執弓の姿勢。
右足、左足の順に足を閉じる。半歩下がり体の向きを的へ向ける。
本座返り、翔矢と立ち並ぶ。
2人の視線は平行線のまま、各々の思考を張り巡らす。
───弦矢の射は力強い……惹かれるものがある。
弓返りのしない安定した弓手、キレのある力強い離れ。
まるで外す気がしない、これが斜面打起しなのか?
どうしてだろうな、この場所で再開しなければ……
もっと楽しく弓が引けたかもしれねぇ。
でもな、俺は必死に稽古してきたんだ、
お前に勝ちたい、弦矢!
───翔矢の射は無駄がない……惹かれてしまうよ。
押手は魅せるような弓返り、腕力じゃない技術での離れ。
次も中ててくるね、正面打起しなのに、そう思う。
どうしてかな、もっと早く再開していれば……
いがみ合うことなく弓を引けたかもしれない。
だけど、僕は誰よりも稽古してきたんだ、
君に負けたくないんだ、翔矢。
駆け抜ける通り風。会場の木々がザワザワと鳴き、葉を散らす。
2人は介添えから矢を受け取り、執弓の姿勢になる。
《只今より、男子個人決勝戦、射詰め──6段目を開始します。本座へとお進みください》
視線は平行線のまま、次なる射へと身を投じていく。
分かり合うことのない想い、鳴り響く的中音。
的を貫くも、2人の選手は凛として、その姿は平行線だった。
『カシュン——パァン』
翔矢は弓を引き、矢を放つたび、その感覚は研ぎ澄まされていく。
純粋に弓に宿る心、〝誰よりも勝ちたい決勝戦〟
試合会場の者達はこう思っていた。
翔矢の射は、的を中て続けるだろうと。
『ガシュン———パァン』
弦矢は弓を引き、反らすたび、しかと自信と手応えを感じていた。
純粋に矢に宿る心、〝誰にも負けられない決勝戦〟
試合会場の者達はみなこう思っていた。
弦矢の射は、的を外すことがないだろうと。
7段目———カシュン——————パァン!
8段目———ガシュン——————パァン!
流派と流派、技と力のぶつかりあい。
それは観客達を魅了し、高ぶる気持ちを有頂天へと誘うことを容赦しなかった。なぜこうも魅せるのか、なぜこうも心が高揚するのか。
ここで、大会本部の運営委員により競技一時中断。慌しく射場を往来する運営者。
その間、翔矢と弦矢は言葉を交わさず、椅子へと座っていた。
それは射詰め、遠近法によるものへと変わる。
協議規定による競技方法の変更、それは競射8段目にても勝敗が決しなかった場合によるもの。
大会運営者による的替え、星的から霞的へと。緊迫した空気が和らいだ、短い時間だった。
矢道には複数の人影、勝敗を決する最後の一射を前にして、今の2人が想うもの。その答えを出す前に的替えは完了し、試合再開を知らせるアナウンスが弓道場に響き渡った。
《只今より、男子個人決勝戦、射詰め──遠近法による、競技を開始します。本座へとお進みください》
2人の射手はゆっくりと立ち上がる。翔矢は霞的の前に、弦矢は翔矢の隣へと。
その光景に、再び会場は静寂し、その体配に圧巻され刮目する。
執弓の視線から描かれたのは、ツガイのような体配だった。
ゆっくりと跪坐、腰をきり、和弓は弧を描くような姿勢の転換。
礼射系の体配―――翔矢。
武射系の体配―――弦矢。
各々が歩んだ弓の道、その全てをこの射に込めて。
2人は矢を番え、同時に立ち上がる。
正面打起しと、斜面打起しによる座射だった。
【翔矢】は取懸けた。
和弓はしなやかに反り返り、美しい会へとなる。
狙うは的の中心、伸び合う。
カシュン──ヤゴロによる離れ、技の弦音が鳴り響いた。
パァンッ──破裂する音色。
それは中白、そのど真ん中だった。
残心――――――。
翔矢は執弓の姿勢となり、本座返りをする。
弦矢は弓を持ち上げ、筈を隠して前進する。
【弦矢】は取懸けた。
和弓はキリリと軋み、力強い会へとなる。
狙うは的の中心、伸び合う。
ガシュン──ヤゴロによる離れ、力の弦音が鳴り響いた。
ボンッ――空気が裂けるかのような破砕音。
残心――――――。
なにかが弾けるような音にザワつく観客席、どよめく人の波。
筈を破壊し、そのシャフトに潜り込むように突き刺さった矢。
〝
弦矢は執弓の姿勢となり、本座返り。
看的小屋から赤旗が掲示されると、大会運営者は戸惑いながら矢道を進んでいく。
翔矢と弦矢は落ち着いていた。それは、どちらが勝っているかすでに理解しているからだ。
椅子へと腰掛けたまま、2人の青年は向き会った。
それはピンッと張った弦が切れたかのように、意外な気持ちを胸に巡らせて。
───まさか、こんな形で終わってしまうなんてな
俺の矢が、僕の矢が、君の矢を破壊しちゃったんだね
こんな天文学的な現象で、勝負の決着がつくなんて
俺は、予想出来なかった、矢も破壊されちまった
でも、お前の矢も、使いもんにならねぇだろう
弦矢なら、翔矢なら、きっと、笑うんじゃないかな
「弦矢の勝ちだな、なんか気が抜けちまったよ」
「僕の負けだよ、それにしても、翔矢の矢を壊しちゃったね」
「試合が終わったら一緒に」「ご飯でも食べに行こうか」
『もちろん、俺の、僕の、傲りでね』
青年達は笑いあう、少年時代の約束を、想い描きながら。
【Fin】
「弓道小説」ショートストーリー集☆ もっこす @gasuya02
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