今でも姉は私の光(物理)

志波 煌汰

偉大な姉は輝くものだ。

 姉は光になった。

 これは死んだとか、大きな成功を遂げたとか、誰かの希望になったとか導いたとか、そういった比喩の類ではなく、結婚して姓が「光」に変わったというジョークでもない。文字通りの意味で光になった。

 電磁波の一種であり、特に可視光線を意味し、物体を照らし、鏡では反射し、一秒間で地球を七周半出来るほどの速度を誇る、皆さんの身近にも当然存在する、あの光である。

「人は誰だって輝ける」と誰かは言っていた。「偉大な人間は輝くものだ」みたいな言葉もあった気がする。しかし姉はあまりにも偉大過ぎたのだろう。光り輝くどころか、光そのものになってしまった。あまりにも規格外。流石は私が世界で一番尊敬する姉である。


 思い返せば姉は光になる前から私の光であった。ややこしい言い回しになってしまったがこの場合における光とは概念的なそれの話であり、要するに私の憧れであり、希望であり、目標であったという意味だ。

 姉は幼少のみぎりから明るく(物理的な意味ではない)、気付けば自然と人の中心にいるような性格で、困っている人を決して見捨てない強さと優しさを兼ね備えていた。頭脳も聡明であり、大学に入って研究の道に進むに飽き足らず、自分の研究成果をより直接的に社会に還元しようと企業まで立ち上げて経営者としても成果を上げているのだから、姉を追って同じ研究者の道に進んだものの研究だけで手いっぱいな私としては平伏するしかない。

 そして姉の一番の美点として、こうと決めたら真っ直ぐに突き進む意志の強さがあった。決して躊躇わず信念のままに突き進む、それこそまるで直進する光のように。こうして振り返ると姉と光の類似点は非常に多く、今となっては光になったのは自然なことだったのかもしれないとすら思える。そう言えば昔から足も速かった――今では宇宙で一番速い。


 と、ここまで姉の偉大さと光との類似性を滔々と語ってきた私だが、実を言えばすんなりとこの事実を受け入れることが出来たわけではない。


「お姉ちゃん、光になっちゃった」


 最初に姉からそう言われた時は酷く仰天したものだ。何せ私の前には何だかよく分からない人型らしき輝き――形状が曖昧なのは眩しすぎて直視できなかったからである。これまた文字通りの意味で――があり、それが人語を喋ったのだから気が動転するのも無理はない。

 これが動物とか虫とかならもっと納得は早かっただろう。私は李徴のこともグレゴール・ザムザのこともよく存じ上げている。フィクションとは言えそう言った事例を知っていれば多少心構えは出来る。

 だが、光である。光て。人間が光(物理)になるのは私の履修範囲にはなかった。平成以降のウルトラマンではたまにあることのようだが(後で調べて知った)、残念ながら私はライダー派だった。

 だがしかし、その光は紛れもなく姉であった。

 喋り方も、言葉選びも、動きも。何もかもが間違いなく姉であった。誰よりも傍で、誰よりも長く姉を見つめてきた私にははっきりと分かった。分かってしまった。


「ね、姉さんどうしたのその体。何で光ってるの」


 ということで姉がなんだか大変なことになってしまったことをひとまず受け入れた私が次に試みたのは現状の把握であった。

 姉がやたらに光っている――言葉にすると理解しがたいが、ありえないことではない。人間はそもそも光っているのだ。これは概念的な話ではなく、科学的な事実である。

 と言っても何もホタルや夜光虫などのように、明らかに目に見えるような強いものではない。普遍的に、生物は細胞呼吸による代謝などに付随して極々微弱な……それこそ超高感度測定器でもないと検出できないほどに微弱(ホタルなどと比すると10万分の1以下)な光を発生させることが知られている。バイオフォトンと呼ばれる現象である。

 理屈は想像もつかないが、姉ほどの偉大な人間ならバイオフォトンが突如100万倍になっても納得は出来る。私はそう考えたのだった。

 しかし私の問いに対し、姉は(恐らく)首を振った。


「違うの。光ってるんじゃなくて、光そのものになったの」

「ど、どういうこと?」

「えーっと、どう説明しようかな……」


 姉は一瞬悩む素振りを見せたが、すぐに「あ、そうだ」と言って付きっぱなしのテレビを示した。画面の中では現地レポーターが生放送で何か話している。


「今からあそこに行くから。見ててね」

「は?」


 言うが早いが、私の目の前から姉は消え失せた。代わりにテレビからレポーターの驚愕の声が響く。


『……すごい行列ですねー! こちらのお店が今話題の……えっ!!?? 何今の!!?? なんかすごい光ってる人? が居る!! 宇宙人!? UMA!? なんか手を振って……あっ消えた!? 何何何!?』

「……ね? お姉ちゃん自体が光になっちゃった。地球のどこでも一瞬で行けるよ、一秒で七周半出来ちゃうんだから」


 騒然となるテレビ画面を無視して、一瞬で行って帰ってきた姉はそう言い放った。



 こうして、何がなんだか分からないが、とにかく姉が光になったことだけは私にも理解できてしまったのだった。



 普通に考えて、自分が光そのものになるなんて事態は相当に大変な事態である。いや、そもそも普通に考えることはないだろうが。

 前代未聞の話だし、そもそも何がどうなっているのかさっぱり分からない。いくら偉大すぎる姉とは言え、この事態には大いに嘆き、戸惑うことだろう。妹として、微力ながら姉を支える力になろうと私は固い決心をした。

 結論から言うと、その決心は不要だった。

 姉は全然嘆いてなかったし、戸惑ってなかった。

 むしろポジティブでさえあった。


「きっとこれは天が与えてくださった才能よ。活用して人の役に立てないと!」


 体が光そのものになった時、これほどまでに前向きに考えられる人間が果たしてどれほどいるだろうか? 少なくとも私には無理である。やはり光になる人間にはそれだけの偉大な資質があるのだろう。


 さておき、姉はたちまち有名になった。あのニュース乱入が話題になっていたところに、本人が現れたのだ。しかもその正体が元から有名な新進気鋭の若き女社長なのである。有名の二乗でさらに有名になるのは必然。姉の下にはたくさんの人が殺到した。

 群がる下賤なマスコミや野次馬を適当にあしらいつつ、姉はその注目度を活かして世界中の科学者を集め、自身の会社の社員も交えて研究チームを組織した。研究内容は科学的なもので、主に光の性質などの解明を目的とした。

 現代科学では光を長期間閉じ込めることは出来ない。仮に鏡張りの部屋で封じ込めようとしても、光を100%反射出来る鏡は存在しておらず少しずつ吸収され減衰してしまうからだ。すぐに逃げ出し発散してしまう特質故に、光の研究はなかなか難しいところがある。しかし姉の体は光でありながら人の形に集まって収束している。これは光としては奇妙すぎる事態だが、光学研究をするにはうってつけの対象である。最先端の科学者たちが集まり、姉の体を資料に様々な研究が行われた。


 一方、どうしてこうなったのか、どうやって元の体に戻ればいいのか、などの医学的(と言っていいのかは分からないが)なアプローチには姉はさっぱり関心がないようだった。


「理由なんてどうでもいいし、元に戻れなくてもいいわ。それよりもこの便利な体をどんどん活かさないと損よ!」


 というのが姉の弁であった。その宣言通り、姉は研究以外にも持ち前の行動力で様々な活動に取り組んだ。何しろ今の姉は文字通り光速だ。凄まじい行動力に凄まじい行動速度が伴えば、その成果は凄まじいものになる。

 ひと昔前にマッハ20で動ける教師が主役の漫画があったが、それを髣髴とさせるような八面六臂の活躍だった。しかも光速はおよそマッハ90万、つまり前述の漫画の4万5千倍である。当然活躍度合いも漫画の比ではない。

 その活躍ぶりの全てをここに記載することは出来ないが、ざっくり言うと世界中のどこにでも一瞬で現れて困っている人に手を差し伸べた。そして悪党が地球のどこに居ても現れて成敗した。少しの隙間さえあれば姉はどこにでも侵入できる。何せ光なので。その性質を生かして悪党の前に現れてはその輝き(物理)で目を晦まし、視界が効かないうちに捕縛する、というのが姉のやり方だった。

 その有様はアメコミのヒーローさながらで、アメリカにおいては「レディ・レーザー」の異名が名付けられた。その傍らで相変わらず研究者、経営者としてもバリバリ活躍し、そちらでも今まで以上の成果を上げていたのだからいっそ笑えてくる。


 と、ここまでで疑問に思う方もいるだろう。「いくら体が光速だとしても、思考がそれに追いつかないのではないか?」と。私も同じ懸念を抱いていたが、しかしそれには及ばなかった。

 量子コンピュータをご存じだろうか。簡単に説明すると量子力学の原理を応用することで、従来の一億倍もの速度で計算処理を行えるという、現在開発中のコンピュータである。そして、光は粒子であり、光を使った量子コンピュータの開発も進められている。

 ここまで言えば分かると思うが、姉の思考方式には量子コンピュータと同じ原理が利用されていた。移動も思考も光速というわけである。もはや無敵と言っていい。


 とはいえ、光の体が便利なだけかと言えばもちろんそんなことはなかった。

 姉自身はあまり気にしていなかったが、私が困ったのは姉と一緒に寝られなくなったことである。と言っても眩しいから一緒に寝られないという話ではない。それくらいだったら仮に姉が引け目を感じたとしても私は同じ部屋で寝ることを要請しただろう。

 単純に、姉が寝れない体になっていたのである。

 光の肉体に睡眠は不要と言うことだろう。同様に食事も摂れなくなっていた。


「一緒に行こうって約束したレストラン、行けなくなっちゃったね」


 姉は申し訳なさそうな声音で、そう謝ったものだ。

 私にとって食事と就寝の時間は、世界人類のために活動しているため常に忙しい姉を独占できる貴重な時間だったので、このことは大いに嘆くに値した。しかし、24時間365日、寝食不要で誰かのために働けるようになった姉の喜びが大きなものであることも十分に察せられたので、自分の不満はぐっと心の奥に押し込める他なかった。


 そうも言っていられなくなったのは、姉が光になってから一年ほどが経過した頃のことである。


「あれ? 姉さん、なんだか前より見やすくなった?」

「そうかしら?」


 ある午後のことだった。久方ぶりにゆっくり姉と会話していた時、私は姉の変化に気が付いた。


「うん、前より目がチカチカしないわ」

「それならむしろ良かったけど」

「それに、なんだか小さくなったような……」


 そう言った瞬間、私は愕然とした。

 見やすくなっていたのは光量が減ったからだ。


 姉は、縮んでいた。


 考えてみれば当たり前の話であった。今の姉は光であり、常に途絶えることなく光を放ち続けている。

 つまり、エネルギーを消費しつづけているのである。

 それでいて食事は摂れない。失った分のエネルギーは補充出来ていない。減り続ける一方である。加えて姉は世界中のあちこちを行ったり来たりしており、思考は常に量子コンピュータの速度で稼働している。そのエネルギー消費量は甚大である。

 光は拡散する性質を持つものだ。

 姉の体は、どんどん宇宙に拡散し続け、小さくなっていた。

 ざっと計算すると、全て拡散してしまうまでおおよそ五年ほど。

 それはまさに余命宣告に等しかった。


「活動をやめる? それは出来ないわ」


 少しでも永らえるためにエネルギーの消費を抑えるべきだという私の提案を、姉はきっぱりと拒絶した。


「残された時間が少ないのなら、むしろもっと時間を有効に使わないと」

「で、でもこのままじゃ姉さんは死んでしまうのよ!」

「人はみな、いずれ死ぬものよ」


 さも当然のように、姉は言った。


「それならば、死ぬ前に何が出来るかが大事だと私は思う」

「そんな……!!」


 私が絶句すると、姉は申し訳なさそうに言った。


「あなたを一人にしてしまうのは、心残りだけど……せめて、あなたが生きるこの先の未来をもっと素晴らしいものに変えて見せる。だから、許してちょうだい」


 そんなもの!!

 そんなもの、私は求めてない!!

 私はただ、少しでも長く一緒の時間を姉さんと過ごしたいだけなのに!

 そう叫びたかったが、出来なかった。

 私は誰よりも理解している。この姉はどこまでも――無私の人なのだ。

 顔も名前も知らない、どこか遠くの誰かのためにその身を投げだせる、私がこの世で最も尊敬する姉はそういう人だった。


「…………分かった、姉さんの好きにするといい」


 だから、私はそう言うしかなかった。

 代わりに、告げる。


「私も私で好きにする」


 涙が零れそうな瞳をぐっと堪えて、あまりにも眩しい姉を真正面から見る。


「姉さんを、死なせたりなんてしないから!!」



 それから。

 残り少ない命を、まるで燃やし尽くそうとするかの如く今まで以上に精力的に活動する姉を尻目に、私は自分独自の研究に邁進した。

 研究対象はフォトニック結晶についてだ。


 フォトニック結晶。厳密な説明はややこしくなるため省略するが、私の目的に沿って簡単に説明すると、光を閉じ込めて保存することが出来る特殊な結晶である。

 光を閉じ込めるのは非常に難しいが、需要がある。先にも触れた量子コンピュータに関連することだ。これまで量子コンピュータには量子の状態を使った「演算装置」はあっても、その計算結果を保存する「メモリ」が存在しなかった。量子メモリ実現のために、光を閉じ込めることの出来るフォトニック結晶の研究が必要とされたのだ。2021年時点では1分間の停止に成功していた。


 私が目指すのは、半永久的な光の保存を可能とするフォトニック結晶の製造である。幸いにして、姉が光になってからのたった一年間で光に関する研究は飛躍的に進んでいた。私はその中に参画し、死に物狂いで研究を進めた。あまりに偉大な、偉大過ぎるあまり光そのものになってしまった姉とは到底比べるべくもないが、私も同じ血を引いた妹である。姉には及ばなくても、姉に少しでも追いつこうと走り続けてきた。人並み以上には優秀な自負がある。

 世界で一番優秀な姉は自己の保存に関する研究には無関心だ。ならばその次くらいには優秀な私がやり遂げるしかない。

 絶対に、大好きな姉を諦めるものか。


 四年の間、全てを研究に費やした。寝る間も食べる間も惜しみ、昼夜問わず研究を続けた。どんどん小さくなっていく姉に会う時間さえ諦めて、ただ目的のために全てを投じた。

 休む暇などありはしない。時は矢のように過ぎ去っていくのだ。もっと早く、もっと早く、もっと、もっと、もっと――光よりも、早く!!

 瞬きよりも早く、時も止まるほどに!

 あの気高い輝きが私を置き去りにして宇宙の闇に去ってしまうより先に――この手で捕まえないと!!



 ――そして、苦難の末それはついに完成した。

 光を半永久的に保存可能な、完全なるフォトニック結晶。

 その生成が、ついに成った。

 ボロボロの状態で研究チームの面々と抱き合い、喜びを分かち合う。人類にとっても大きな一歩だった。ついに量子コンピュータの実用化に目途がたったのだ。だが私の喜びはそんなところにはなかった。

 ようやくだ。ようやく完成した。これで姉を失わずに済む。どんどん宇宙に拡散していく一方だった姉を留めておけるのだ。消えゆく一方だった姉を保存できるのだ。

 そう。



 



 その声は、確かに私の中から聞こえた。




 ――それから少し時が経ち。

 姉が表舞台から消え去って、一年が経った。


 姉が人類に遺した成果は凄まじく、世界を一変させていた。

 姉の生み出した技術と作り上げたシステムのおかげで、貧富の格差は著しく軽減され、犯罪率は低下し、医療と科学は発達し、経済は上向いていた。

 まだまだ完全とは言えないが、確実に世界は良い方向へと進んでいた。

「私が居なくなっても問題なく世界が進めるように」――姉が作り、残していったものたちはその思想の通り、これからも世界を良くしていくことだろう。


 私はそれを直接見ることは出来ないが。


 研究が完成した後、目の手術を行った私は世界を見る術を失っていた。

 幸い、生活に不便はない。姉と私自身で積み上げた富はこの先何があっても困らないほどに莫大だった。

 姉に対する感謝の声がラジオから聞こえてくる。失われたものを惜しみながらも、彼らは残されたものを使って、その意思を継いでいくだろう。道標は十分すぎるほどに与えられた。世界がより良くなるよう、目指して歩むに違いない。

 姉が居なくても、世界は進んでいける。

 姉が居なくとも、もう大丈夫だ。

 だから――


「姉さん。聞こえてる? みんな姉さんに感謝しているわ。流石私の姉さんね」


 私は姉に話しかけた。


 あの日――。

 完全なフォトニック結晶を完成させた私は、それを持って姉の下へと走った。

 これがあればもう姉さんは消えなくて済むのだと、だからどうかこれに入って欲しいと、私は涙を流しながら訴えた。

 姉さんと、共に生きていきたいと。

 もう掌に収まるほどに弱々しく小さくなってしまっていた姉さんは、妹である私の一生のお願いに頷いてくれた。

 もうやれるだけのことはやった、という実感があったのかもしれない。


「もう少し私が居たほうが、みんな助かるかもしれないし、ね」


 姉はそう言って笑った。

 私も、笑った。


 そして姉はフォトニック結晶の中に入り。

 私は、その結晶を


 もう二度と、姉を失いたくなかった。

 いつまでも、姉を見つめていたかった。


 だから、姉を私の視界に閉じ込めた。

 世界を見ることは出来なくなってしまったが

――そんなことはどうでもいい。

 世界よりもかけがえのないものを、私は手に入れたから。


『ねえ、ここから出して……。どうしてこんなことをするの……?』


 姉の声が頭蓋の内に直接響く。その振動は幸せの音色だった。

 私は姉の頼みを無視して、幸福に浸る。


 姉は偉大だった。あまりにも偉大な、世界の全てをあまねく照らすような、光だった。

 でも、今はこんなに弱々しい。


 ゆっくりと目を閉じる。目を閉じても姉の姿はよく見えている。

 瞼の内側にいる姉の姿は私の視界に焼き付いて、他の誰も触れることが出来ない。


 世界中の『みんな』にとっての光であった姉さんは、今では私の――私だけの、光だった。


(了)

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今でも姉は私の光(物理) 志波 煌汰 @siva_quarter

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