屋根裏部屋
西しまこ
お友だち
その家には屋根裏部屋があった。急な階段を上がって二階に行くと、左手が広い屋根裏部屋だった。灯りはなく、昼間でも暗がりが広がっている空間だった。
私はよく、そこに閉じ込められていた。なぜ閉じ込められるのか。その理由はいつも分かっていなかった。ただ、自分が母親の機嫌を損ねたことだけが分かるだけだった。泣いても開けてくれないのは分かっていたけれど、私はいつでも長い間暗闇で泣いていた。薄い引き戸の向こうで、家族が――父が母が、祖父が祖母が、それから弟が――笑いながらテレビを見て楽しそうに話す声が聞こえてきて、いつもとても惨めな気持ちを味わっていた。あそこには私の居場所はないのだ。
だいじょうぶよ。
暗がりから、声が聞こえた。
だいじょうぶよ。心配しないで。
「……誰?」
私はそっと、声の方へ移動した。
屋根裏部屋にはあらゆるものが置かれていて――例えば、古い鳥籠とか使われなくなった棚とかそういうもの、或いはダンボールに入った何か――雑多な物をよけて、天井が斜めに落ちている方へいざって行った。
小さな女の子がいた。桜色の着物を着ていて、真っ直ぐの肩くらいまでの黒髪をさらさらと揺らし、前髪は目の上で切りそろえられている。白い肌に赤い唇をしていた。……どこかで見たことがある気がする。
ななちゃん、泣かなくていいのよ。
小さな小さな白い手が、私の頭をそっと撫でた。「――うん」
ねえ、いっしょに遊びましょう。「うん、遊ぶ」
私は以来、閉じ込められても泣かなくなった。天井が斜めに落ちている方の暗がりに行き、その子といっしょに遊んだ。小さな声で歌をうたったり、知っている物語を話したり。暗がりの中で、着物を着た白い肌が浮いて見えて、私はそのことに安心していた。
「最近、かわいくないのよ、あの子」
「前からかわいくないだろ」
「ううん、そうじゃないのよ。この頃、閉じ込めても泣かなくなったのよ」
「うるさくないから、逆にいいじゃないか」
「……それもそうね」
泣かないのは、お友だちが出来たから。初めてのお友だち。ずっと私には怖い人しか、周りにいなかった。でも、この子は私に嫌なことを何もしない。だいじょうよ、泣かなくていいのよって言ってくれて、すごく嬉しかった。毎日、私はお友だちに会う。小さくてきれいな、白い顔の着物を着ているお友だち。
「ねえ、私ね、あなたのこと、前にどこかで見たことがある気がするの」
そう言うと、その子はにっこりと笑って、赤い唇で歌をうたい始めた。小さい頃に聞いたことのある歌。懐かしい。そしてなんだかとてもあたたかい。そうだ、この歌を聞いて、安心して眠っていた頃もあったんだ。だいじょうぶよ、泣かなくていいのよ。小さな白い手が、私の頭を撫でる。暗闇も怖くなくなった。埃っぽい、雑多なものがある屋根裏部屋。閉じ込められても、平気。引き戸の向こうから、楽しそうな声が聞こえて来ても、平気。だって、私にはお友だちがいる。優しいお友だち。
今日は何して遊びましょう?
*
「屋根裏部屋で遊ぶの、危ないからやめなさい」
由紀子は急な階段を上がり、娘の真紀を連れ戻しに行った。
夫の実家は古くて広い日本家屋で、由紀子はあまり好きではなかった。そこここに暗がりがあって、ふいに手を引っ張られそうな気がしていた。真紀はもう幼稚園だから家の中だから目を放しても平気だよ、と夫や義理の両親は言うけれど、どうしても目の端に入れておきたくてたまらなかったのだ。特に屋根裏部屋は陰鬱で怖い場所だった。とても真紀を一人ではいさせたくなかった。
ぎしぎしと音を立てて階段を上り切ると、屋根裏部屋の引き戸が少し開いていた。
「真紀?」
そこから声をかける。
「おかあさん!」
すぐに真紀は目の前に現れて、由紀子は安心した。
「真紀、行くわよ」
真紀は由紀子に手を引かれて屋根裏部屋から出て、階段を下り始めた。
「あのね、お母さん。大きなお人形があったのよ」
「へえ」
「日本人形とそれからあたしくらいの女の子のお人形。ねえ、あのお人形持って帰っていい?」
「だめよ、きっと大事なものよ」
「そうかあ。……そうだよね」
真紀がすぐに納得してそれ以上言わなかったので、由紀子は胸をなでおろした。この屋根裏部屋にある人形なんて、持って帰りたくない。
……夫の仁志は一人っ子だ。お人形は誰のものだったんだろう? お義母さんの? それとも?
由紀子は、背中から何か黒いものが迫って来るような気がして、急な階段を落ちないように急いで下りて行った。
真紀の手をしっかりと握って。
了
屋根裏部屋 西しまこ @nishi-shima
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