第6章:体育祭での再会

 梅雨明けの蒸し暑い朝、秋月高校の校庭に生徒たちの活気あふれる声が響いていた。体育祭の準備が本格的に始まったのだ。2年3組の教室では、クラス委員長の佐藤陽太が黒板の前に立ち、みんなの注目を集めていた。


「えー、それでは体育祭の係分担を発表します」


 陽太の隣には、久遠沙織の姿があった。二人は以前ほど対立することはなくなっていたが、まだどこか気恥ずかしさが残っているようだった。


「まず、応援団長は久遠さんにお願いしました」


 沙織は少し驚いた様子で陽太を見た。


「えっ、私?」


「ああ。君の演劇の経験が生きると思ってね」


 沙織は嬉しそうに頷いた。


「分かった。頑張るよ!」


 係分担が決まり、クラスメイトたちは準備に取り掛かった。陽太は実行委員として全体の采配を振るい、沙織は応援の振り付けを考え始めた。


 ある日の放課後、陽太が校庭を歩いていると、沙織が一人で練習している姿が目に入った。


「久遠さん。まだ残ってたのか」


 沙織は振り返り、少し照れくさそうに笑った。


「あ、佐藤君。うん、ちょっと振り付けの確認をしてて」


「そうか。頑張ってるんだな」


 陽太は何か言いたげな表情を浮かべたが、結局「じゃあな」と言って立ち去った。


 その夜、陽太は自室で体育祭の計画書を見直していた。ふと、クラス対抗リレーの欄に目が止まる。


「そういえば、アンカーが決まってなかったな……」


 陽太は思案に暮れた。クラスには運動の得意な生徒が何人かいたが、みな他の競技と重なっていた。


「仕方ない。俺がやるしかないか」


 陽太は決意を固めた。しかし、運動が得意ではない彼には大きな不安があった。


 翌朝、まだ日の昇らない校庭で、一人の生徒が黙々とランニングをしていた。それは陽太だった。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らしながら走る陽太。その姿を、誰かが木陰から見ていた。


 数日後、陽太が朝練習を終えて教室に向かおうとしたとき、ふと自分のロッカーに目をやった。そこには、見覚えのない水筒が置かれていた。


「これ、誰のだろう?」


 水筒には付箋が貼られていた。


『頑張って! 応援してるよ』


 字体から、沙織が置いていったものだと分かった。陽太は思わず顔が赤くなるのを感じた。


「ばかだな……」


 そう呟きながらも、陽太の胸の中に温かいものが広がっていった。


 それからというもの、陽太の練習にはいつも誰かの気配が感じられた。水筒だけでなく、時にはタオルが置かれていたり、アドバイスの紙が挟まれていたりした。陽太は誰が置いているのか知っていたが、あえて口にはしなかった。


 体育祭前日、放課後の教室。沙織が陽太に声をかけた。


「ねえ、佐藤君」


「何だ?」


「明日、頑張ってね」


 沙織の目には真剣な光が宿っていた。陽太は少し照れくさそうに答えた。


「ああ。君も頑張れよ」


 二人は互いに微笑み合い、何か言いたげな表情を浮かべたが、結局それ以上の言葉は交わさなかった。


 体育祭当日、秋空の下、校庭は熱気に包まれていた。開会式が終わり、いよいよ競技が始まる。


「よーし、2年3組! 頑張るぞー!」


 沙織の力強い掛け声に、クラスメイトたちは大きな声で応えた。陽太も思わず笑みがこぼれる。


 競技が進むにつれ、2年3組の成績は上々だった。しかし、優勝するにはクラス対抗リレーで良い成績を収めなければならない。


「佐藤、お前に賭けるぞ!」

「頼むぜ、委員長!」


 クラスメイトたちの声援を背に、陽太はスタート地点に立った。


「位置について」


 号砲が鳴り、レースが始まった。前を走る3人のクラスメイトは、それぞれ懸命に走り、バトンをつないでいく。


 そして、ついに陽太の番が来た。


「佐藤!」


 バトンを受け取った瞬間、陽太は全力で走り出した。しかし、他のクラスのアンカーたちとの差は歴然としていた。


「くっ……」


 歯を食いしばって走る陽太。そのとき、


「佐藤くーん! 頑張れーっ!」


 沙織の声が聞こえた。振り返ると、沙織が必死に声援を送っている。その姿に、陽太は力がみなぎるのを感じた。


「ああああっ!」


 陽太は渾身の力を振り絞って走った。少しずつだが、前を行く選手たちとの距離が縮まっていく。


「佐藤、追いついてきたぞ!」

「もう少しだ!」


 クラスメイトたちの声援が響く中、陽太はラストスパートをかけた。そして――


「やったーっ!」


 見事3位でゴールイン。クラスメイトたちが歓喜の声を上げる。


「佐藤! すげえぞ!」

「やるじゃん、委員長!」


 みんなが駆け寄ってくる中、陽太は息を切らしながらも満面の笑みを浮かべていた。そこに、沙織が駆け寄ってきた。


「佐藤君、すごかった!」


 沙織の目には涙が光っていた。陽太は照れくさそうに答える。


「ありがとう。君の声援のおかげだよ」


 二人は見つめ合い、そして照れくさそうに目をそらした。周りのクラスメイトたちは、そんな二人の様子をニヤニヤしながら見ていた。


 午後からは締めくくりの全校リレー。各クラスの代表が走るこのレースは、体育祭の花形種目だ。2年3組からは、もちろん陽太が出場することになった。


「よし、これが最後だ。思い切り走ってこい!」


 担任の山田先生が陽太の背中を叩く。


「はい!」


 陽太は気合を入れて返事をした。


 レースが始まり、次々とバトンが渡されていく。陽太の番が近づいてきた。


「佐藤! 準備しろ!」


 前を走る仲間の声に、陽太は身構える。しかし、その瞬間――


「うわっ!」


 足を踏み外し、転びそうになった。観客席からどよめきが上がる。


「佐藤くん!」


 沙織の声が聞こえた。陽太は必死で体勢を立て直す。


「大丈夫だ、まだ走れる!」


 なんとかバトンを受け取り、陽太は走り出した。しかし、転びそうになったせいで出遅れてしまい、他のクラスに大きく差をつけられてしまった。


「くっ……」


 歯を食いしばって走る陽太。しかし、差は縮まらない。


 そのとき、再び沙織の声が聞こえた。


「佐藤君なら絶対できる!」


 その言葉に、陽太は勇気づけられた。


「そうだ、まだ終わっちゃいない!」


 陽太は残された力をすべて振り絞って走った。少しずつだが、前を行く選手たちとの距離が縮まっていく。


「佐藤、追いついてきたぞ!」

「頑張れー!」


 クラスメイトたちの声援が響く中、陽太は必死で走り続けた。そして――


「やったーっ!」


 見事4位でゴールイン。完全に追いつくことはできなかったが、誰もが陽太の奮闘ぶりに感動していた。


「佐藤、よく頑張った!」

「すごいぞ、委員長!」


 クラスメイトたちが駆け寄ってくる。その中に、沙織の姿もあった。


「佐藤君、本当にすごかった」


 沙織の目には、感動の涙が光っていた。陽太も思わず目頭が熱くなる。


「ありがとう。君の声がなかったら、ここまで走れなかったよ」


 二人は見つめ合い、そして照れくさそうに微笑んだ。


 体育祭が終わり、打ち上げパーティーが始まった。クラスメイトたちは陽太と沙織を囲んで盛り上がっている。


「ねえねえ、二人ってもしかして……」

「付き合ってるの?」


 からかいの声に、陽太と沙織は慌てて否定する。


「ち、違うよ! ただの友達だ」

「そ、そうよ。気のせいよ、みんな」


 しかし、二人の顔は真っ赤になっていた。クラスメイトたちは、そんな二人の様子を見てさらにニヤニヤする。


 パーティーが終わり、帰り道。陽太と沙織は並んで歩いていた。


「今日は本当に楽しかったね」沙織が言った。


「ああ。みんなの団結力が感じられたよ」陽太も頷く。


 二人は体育祭を振り返りながら、ゆっくりと歩を進める。


「ねえ、佐藤君」

「何だ?」


「お前のおかげで頑張れたよ」と陽太。


「あんたこそ、みんなをまとめてくれてありがとう」と沙織。


 互いの成長を認め合い、これからも協力していこうと約束する。


 家に着く直前、「あのさ……」と同時に声をかけ、慌てて「なんでもない」と言い合う2人。別れ際、ほんの少し手が触れ合い、電気が走ったかのようなドキドキを感じるのだった。



 その夜、陽太と沙織はそれぞれの部屋で体育祭の思い出を振り返っていた。


 陽太は窓から見える月を見上げながら、沙織の応援を思い出していた。彼女の情熱的な姿、そして力強い声援。すべてが鮮明に蘇ってくる。


「俺は、沙織のことが……」


 一方、沙織も自分の部屋で同じように思い返していた。陽太の必死の走り、そして最後まで諦めない姿。すべてが胸に刻まれている。


「私、佐藤君のこと……」


 二人とも、「好きなんだ」という言葉を心の中でつぶやく。直接それを伝えられなもどかしさをお互い感じつつ……。


 体育祭での経験を通じて、陽太と沙織の関係は確実に変化していた。お互いの長所を認め合い、尊敬の念を抱くようになっていた。しかし、まだ自分たちの気持ちに正直になれない二人。これからの学校生活で、彼らの関係はどのように発展していくのだろうか。


 翌日の朝、いつものように学校に向かう二人。昨日までとは少し違う空気が流れているのを感じながら、新たな一日が始まろうとしていた。

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