第3章:文化祭の準備

 秋月高校の2年3組の教室に、久しぶりの活気が戻ってきた。謎の落書き事件が解決し、生徒たちの間に安堵感が広がる中、新たな話題で盛り上がっていた。


「文化祭まであと1ヶ月だぞ!」

「うちのクラス、何をやるんだっけ?」

「確か、喫茶店だったよな」


 そんな会話が飛び交う中、陽太は黒板の前に立ち、クラスメイトたちの注目を集めた。


「みんな、聞いてください。文化祭の実行委員会から、各クラスの企画書の提出期限が明日までと連絡がありました。今日中に最終決定をしなければなりません」


 陽太の隣には、沙織が立っていた。二人は落書き事件を通じて協力し合い、以前ほどの対立はなくなっていたが、まだどこか気恥ずかしさが残っている様子だった。


「えーっと、私から補足します」沙織が明るい声で言った。「喫茶店っていうのは決まってるんだけど、テーマとか細かいところはまだなんです。みんなのアイデアを聞かせてほしいな」


 クラスメイトたちから次々とアイデアが飛び出す。


「季節がら、ハロウィンとかどう?」

「いや、もっと和風な感じの方が差別化できるんじゃない?」

「うちのクラスの特徴を生かしたものがいいよね」


 意見が出るたびに、陽太は黒板に書き出していく。一方、沙織は生徒たちの反応を見ながら、時折自分の意見も述べる。二人の息はだんだん合ってきているようだった。


 議論が白熱する中、陽太が沙織に小声で話しかけた。


「久遠さん、このままじゃ収拾がつかなくなりそうだ。そろそろまとめに入ったほうがいいと思うんだが」


 沙織は少し考えてから答えた。


「そうだね。でも、みんなの意見を大切にしたいから、ちょっと工夫してみよう」


 沙織はクラスメイトたちに向かって声を上げた。


「みんな、たくさんのアイデアありがとう! ここまで出たアイデアを組み合わせて、『和風ハロウィン喫茶』っていうのはどうかな? 着物を着たメイドさんがかぼちゃのお化けを持って接客する、みたいな」


 教室内がざわめき、多くの生徒が賛同の声を上げる。


「それいいね!」

「面白そう!」


 陽太は少し驚いた表情を浮かべながら、沙織に向かって小声で言った。


「さすがだな。みんなの意見を上手くまとめたね」


 沙織は少し照れくさそうに答えた。


「ありがとう。佐藤君が意見をまとめてくれてたから、私もイメージしやすかったんだよ」


 二人は互いに微笑み合い、その瞬間、なんとも言えない空気が流れた。しかし、すぐにクラスメイトたちの声で我に返る。


「じゃあ、決まりってことでいい?」


 陽太が声を上げた。


「はい、『和風ハロウィン喫茶』で決定します。詳細は実行委員で詰めていきますが、みんなの協力も必要です。よろしくお願いします」


 こうして、2年3組の文化祭企画が決まった。しかし、これは準備の始まりに過ぎなかった。


 放課後、陽太と沙織は実行委員会の会議に出席した。会議室には各クラスの代表が集まっており、緊張感が漂っている。


 生徒会長の鈴木健太が立ち上がり、会議を始めた。


「では、各クラスの企画について報告してもらいます。2年3組からお願いします」


 陽太が立ち上がり、淡々と報告を始める。


「2年3組は『和風ハロウィン喫茶』を企画しています。和とハロウィンを融合させた斬新な雰囲気で、来場者を楽しませたいと考えています」


 沙織も立ち上がり、補足する。


「具体的には、着物を着たスタッフがかぼちゃのお化けをモチーフにした和菓子を提供するなど、視覚的にも楽しめる内容を考えています」


 他のクラスの代表たちから、興味深そうな反応が返ってくる。鈴木会長も頷きながら聞いていた。


「面白い企画ですね。ぜひ頑張ってください」


 会議が終わり、二人は廊下を歩きながら話をした。


「久遠さん、さっきはフォローしてくれてありがとう」陽太が言った。


「いえいえ、当然だよ。私たち二人で決めた企画だもの」沙織が笑顔で返す。


 その瞬間、二人の間に何か温かいものが生まれつつあることを、お互いが感じ取っていた。しかし、まだそれを認めるには至らない。


 翌日から、クラス全体で本格的な準備が始まった。役割分担が決まり、それぞれが自分の担当に取り組み始める。陽太は全体の采配を振るい、沙織は装飾や演出の担当となった。


 ある日の放課後、陽太が美術室に立ち寄ると、そこで一人黙々と作業をする沙織の姿があった。大きな模造紙に、和風の建物とハロウィンのモチーフを組み合わせた看板を描いているようだ。


「久遠さん、まだ残ってたのか」陽太が声をかける。


 沙織は驚いたように顔を上げた。


「あ、佐藤君。うん、看板のデザインを考えてたの」


 陽太は沙織の描いた絵を覗き込んだ。和風の建物の屋根にジャック・オ・ランタンが乗っている斬新なデザインだった。


「すごいな、これ。君が描いたのか?」


「うん、でもまだ途中なんだ。なんか違和感があって……」


 沙織が悩ましげに眉をひそめる。陽太は少し考えてから言った。


「そうだな……じゃあ、ここにお化けの提灯を加えてみたらどうだ? 和風要素をもう少し強調できると思う」


 沙織の目が輝いた。


「そうか! それいいね。ありがとう、佐藤君!」


 二人は顔を見合わせて微笑んだ。その瞬間、なんとも言えない空気が流れる。しかし、すぐに我に返った陽太が咳払いをした。


「あ、そうだ。僕も企画書の最終確認をしないといけないんだった」


「そっか。じゃあ、私はこの看板を完成させるね」


 二人はそれぞれの作業に戻ったが、時折互いの姿を盗み見ては、微かに頬を赤らめるのだった。


 日々の準備が進む中、陽太と沙織の距離も少しずつ縮まっていった。二人で相談しながら問題を解決したり、互いのアイデアを出し合ったりする機会が増えていく。


 ある日、クラスで衣装の試着会が行われた。和風の着物にハロウィンの要素を取り入れた独特の衣装に、クラスメイトたちは興奮気味だった。


「わあ、可愛い!」

「これなら目立つぞ!」


 そんな中、沙織が着物姿で教室に現れた。オレンジと黒を基調としたデザインで、帯にはかぼちゃの模様が入っている。


 陽太は思わず見とれてしまった。沙織の凛とした姿に、今まで気づかなかった魅力を感じる。


「どう、佐藤君?」沙織が少し照れくさそうに尋ねる。


「あ、ああ……似合ってるよ」陽太は慌てて視線をそらしながら答えた。


 その様子を見ていたクラスメイトたちから、からかいの声が上がる。


「おーい、佐藤。顔真っ赤だぞ?」

「もしかして、沙織のこと好きなんじゃ……」


「ち、違うっ!」陽太は慌てて否定するが、その反応がかえって疑惑を深めてしまう。


 沙織も顔を赤らめながら、「もう、みんなったら」と言いつつも、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。


 準備が佳境に入るにつれ、予想外のトラブルも発生し始めた。ある日、注文していた和菓子の型が届かないというハプニングが起きた。


「どうしよう、これじゃあ予定通りに作れないよ」クラスメイトたちが焦る中、陽太が冷静に対応策を考え始めた。


「落ち着いて。まずは業者に確認の電話をしよう。それと並行して、代替案も考えないと」


 沙織も加わり、二人で対策を練り始める。


「ねえ、佐藤君。もし型が間に合わなかったら、手作りするのはどう? 大変だけど、逆に温かみが出るかも」


「そうだな。それなら、みんなで協力して作れるし、一体感も生まれるかもしれない」


 二人の提案にクラスメイトたちも賛同し、結局手作りの和菓子を作ることに決定。このピンチをチャンスに変えた二人の采配に、クラス全体が感心した。


 文化祭まであと1週間となったある日、陽太は演劇部の練習を見学に訪れた。本来は進捗確認が目的だったが、舞台上で演技する沙織の姿に目を奪われてしまう。


 沙織は、文化祭で上演する短編劇の主役を務めていた。着物姿で、ハロウィンの魔女に扮した彼女の演技は、陽太の想像以上に魅力的だった。


 練習が終わり、沙織が陽太に近づいてきた。


「どうだった? 私の演技」


 陽太は少し照れくさそうに答える。


「ああ、すごかったよ。君の演技力には驚かされるばかりだ」


 沙織は嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう。実は、佐藤君に見てもらえるって思ったら、すごく緊張しちゃって」


「そうだったのか。でも、全然分からなかったよ」


 二人は互いに見つめ合い、何か言いたげな表情を浮かべる。しかし、その瞬間、演劇部の部員が声をかけてきた。


「沙織ちゃん、次のシーンの練習始めるよ!」


「あ、はーい!」沙織は慌てて応じる。「じゃあ、佐藤君。また後でね」


 陽太は沙織の背中を見送りながら、胸の高鳴りを感じていた。


 文化祭前日、最後の仕上げに追われる中、思わぬアクシデントが起きた。演劇部の主役である沙織が、リハーサル中に足を捻挫してしまったのだ。


「大丈夫ですか、久遠さん!」陽太が保健室に駆けつけると、沙織がベッドに横たわっていた。


「ごめんね、心配かけちゃって」沙織が申し訳なさそうに言う。


 校医の診断によると、明日の本番には間に合いそうにない。演劇部の面々が困惑する中、陽太が突然口を開いた。


「あの、僕が代役を務めてもいいでしょうか」


 全員が驚いた顔で陽太を見つめる。


「えっ、佐藤君が?」沙織が目を丸くして聞き返す。


「ああ。実は、君の練習を見ていて、台詞はほとんど覚えてしまったんだ。もちろん、君ほど上手くはできないけど……」


 沙織は感動した様子で陽太を見つめた。


「佐藤君……ありがとう」


 こうして、陽太は急遽、主役を務めることになった。残された時間はわずかだったが、沙織のアドバイスを受けながら、必死に練習を重ねた。


 文化祭当日、緊張した面持ちで舞台袖に立つ陽太。その隣には、松葉杖をつきながらも励ましの言葉をかける沙織がいた。


「大丈夫、佐藤君なら絶対にできるよ」


 沙織の言葉に、陽太は少し落ち着きを取り戻した。


「ありがとう。君の思いも背負って、精一杯やってくる」


 幕が上がり、陽太の姿が観客の前に現れる。最初こそぎこちない演技だったが、次第に役になりきっていく。沙織は舞台袖から、陽太の演技に見入っていた。


 ラストシーン、主人公が決意を語る場面。陽太は客席に向かって力強く語りかける。


「たとえ困難があろうとも、私は前を向いて歩み続ける。なぜなら、大切な人たちがいるから」


 その瞬間、陽太と沙織の目が合った。二人の間に、言葉では表せない何かが流れる。


 公演が無事に終わり、大きな拍手が沸き起こった。舞台袖に戻ってきた陽太を、沙織が涙ぐみながら出迎える。


「すごかったよ、佐藤君! 本当に……ありがとう」


 陽太も感極まった様子で答えた。


「いや、僕こそ。君のおかげで、こんな素晴らしい経験ができた」


 二人は互いを見つめ合い、そっと手を取り合った。しかし、すぐに周りの視線に気づき、慌てて手を離す。


「あ、あのさ」陽太が言いかける。

「う、うん?」沙織が期待を込めて聞き返す。


 しかし、その瞬間、クラスメイトたちが祝福の声をかけながら二人を取り囲んでしまう。


「おめでとう! 大成功だったぞ!」

「佐藤、お前すごかったぞ!」


 騒然とした雰囲気の中、陽太と沙織は言いたいことを飲み込んでしまった。


 文化祭が終わり、片付けをする頃には日が暮れていた。疲れきった様子で教室に座り込む二人。


「本当に、長い一日だったね」沙織がため息をつく。

「ああ。でも、とても充実していた」陽太も同意する。


 静かな教室で、二人はしばらく無言で過ごす。やがて、陽太が口を開いた。


「久遠さん……いや、沙織」


 突然の呼び方の変化に、沙織は驚いて顔を上げる。


「な、何?」


「君と一緒に準備してきて、色々なことを学んだ。君の創造性とか、人を引き付ける力とか……本当にすごいと思う」


 沙織は赤面しながら答える。


「私も佐藤君から学んだことがたくさんあるよ。計画性とか、責任感とか……私には足りないものばかり」


 二人は互いに見つめ合い、少しずつ顔を近づけていく。しかし、廊下から聞こえてきた足音に、慌てて離れる。


 そのあと陽太は何度か口を開きかけては閉じ、落ち着かない様子で指を机の上で動かしていた。沙織は、そんな陽太の様子をちらちらと見ながら、自分の長い黒髪を無意識に弄っている。


 やがて、陽太が決意を固めたように深呼吸をして口を開いた。


「あ、あのさ」


 その言葉に、沙織の心臓が大きく跳ねた。彼女は期待と不安が入り混じった表情で、陽太をまっすぐ見つめる。


「う、うん?」


 沙織の声には、わずかに震えが混じっていた。彼女の瞳には、何か大切なことを聞けるかもしれないという期待が宿っている。


 陽太は沙織の真剣な眼差しに、一瞬たじろぐ。言いかけた言葉が喉元でつかえ、どうしても出てこない。「好きだ」という言葉が、舌の先まで来ているのに、最後の一押しが足りない。


 沙織は、陽太の葛藤を感じ取ったのか、優しく微笑みかける。その笑顔に、陽太はますます言葉を失ってしまう。


 陽太は、やっとのことで絞り出すように言葉を発した。


「お、お疲れさま」


 その言葉に、沙織の表情が一瞬曇ったように見えた。

 しかし、すぐに明るい笑顔を取り戻す。


「うん、お疲れさま。佐藤君も本当に頑張ったね」


 二人は互いに微笑み合うが、その笑顔の奥には、言葉にできなかった想いが隠されていた。



 家に帰った陽太は、自室で今日一日を振り返っていた。沙織の笑顔、励ましの言葉、そして最後の瞬間……全てが鮮明に蘇ってくる。


「俺は……沙織のことが……」


 一方、沙織も自分の部屋で同じように思い返していた。陽太の真剣な表情、頼もしい姿、優しさ……


「私、佐藤君のこと……」


 二人とも、「好きなんだ」という言葉を心の中でつぶやく。しかし、すぐに「いや、あいつのことなんか……」と首を振り、複雑な表情を浮かべるのだった。


 文化祭での経験を通じて、陽太と沙織の関係は確実に変化していた。お互いの長所を認め合い、尊敬の念を抱くようになっていた。しかし、まだ自分たちの気持ちに正直になれない二人。これからの学校生活で、彼らの関係はどのように発展していくのだろうか。

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