第9章:想いの告白
卒業間近の3月、秋月高校の3年生たちは、それぞれの進路が決まり始めていた。ある日の放課後、陽太は生徒会室で書類の整理をしていた。そこに、翔太が顔を覗かせた。
「よお、陽太。まだいたのか」
「ああ、ちょっと片付けものでな」
翔太は陽太の隣に腰掛け、なにげなく話を切り出した。
「お前、国立に決まったんだってな。おめでとう」
「ありがとう。翔太はどうだった?」
「俺? まあ、なんとか地元の私大にすべりこ……いや、それより!」
翔太は急に真剣な顔になった。
「沙織のこと、どうするんだ?」
陽太は手を止め、少し考え込むような表情を浮かべた。
「沙織は……東京の芸術大学だろ」
「そうじゃなくてさ。お前、まだ告白してないんだろ?」
陽太は顔を赤らめ、慌てて否定しようとした。
「な、何言ってるんだよ。俺たちはただの……」
「友達? まだそんなこと言ってるのか。いい加減認めろよ、お前沙織のこと好きなんだろ?」
陽太は言葉につまり、俯いてしまった。翔太はため息をつきながら続けた。
「卒業まであと少しだぞ。このまま何も言わずに別れるつもりか?」
「でも……沙織がどう思ってるか分からないし」
「バカ野郎」
翔太は軽く陽太の頭を叩いた。
「沙織だってお前のこと好きに決まってるだろ。気づいてないのはお前だけだぞ」
陽太は複雑な表情で窓の外を見つめた。桜の蕾が膨らみ始めている。
「卒業までに告白しろよ。後悔すんなよ」
翔太はそう言い残して、生徒会室を後にした。
一方、演劇部の部室では、沙織が台本を片付けていた。そこに愛がやってきた。
「沙織、まだいたの?」
「あ、愛。うん、ちょっと整理してて」
愛は沙織の隣に座り、さりげなく話題を振った。
「ねえ、沙織。陽太君のこと、どうするの?」
沙織は手を止め、少し困ったような表情を浮かべた。
「え? どうって……」
「もう、とぼけないでよ。あなた、陽太君のこと好きなんでしょ?」
沙織は顔を真っ赤にして否定しようとしたが、愛に遮られた。
「いいから。私にはバレバレよ。それより、もう伝えちゃいなよ。卒業までもう時間がないわよ」
「で、でも……陽太君がどう思ってるか分からないし」
愛は呆れたように目を天に向けた。
「ねえ、沙織。あなた、鈍感すぎるわよ。陽太君だってあなたのこと好きに決まってるじゃない。あの態度見てれば、誰だって分かるわ」
沙織は複雑な表情で窓の外を見つめた。夕焼けに染まる空が、なんだか切なく感じられた。
「卒業までに伝えなさいよ。後悔したくないでしょ?」
愛はそう言い残して、部室を後にした。
その夜、陽太と沙織はそれぞれの部屋で、友人たちの言葉を思い返していた。
「本当に、沙織は俺のことを……」
「ほんとに陽太君も、私のことを……」
二人の胸の中で、これまで抑えてきた想いが大きくうねりはじめていた。
◆
翌日、学校に向かう途中で、陽太と沙織は偶然出くわした。
「お、おはよう」二人は同時に言って、気まずそうに目を逸らす。
「あの……」また同時に口を開き、今度は照れくさそうに笑い合った。
「君から先に」
「いいえ、佐藤君から」
結局、どちらも何も言えないまま、学校に着いてしまった。
その日の午後、春の陽光が校舎の廊下に差し込んでいた。沙織は3階の教室から職員室へと向かっていた。手には提出すべきレポートの束。少し急いでいたせいか、階段を降りる足取りが普段より早い。
「あっ」
3階と2階の間の踊り場で、沙織の右足が空を切った。一瞬の出来事だった。体が前のめりに傾き、沙織は危険を察知する。頭の中で「まずい」という言葉が響く。
「きゃっ!」
思わず声が漏れる。目を瞭むその瞬間、背中に温かい感触。誰かの腕が沙織の体を包み込むように支えた。
ハッとして振り返る沙織。そこには、驚きの表情を浮かべた陽太の顔があった。
「大丈夫か?」
陽太の声には、明らかな動揺が混じっている。
「う、うん……ありがとう」
沙織の返事も、普段より高い声だった。
二人の体勢はまるで抱き合っているかのよう。陽太の腕が沙織の腰に回り、沙織の両手は陽太の胸に当たっている。顔の距離はわずか数センチ。お互いの呼吸を感じられるほどの近さだ。
沙織は陽太の瞳に吸い込まれそうになる。陽太もまた、沙織の大きく開いた目に見入っていた。二人とも、心臓の鼓動が激しくなるのを感じていた。
「あの……」
沙織が何か言いかけたその時、廊下に足音が響いた。誰かが近づいてくる。
我に返った二人は、慌てて体を離す。顔を真っ赤に染めながら、お互いに目を合わせられない。
「あの、その……気をつけろよ」
陽太が精一杯の冷静を装って言う。
「う、うん。ごめんね」
沙織も下を向きながら小さな声で返事をした。
二人はそそくさと別れ、反対方向へ歩き出す。だが、数歩進んだところで、二人とも立ち止まってしまった。互いの背中を見つめ、さっきの出来事を反芻する。
陽太の頭の中では、沙織の体の柔らかさと香りが蘇っていた。
沙織は、陽太の腕の力強さと、胸の鼓動を思い出していた。
二人とも、その場に立ち尽くしたまま、激しい心の動きを抑えきれずにいた。やがて、ゆっくりと歩き出す二人。だが、互いの温もりと、激しい鼓動は、その後も長らく忘れられることはなかった。
翌日、その出来事が学校中の噂になっていた。
「ねえねえ、聞いた? 佐藤が久遠を抱きしめてたんだって!」
「えー! やっぱり付き合ってるの?」
陽太と沙織は互いの顔を見られず、避けるように過ごした。しかし、心の中では相手のことで頭がいっぱいになっていた。
放課後、校舎は静寂に包まれていた。陽太は自分の鼓動が耳に響くほど緊張していた。手の中には小さな紙切れ。「放課後、中庭で待ってます」と書かれたメモだ。彼は深呼吸を何度も繰り返し、沙織のロッカーに近づいた。
メモをロッカーに滑り込ませる瞬間、陽太の頭の中は様々な思いで溢れていた。
「これでいいのか?」「沙織はどう反応するだろう?」「もし断られたら……」
不安と期待が入り混じる中、陽太は決意を固めて行動に移した。
しかし運命は皮肉なものだ。メモを入れた直後、生徒会の緊急の仕事が舞い込んでしまったのだ。
「まずい、遅刻してしまう……」
焦りと後悔が陽太の心を覆う。約束の時間に間に合わない可能性が高い。それでも、何としても中庭に行かねばならない。彼の心は激しく揺れ動いていた。
一方、沙織はメモを見つけ、驚きと期待で胸が高鳴っていた。
「陽太君……何を話すつもりなんだろう」
彼女の頭の中で、様々な可能性が駆け巡る。単なる学校の用事かもしれない。でも、もしかしたら……。その「もしかしたら」という可能性に、沙織の心は大きく揺れた。
中庭で陽太を待つ間、沙織は自分の気持ちと向き合っていた。これまでの出来事が走馬灯のように蘇る。最初は反発し合っていた二人が、少しずつ理解し合い、そして惹かれ合っていく過程。
「私、やっぱり陽太君のことが好きなんだ……」
その気づきは、彼女の心に温かな波を広げた。
しかし、時間が過ぎても陽太は現れない。沙織の心に不安が芽生え始める。
「もしかして、私の勘違い……?」
期待が高まっていただけに、その落胆は大きかった。自分の思い込みを恥じ、悲しみと自己嫌悪が沙織を包み込む。
帰ろうとその場を立ち去ろうとした瞬間、息を切らせて駆けつけてきた陽太の姿が目に入った。
「待ってくれ!」
その声に振り返る沙織。二人の視線が合う。そこには、互いへの想いと不安、そして希望が詰まっていた。
「沙織、聞いてくれ」
陽太は深呼吸をして、言葉を紡ぎ出す。
「俺は……俺は君が好きだ! ずっと前から好きだった!」
その言葉に、沙織の世界が一瞬にして変わる。
驚きと喜び、そして戸惑いが彼女の中で渦巻いた。
陽太は続ける。
「最初は口喧嘩ばかりだったけど、一緒に過ごすうちに、君の良いところをたくさん見つけた。優しくて、情熱的で、みんなを笑顔にする力がある。そんな君のことを、俺は……」
陽太の言葉一つ一つが、沙織の心に深く刻まれていく。彼女の目に涙が浮かぶ。それは喜びの涙だった。しかし同時に、この状況をどう受け止めればいいのか、混乱していた。
「ご、ごめん。考える時間が欲しい」
そう言って、沙織はその場を立ち去ってしまった。頭の中は幸せと混乱で一杯だった。
残された陽太は、落胆の表情を浮かべる。
「やっぱり、駄目だったか……」
陽太の心は希望と絶望の間で揺れ動いていた。しかし、沙織の反応に僅かな希望を見出し、明日への期待を胸に秘めたのだった。
◆
深夜の静寂が沙織の部屋を包んでいた。窓から差し込む月明かりが、彼女の不安げな表情を柔らかく照らしている。沙織は布団の中で、幾度となく寝返りを打っていた。
「陽太君……」
その名前を呟くたび、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。陽太の告白の言葉が、まるで録音テープのように何度も頭の中で再生される。
「私も好きなのに……どうして言えなかったんだろう」
沙織は自分の心の中を必死に探っていた。そこには、陽太への想いが溢れんばかりに広がっている。最初は意地の張り合いだった関係が、いつしか大切な存在へと変わっていった過程が、走馬灯のように蘇る。
文化祭での協力、体育祭での応援、日々のやりとり。全てが愛おしい思い出として、沙織の心に刻まれていた。
「怖かったのかな……」
沙織は自問自答を繰り返す。関係が変わることへの不安、遠距離恋愛への懸念、そして何より、自分の気持ちを素直に伝えることへの恐れ。それらが複雑に絡み合い、言葉を詰まらせてしまったのだと気づく。
夜が明けるころ、沙織の心に一筋の光が差し込んだ。
「もう逃げない。私の気持ち、ちゃんと伝えよう」
朝日が昇る頃、沙織は決意を固めていた。震える手で、小さなメモを書く。
「放課後、屋上で待ってます」
教室で陽太にそっとメモを渡す瞬間、二人の指が触れ合う。ほんの一瞬の接触に、沙織の心臓は大きく跳ねた。
一日中、落ち着かない様子の沙織。授業中も、陽太の後ろ姿を見つめては、夕方の出来事に思いを馳せる。
そして、ついに放課後。
屋上のドアが開く音に、沙織は小さく息を呑む。振り返ると、そこには緊張した面持ちの陽太がいた。夕陽に照らされた二人の姿が、長い影を作っている。
「昨日は、ごめんなさい」
沙織の声は少し震えていた。
「私も、ちゃんと伝えたいことがあるの」
陽太は息を呑んで聞き入る。その真剣な眼差しに、沙織は勇気をもらう。
「私も、ずっと前から陽太君のことが好きだった」
言葉にした瞬間、沙織の頬が朱に染まる。心の奥底にあった想いが、一気に溢れ出す。
「最初は意地を張ってばかりだったけど、一緒にいるうちに、陽太君の優しさや、責任感、そして情熱的な一面に、どんどん惹かれていったの」
陽太の目に、喜びの色が浮かぶ。その表情を見て、沙織はさらに言葉を紡ぐ。
「でも、昨日はあまりに突然で、上手く言葉にできなくて……ごめんね」
「いや、こちらこそ、突然告白して驚かせてしまって……」
二人は照れくさそうに笑い合う。その笑顔に、これまでの緊張が解けていく。
夕陽が二人を優しく包み込む中、ゆっくりと手を取り合う。触れ合った手のぬくもりが、互いの想いを確かなものにしていく。
「付き合ってください」陽太の真剣な眼差しに、沙織の心が大きく震える。
「うん、喜んで」満面の笑みで答える沙織の目には、幸せの涙が光っていた。
二人は抱き合い、長年の想いを確かめ合う。風に舞う桜の花びらが、二人の周りを舞っていた。まるで、二人の新たな恋の始まりを祝福しているかのように。
この瞬間、屋上は二人だけの特別な空間となり、世界中の全てが二人を祝福しているように感じられた。長い間、互いに抱いてきた想いが、ついに実を結んだ瞬間だった。
◆
卒業式当日、秋月高校の体育館には晴れやかな空気が満ちていた。陽太と沙織は、これまでの3年間の思い出と、これからの未来への期待を胸に抱きながら、式に臨んでいた。
式が終わり、二人は校舎の裏手にある桜の木の下で落ち合った。満開の桜が、二人の新たな門出を祝福するかのように、優しく花びらを舞わせている。
「やっと終わったな」陽太が少し照れくさそうに言った。
「うん」沙織も柔らかな笑顔で頷く。
二人の手がそっと触れ合う。
「遠距離恋愛になっちゃうな」
陽太が少し寂しげに呟いた。
沙織は陽太の手をギュッと握り返す。
「うん、でもそういうのも悪くないと思う」
沙織の瞳には強い決意の光が宿っていた。
「離れていても、私たちの気持ちは変わらないよ。むしろ、会えない時間があるからこそ、もっと大切に思えるんじゃないかな」
陽太は沙織の言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
「ああ、そうだな。俺たちなら、きっと乗り越えられる」
二人は見つめ合い、その目には互いへの深い愛情と信頼が映し出されていた。
そのとき、クラスメイトたちが二人を見つけ、駆け寄ってきた。
「お前らやっと付き合ったか! 鈍感すぎんだろ!」
「でもおめでとうな!」
「二人とも幸せになってね!」
祝福の声が飛び交う中、陽太と沙織は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、心からの幸せに包まれていた。
「ありがとう、みんな」二人は声を揃えて答えた。
その後、最後の下校時。二人は手を繋ぎながら、学校の正門から続く桜並木を歩いていた。春の柔らかな日差しが、二人の姿を優しく包み込む。
「沙織」陽太が立ち止まり、真剣な眼差しで沙織を見つめた。
「なに?」沙織も足を止め、陽太の目を覗き込む。
「これからは大変なこともあるだろうけど、俺たちならきっと乗り越えられる。一緒に頑張ろう」
陽太の言葉に、沙織の目に涙が光った。
「うん、私も同じように思ってた。陽太君となら、どんな困難も乗り越えられる気がする」
二人は互いの額を寄せ合い、静かに目を閉じた。周りの喧騒が遠のき、二人の心臓の鼓動だけが響き合う。
「これからもよろしくな」陽太が優しく囁いた。
「うん、よろしくね」沙織も柔らかな声で返した。
その瞬間、春風が強く吹き、桜の花びらが舞い上がった。まるで、二人の新たな出発を祝福しているかのように。
陽太と沙織は、花びらの舞う中で見つめ合い、静かに唇を重ねた。それは、これからの人生を共に歩んでいくという誓いの口づけだった。
こうして、陽太と沙織の新しい章が、満開の桜と春の陽光に包まれながら、今まさに始まろうとしていた。二人の未来は、まだ見ぬ困難や喜びに満ちているかもしれない。しかし、互いへの深い愛情と信頼があれば、どんな道も乗り越えられると、二人は固く信じていた。
(了)
「君と僕の季節 ―桜色の約束―」 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi
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