王宮の片隅で 〜弦に込めたその想い〜
まぁじんこぉる
王宮の片隅で 〜弦に込めたその想い〜
月の淡い光が私の指を静かに照らす。まるで透明な絹のような、繊細で、柔らかなその光が、私を優しく包み込む。しかしチェンバロの白鍵は、その月明かりを冷たくはじき、となりの黒鍵がそれをじっと眺めている。
ニスで仕上げられた
そんな静寂に満たされた空間に私はいた。
「せっかくの機会なんだし、もう少し頑張らないと、ね」
誰に聞かせるわけでもない、そんな独り言を私は
明日、王宮で行われるのは、月に一度の演奏会。
そんな割り切れないモヤモヤとした気持ちを抱いて、私は視線を天井に移す、そして瞳をゆっくりと閉じる。その瞬間、脳裏に浮かぶのは、近衛兵団に所属する一人の男性。
もちろん、その方は、王様の近くにいるような立派な人ではない。爵位持ちの貴族でもなければ、貴族であることさえわからない男性だ。それでも、いや、だからこそ、私の心は高まるのだし、だからこそ、届くのかもしれないと思ってしまうのかもしれない。
それにしても、今度の曲、エリオールさまは気に入ってくれるのかしら? 今の私の心を満たしていた感情は、そんな気持ちであった……。
すると自然に脳裏に浮かんでくるあの日の思い出。初めて王宮で演奏することを許されたあの日のこと。
あの日、私は、全身緊張でガチガチだったことを覚えている。どうして自分なんかに、こんな不相応な機会が与えられたのか、そんなことを考えながら王宮を歩いていたのを覚えている。心を震わせながら、ただ漠然と王宮を歩いていたことを覚えている。そして、楽譜を持つ手は震え、足取りさえおぼつかなかったことを、私は全部が全部覚えていたのだ。
だって、そんな時、そんな私に声をかけてくれたのがエリオールさまだったから……。
雄々しい
でも、そのエリオールさまの一言は、私にとっては、どんな宝石よりも輝いて、温かくって……。だって、私、男の人からこんな優しく声をかけられたことなんてなかったし、そのあと、待合室までエスコートしてくれたなんて、まるで夢のような時間であったのだし……。
しかし、その柔らかな表情は、深い青色の瞳には優しさが宿した表情が、茶色の髪が額にかかったその
でも、幸せだったのはこれだけじゃない。それ以降、この演奏会の機会だけ、王宮に入ることができるようになった私を、エリオールさまはずっとエスコートしてくれた。
そしてエリオールさまは、そんな王宮に働く人の中で、控えめでありながら、確かな存在感を放っていた。
そう、その言葉は簡潔だったけれど、そこには確かな重みがあったし、それは私の心に深く響いたのだから……。そして、時折、私に見せてくれるその微笑みは、太陽の光のように優しく、私の不安をいつも
だから、だからこそ、今回だけは、この一曲だけはエリオールさまに捧げたい。この一曲だけは、国王陛下や王族の皆様ではなく、ただ、エリオールさまに聞いていただきたい。その曲のせいで、私が来月から演奏会に呼ばれなくなっても構わない。
だってこの曲は、私の想いをぎゅっとこめて作った曲なんだから……、だから、この曲がエリオールさまに届いた時に、私は、私は……。
そんな決意で心を満たし、おもむろに鍵盤を叩く。すると空気を貫くような、厳しくて、張り詰めた弦の音。チェンバロが奏でる、緊張感に満たされた調べ。まるで私の心の全てを映しているかのよう……。
「ダメダメ、こんな音は、あの人には似合わない」
私は、おもむろに、胸下まで伸びたブロンドの髪にゆっくりと手
「そうね。最後のチャンスになるかもしれないんだもの。もう少し、がんばらないとね」
心の中の決意を言葉で口から吐き出すと、私は、静かに、その指を鍵盤に伸ばす。指先が冷たい鍵に触れた瞬間、その音は小さな震えを持つ。私は苦笑いをして、深呼吸をする。夜の静けさに自分の心を素直に預けてみせる。
そして、そんな部屋の空気と一体になることを選んだ私は、もう一度、その指を鍵盤に伸ばす。すると今度は空気を優しく揺らす音。チェンバロ特有の、鋭いけれども繊細で、優しい音色。
弦を弾く小さなハンマーの感覚が、私の指先にじっとりと伝わってくる。私は、その一音一音と向き合い、そこに想いをのせ、会話をするようにその音楽を楽しんでゆく。まるで夜空を流れる流星のように、瞬間
しかし、その余韻は長く、部屋中に、私の心に深く、深く刻みこまれていく。
窓の外では、夜風が木々を優しく揺らす。葉擦れの音がかすかに私の耳に聞こえてくる。それはまるで、自然が奏でる伴奏のように、私のチェンバロと自然に溶け合い、夜の静寂の中で、美しいハーモニーを生み出してゆく。
その瞬間、私は、なんとなく状況を理解する。この後、納得することなく、朝までチェンバロを引き続けるであろう自分を、確信をめいた何かをもって、理解をする。
そう、今夜の演奏は、終わりではなく、新しい何かの始まりなのだと、私はそう確信していたのだから……。であるのなら、新しい朝陽を持って、新しい希望を持って、私の演奏はおわるべきものなのだから……。
この音楽が、私の心を自由にしてくれると信じて。身分を超え、夢を
明日の演奏会、私がこの曲を披露する時、きっと何かが変わる。そして、それが私の未来を変える。そう信じて、私は音楽を紡ぎ続ける。夜明けとともに、訪れる新たな楽章が希望に満ちていることを、ただ、それを信じて……。
王宮の片隅で 〜弦に込めたその想い〜 まぁじんこぉる @margincall
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