カクヨムコン9は残念な結果に終わったので「売れない画家とピアニスト」はポプラ社に出すことにしました。
https://www.poplar.co.jp/award/award1/
実はココ、一般文芸界隈ではわりと有名な賞でして、わりと難関な賞なんですよね。ただ小説現代よりは緩いと言えば緩いかもですが、それでも1000近くで、そのくせ去年は一番下の賞しかでていないんですよね。
https://www.poplar.co.jp/award/award1/13.html
あと、カクヨムにいると勘違いしちゃうんですが、私の文章は「一般文芸」畑でみると下手な方なんですよね。だからこそ、文体にこだわるポプラ社に出してみようかな? と考えているのです。どこまで通用するか見てみたくなったんです。
ただ、この講評にある。
「一方で登場人物たちの造詣が十分に練り込まれておらず印象が薄かったり、ストーリーの都合にあわせた行動をとっていたりといった作り込みの甘さが目立つ点やオリジナリティを感じさせる要素も弱く、受賞にはいたらなかった。」
ここの部分なんですよね。特に「ストーリーの都合にあわせた行動をとっていたり」の部分、気になるところなんです。私の小説は、わりとそういう所があるのです。昨日も書いているラブコメで、そう言われたんですよね。 でも、ここら辺って本当に難しくて、私はなんでも小説に盛り込みたいので、盛り込んだら文字数制限で溢れちゃうなんてこと多いんですよね。だからストーリーを最短距離でつなぎたくなっちゃうんです。だって、今書いてるラブコメだって、TS×百合×ラブコメ×ミステリー×ヒューマンドラマですよ? 盛りすぎですよねw
ま、ただ、最近、思い知るのが「なんか頑張ってるのつらいな」という本音です。私は典型的な帰結主義者でして、もっといえば利己主義だと思います。いや、結構頑張っている人には無償で応援したくなるから、完璧な利己主義ではないきもしますが、まぁ、わがままです。それは否定できないです。
https://www.lit.osaka-cu.ac.jp/user/tsuchiya/class/ethics_outline/outline2/egoism.html
だからこそ、努力をしたら結果は欲しいし、結果が出ないのなら努力をさらにしちゃうのです。しかし。人は才能の延長線上までしか実力も伸ばせないし、その実力が評価の最低ラインに届くかどうかというのは別問題なのです。
例えれば、背が凄く低い人が、バスケでダンクをガンガンできるようになるまで練習し続ける姿を周りがどうみるか? と言う話です。いくら練習したところで、身長(才能)+ジャンプ力(努力)までしか手は届かないのです。だから人はその身長(才能)+ジャンプ力(努力)で届くゴールの高さを選んで生きるのです。
つまり創作で言えば、プロの小説家をあきらめて、文フリやwebなどの手が届くところに人は目標を変えるのです。分かっているんですよ、分かっています。でも、頭で分かっていることと心でわかっていることは違うのです。
最後に愚痴です。最近、賞にかすりもしないんですが、年齢のせいなんですかね? それとも実力のせいなんですかね? 評価シートが貰える所に出してみようかな、とわりと最近悩んでます。どなたかいい賞があったら教えてください!