先が見えている。

 

 その筈だった。




 質量を持った物体が加速運動を行うと、空間が歪む。

 ある二つの物体間の距離が伸び、それと直行する距離が縮むのだ。

 この歪曲は、正体不明の何らかを媒介として、光速で宇宙に伝播していく。


 これを、“重力波じゅうりょくは”と言う。


 ただし、その規模はほぼゼロと言っていい程に小さい。

 ブラックホールクラスの強い運動で発生した物についても、風や波、惑星の固有振動等が小さくなる地下で、気の遠くなるような大掛かりな施設と準備を揃え、そこまで行って理論上一年に数回観測出来るかどうか、といった極々微々たる変化。



 体感など、出来るわけがない現象である。



 あるブラックホールから伝播した重力波は、何万年も掛けて、遠く離れた太陽系第三惑星にまで到達した。

 これが最初から強かったのか、或いは、地表近くにあった何らかの物質が共振し、そちらが伝わったのか、それは分からない。

 法則の一切が通用しないとされる、無限の収束の中心点で、何者にも思いも寄らない不思議が、時空すら超える何かが起こったのか。

 口だけなら幾らでも可能性を並べられるが、本当の所は分からない。


 結果で言おう。


 波は、届いた。


 四つ足を地に投げ出したその者に。


 その者は、胸の中で何かが、何度も膨らむのを繰り返し、皮や骨の内側を叩いていると、それを感じ取った。

 不思議とそれに惹き込まれ、気付けば体を上げ起こしていた。

 

 先が見えていた、はっきりと無意味だと、本能が知っていたのに、それは、再び身を持ち上げた。


 そんな事、どうでも良かった。

 体が熱くなっていき、

 内からの打擲が激しさを増し、

 止まっているのが苦痛になって、

 その者は揺れ始め、

 揺さぶり始め、


「ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォオオオッオッ!

 ウォッ、ウォッ、ウォッ、ウォオオオッオッ!」


 鳴いた。

 吠えた。

 声を出した。


「ウォオオオオッ!オオオッ!

 ウォオオオオッ!オオオッ!」


 力を無駄に使うべきではない。

 体の何処かがそう制止する。

 その者は聞かなかった。

 逆に足りないとすら思った。

 

 もっと音を、

 もっと激しさを!


 手に当たった石を拾い上げ、

 手近な物に何でもぶつけ、

 やがて岩をぐりぐりと引っ掻いて、

 上から下まで力一杯に研磨するように、


「ァァァァァ、ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアア!!」


 チロチロと輝きが、空とはまた違う小さな光点が舞った。

 それが降った先で、薄く透けた猛獣の舌のような物が、

 地を舐め回して大きく長く、

 その姿を伸ばしていく!


 周囲に隠れていた追跡者達の悲鳴。

 突然の事に動けず呑み込まれた者、一目散に逃げ出した者、

 立ち並ぶ木々、そこに棲む雑多な者達。

 どの命の足元も、平等に脆くならされていたその時、


 は、

 彼は、

 見つけた。


 前

  足

   を

    振

     り上げ、後

          ろ

           足

           の

           み

          で支え、

 

「ウォゥ、ウォゥオオオオオオオオオおおおおおおおお!!!」


 これだ。

 こうすれば、彼は完璧だった。

 登れない者でなく、

 登らない者になった。


 彼は腕を手に入れた。

 少しだけ、見ている先が、高くなった。


 しかしそれは、見晴らしの良い樹上生活との、決別を意味していた。

 その周囲がことごく失われても、その先に何かが立ち塞がるだろう。

 向こう側を見越す事は、今は出来ない。


 けれど彼には、

 それで充分。


 彼がそのまま、二本の足で歩む事を選んだから、


 先はもう、見えなくなった。







                           音楽は世界を救わない𝄇

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音楽は世界を救わない @D-S-L

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