筑波山と恋瀬橋のはなし
一矢射的
聖なる山は、愛の無い者を拒絶する
中学校の同窓会にまさか、あの桃山カオルがやってくるとは。
この事態を想定できた奴は、この飲み会の参加者にただの一人もいなかったのではないだろうか?
なんせカオルは中学一年の時に親の転勤で引っ越してそれっきり。
地元の人間とは言い難い存在なのだから。
私、これから東京の人になるんですけどぉ~。
もう田舎の民とは付き合えませ~ん。
などと憎まれ口を叩きながら去っていった光景を鮮明に記憶している。
そんなカオルがまさか俺たちの飲み会に出席するなんて。
それもネットのご当地アイドル「茨城姫」(イバラキ・キ)として地元民の応援を求めての帰郷だと言うのだから開いた口が塞がらない。
お前が! ご当地アイドルだと!?
なんでも東京で就職したのだけど、上司と浮気して、結果一年でクビになって、なにか再就職先をと探していた所……郷土で「茨城生まれのご当地アイドル」を募集していたという運びらしい。
当然、申し込み条件には「郷土愛にあふれた人」と書かれていたと思うのだが。
恐らくカオルは最重要ポイントであるその辺を読み飛ばしたのだろう。
「イバラキキのチャンネルに登録をお願いしま~す」
「嫌だよ、忘れたのかよ。お前、俺たちのこと田舎の民と馬鹿にしただろうが」
飲み会の席のあちこちでこのような対話が繰り返されている。
まぁ、無理もない話だ。
茨城県民は日本一「田舎者と蔑まれるのを嫌う」というデータがあるからな。
愚弄の恨みは根深い。
彼女に力を貸したら、こちらまで裏切り者呼ばわり待ったなしだ。
あきれ果てながら俺がカオルの動向をひそかに目で追っていると、遂に彼女はコチラの眼前までやってきたではないか。
「登録お願い。菊池くんは断らないよね? お隣同士だったモン」
「あーうん、そんな事もあったような」
こちとらもう社会人だぞ? そんな昔の話を持ち出されても……。
そもそもお前、俺の爺ちゃんが作ったレンコンを持って行ったら「レンコンよりメロンがいい」とかほざいてなかったか? 何を今更――!
「お願い、菊池くぅ――ん!」
「ああ、わかったよ。いいよ、それくらい」
ゴメン、爺ちゃん。彼女、可愛いんだわ。付けマツゲでお目目パッチリ。
レンコン農家も継がない上に、仇敵に尻尾まで降るなんて。
我ながら茨城県民失格である。しかも、彼女アイドル志望だけあって図々しい。
「やったぁ! それならもう一つ頼み事があるんだけど」
「まだあるの? 何だよ」
「
「ケッ、山を愛する心も持たない奴なんて、筑波山の方から逃げて行くぜ。今に天罰がくだるぞ」
隣の席で親友の大山がつぶやく。
ちょうど、筑波山の話で盛り上がっていた所だからなぁ。
俺という裏切り者を許せよ、大山。
「大山が言うには恋瀬橋の上から撮影した筑波山が一番らしいぞ」
「ホント? やったぁ、流石の地元民ね。茨城県民はみんな筑波山を魂の故郷と信じ、愛しているってのはホントだったんだ。それで恋瀬橋って何処にあるの?」
「お前はなんで、それでご当地アイドルやれると思ったんだよ」
大山もとうとう怒りを通り越したようで、肩をすくめてしまった。
ちなみに恋瀬橋とは、石岡市南部を流れる恋瀬川にかかった橋である。
筑波山の撮影スポットとして地元民には超有名で、知らぬ者は居ないほどだ。しかし、肩をすくめられた程度で諦める素直な奴ならアイドルなんて目指すワケもなく。
「菊池くん、今日車なの? ソフトドリンクしか飲んでないよね?」
「あ、ああ」
「じゃあ、その恋瀬橋まで私を連れて行って。撮影するから!」
「今すぐ?」
「今すぐ!」
図々しさが別次元だ。しかし、裏切り者には従うしか道は残されていない。
今更、どの面を下げて仲間の輪に戻れるというのだ?
「じゃあ、出発ゴー!」
カオルと、俺、そもそも恋瀬橋の提案者である大山の三人は石岡を目指して真夜中に車を走らせる。飲み会の店が土浦駅前だったので車だと三十分もかからないのはまだ幸運だった。
話題の恋瀬橋はロマンチックな名に恥じず、百万ドルの夜景を誇る名デートスポットだった。噂には聞いていたが、車を止めて外で夜景をじっくり眺めるのは俺も初めてなので、率直に言って感動してしまったよ。
「うわぁ~、素敵。恋を語るには最適ですねぇ」
「本当にな」
「あのな、筑波山を拝みに来たんだろ? なら後ろだ、都会方面は関係ない」
馬鹿二人に大山がツッコミを入れる。本当にすいません、そうでした。
俺たちは百八十度くるりと振り返る。
さて問題の筑波山はと言えば、こちらも橋近辺の田園風景越しに山の全景が拝め、眺めをさえぎる物はなにもない。地元民がすすめる撮影スポットとして恥じぬ景観の素晴らしさだった。
月明りに染まって白くなりゆく山際。宝石のように山頂より散りばめられたロープウェイの灯火。さすがに神社の大鳥居までは拝めないが、その周囲にあるホテルや土産物屋の照明が雄大な自然のキャンバスに浮かぶ良いアクセントになっていた。男体山、女体山のそれぞれが独自のラインを形成し、それらが合わさって一つの完成された筑波山となるのだ。『恋』瀬橋から見るのがベストなのは、もしかすると当然の帰結だったのかもしれない。
まったく、この良さを理解できない奴は茨城県民ではない。
いくら中学一年で引っ越したとは言え、カオルも思う所があったのだろう。
しばらく胸が詰まって何も言えない様子だった。
「いけない、撮影撮影!」
やがて我に返ったカオルはカメラを構えてシャッターを切り始める。
十分ほどして満足したのか、彼女は俺の方に振り返り深々と頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました。生意気な口ばかりきいてた私に、ここまで良くしてくれる人がいるなんて、思ってもみませんでした。本当に、茨城県は良い人ばかりですね」
「おいおい、なんだよ今更。殊勝になりやがって」
大山もこう下手に出られると何も言えない様子だった。
「まっ、せいぜい茨城県の良さをアピールしてくれよな、ご当地アイドルさんよぉ」
元走り屋らしい大山のイキリを聞いて、その日はお開きとなった。
これで終わればまだ良い話だったのだが。
真の恐ろしさはこの後に待ち構えていた。
俺たちは、まだまだカオルの事を甘く見ていた。
撮影した写真をしっかりチェックしないなんて、彼女を知る人間なら決して有り得ない詰めの甘さだった。
翌日、教わった彼女のSNSをのぞいてみると、そこでは信じられない悪夢が展開されていた。恋瀬橋から撮影した筑波山。そんなタイトルでネットにアップされた写真は……筑波山とはまるで別の山だった。彼女、俺たちの隣に立ちながら別の山を眺めていたのだ。お――い! 隣の山だ、そっちは。
写っていた山は足尾山と 燕山だ。確かに男体山、女体山と同じく山峰が二つ連なりラクダの背中みたいな稜線だけど、筑波山に比べたらずっと傾斜がなだらかでずんぐりむっくりしている。筑波山のようなスラリとしたフォルムは微塵もない。
当然、彼女以外は全員勘違いに気付いており、コメント欄は阿鼻叫喚の嵐。あまりの酷さから「ワザとではないか?」と炎上商法を疑われる始末だ。
「山への愛がない奴なんか、筑波山の方から逃げていってしまうぜ」
昨夜、居酒屋で大山がついた悪態が俺の脳裏に蘇った。
あれは……こんな意味ではなかったはずなのに。
本当に撮り『逃す』なんて。これが天罰か?
俺たちはまだまだこれっぽっちも彼女の恐ろしさを理解していなかったのだ。
後に彼女から来たメールによると、正規のご当地アイドルはきっぱりと諦めたらしい。その代わり敵役の「アンチご当地アイドル」として、茨城県を愚弄しまくるハマり役をもらったそうな。トカーイとかいう名の。一度だけ動画を見たが、自分を偽らぬ彼女はとてもイキイキして見えた。
そりゃそうだ。なんせ中学校一年で東京に引っ越しているんだから。
その境遇で故郷に深い思い入れなど抱かない方が普通だろう。
筑波山はそれをこんな形で俺たちに教えてくれたわけだ。
つまらない嘘をつくな……と。
流石は全茨城県民が魂の故郷と崇める聖なる山である。
人間の考えることなどしっかりお見通しなのだ、山の神様には。
筑波山と恋瀬橋のはなし 一矢射的 @taitan2345
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