後編『思い違い』
目が覚めると、俺はベッドで仰向けになっていた。
周囲を見渡してみる。
白衣を着た男が、左横にいるのを確認する。
医者だ。
それも、やけに若い。
研修医か?
妙な治療は、やめてくれよ?
両手で、やけに大きいクリップボードを持っているが、そこに挟まれているであろうカルテの内容は、こちら側からは見えない。
待てよ、俺は、そもそもどうして病院にいるんだ?
怪我も病気もしていないはずなのに。
医者は俺の顔を覗き込み、話しかけてきた。
「目が覚めましたか。単刀直入に言いますが、あなたは重度のPTSDを患っていると思われます。しばらくは、ここにいてください」
「PTSD? まさか、この俺がですか?」
「ええ、ほぼ間違いないでしょう。そして、あなたは錯乱状態にある」
「何を言っているんです? こんなに頭は冴えてるって言うのになぁ。そうだ、俺はいつになったら、うちへ帰れますか? 状況がよく飲み込めないが、早くうちへ帰って、家族に会いたい」
「大変申し上げにくいのですが……あなたの住む町、ザーガは、シオン国軍の核ミサイルによって、消えてしまったんです」
「は、はい?」
こいつ、なんてことを言うんだ。出鱈目に違いない。
「ですからザーガは、核の標的にされ、消し飛んでしまったんです。今、町に戻っても、瓦礫の山しかありませんよ」
ありえない。
「そ、そんな……嘘だ!! 俺は気を失う前、デネボラが、妻が誕生日ケーキの火を勢いよく消して、酔いのせいでワイングラスを落とした! 俺はガラスの破片を片付けてやったし、赤ワインでビシャビシャになった床をモップで拭いた! 娘のハルだって、ケーキのクリームで真白な口髭を蓄えていた! 全部、ついさっきの出来事のように覚えている!」
「あなたを傷つけたくて言うわけではありませんが……それはおそらく……幻覚でしょう」
「何て酷いことを言うんだ! そんなわけ——」
そうだ、全て思い出した。
家族はみんな、キャンピングカーで出発するまでに、とっくに死んでいた。
核ミサイルの、熱線と、爆風で、死んだ。
俺は、みんなの遺体を順番に、キャンピングカーの中へ担ぎ込んだんだ。
まず、妻のデネボラをベッドに寝かせた。不思議なことに、傷一つなかった。美しい死に顔だった。誕生日の翌日に、亡くなってしまうなんて。
次に、下半身が吹っ飛んだ長男アルクトゥルス。妻のベッドの向かい、上質な皮のシートに座らせた。シートは瞬く間に、ドス黒い血で
それから、次女スピカ。スピカの小さな体は、アルクトゥルスの腕に抱かせてやった。そのまだほとんど世の中のことを知らない、小さくて可愛い頭には、大きな打撲痕があった。暗い紫色に滲んだ皮膚が、痛々しい。もっとたくさん、遊んでやりたかった。
最後に、長女のハル。可哀想なことに、傷と火傷で、目も当てられないほど酷い状態だったから、運転席からは見えないところにいてもらうことにしたんだ。だから扉で中の見えない、トイレを選んだ。核爆発の直後、見つけてすぐの時はまだ息があったものの、すぐに口から泡を吹いて動かなくなったのを覚えている。何か手当ができないかとも考えたが、俺は足がすくんで、何もできなかった。
そして、去年家族全員で行った山へ、無心で、キャンピングカーを走らせた。
運転中の記憶は、俺の頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。そのせいで、やけに早く、山に到着した、と勘違いしているのかもしれない。不思議な感覚だ。
到着してすぐ、エンジンを切って、まずはベッドへと向かって、妻をそっと担ぎ、外へ運んだ。
それと同じような動作を四往復。
全て運び出し終わると、死んだ家族を一人ずつ、火葬にしていった。
そうして最後に俺は、焼身自殺しようと、服の袖をわざと火に近づけたんだった。そうか、俺は死ぬことに失敗したんだ。クソッ……俺も、デネボラのところに、アルクトゥルスのところに、スピカのところに、ハルのところに、行きたい!
「おいお前、お願いだ! 今すぐ、死なせてくれ!」
俺は、勢いよく上体を起こし、医者に掴みかかろうとした。
だが……
掴めない。
医者の男は、幽霊のように、ふわりと、消えた。
そして俺のいる場所は、いつの間にか、病室ではなくもっと狭い部屋に変わったことに気づく。
後ろを振り返る。
ベッドの上には……
安らかに眠る、妻の姿。
そうか、ここは、キャンピングカーの中だ。
ベッドの右側、中央に縦に走る通路を挟んで向こう側の座席には……
下半身の無い、アルクトゥルスの亡骸。
腕には、頭が大きく陥没したスピカを抱えている。
いや、俺が抱えさせたのだろう。
医者がクリップボードを抱えているように見えていたが……俺は、スピカを抱えるアルクトゥルスを見ていたんだ。
奥のトイレには、
閉め切った、やや汚れで曇った車窓を通して、外を見る。
見間違えることはない、このコンクリートの地面は、うちのガレージだ。
キャンピングカーは……たったの一ミリメートルも動いていない。
俺は、家の敷地から出てすらいなかった。
核ミサイル発射の暗号の解読はおろか、傍受など、していなかった。
うちにはそもそも、そんな設備は無い。
つまり、俺の家族は、忽然と、命を奪われたのだ。
そうだ、町はどうなっているんだ?
俺は、キャンピングカーを降りた。
すると目の前には……
瓦礫の山が広がっている。
なんだ、医者の言っていたことには、事実も含まれていたんだな。
もっと他に、嬉しい事実はないのか?
何かが俺の肩に触れる。
振り返る。
黒い、人。
真っ黒に、焼け焦げた、人。
そのさらに後ろには、
我が娘と同じような、目も当てられない姿に成り果てた人々が、練り歩いていた。
「俺なんかが、一人だけ、生き残っちまって、ごめんよ」
俺は、独りごちた。
〈完〉
独り言の多い男 加賀倉 創作【書く精】 @sousakukagakura
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