生と死はめぐる

「ぶみゃあ」と、猫が鳴く。
猫のことばなど人間が分かるはずもなく、それでも猫と人間は交流ができるのだ。
この猫にとって私は、どのような存在であったのだろう。ボス猫にとっては猫ではない変な形をした子分か何かであったのかもしれない。

そしていつしか、その猫はいなくなる。
人間の寿命から考えれば猫の寿命など短いものなのだから、当然だ。
ただ生物にはできることがあって、そのひとつが繋ぐことだろう。

「ぶみゃあ」
その声が彼の猫からどのような繋がりであるかなど、知る由もない。
ただ、それは何かしら繋がりあるものであると、再び生がやってきたのだと。
そんなことを考えたのだった。

貴方はこれを、どのようなものと考えるでしょうか。
ぜひご一読ください。