一日目、宿泊先が畳まれる。
織田なすけ
旅館、終了。
これは、N県のある旅館に泊まった時の話です。
当時、中学三年生だった私は、修学旅行に参加していました。九月の残暑が厳しい頃でして、長時間のバス移動と屋外活動を同じ班のA君、B君、女子三人とともに騒々しく楽しんだ覚えがあります。
異常の前兆は、旅館に到着した直後からあったのだと思います。別段、おかしなところはない、強いて言えば、古ぼけた木造の旅館でした。色とりどりの草花が花壇に植えられていまして、飾りつけも熱心にしていると見受けられます。物寂しい雰囲気を隠すためなのでしょう。しかし、私は薄気味悪さを感じて仕方ありませんでした。
てっきり疲れているからだと思っていたのですが、食事をとり、湯船で寛ごうと不安は消えず。一度、友人の二人にも相談してみたものの、気にしすぎだと言って笑うのです。仕方のないことです。部屋にいる者は私含めて誰も、幽霊といった超常存在を信じていないのですから。なので、嫌な予感を無視して、過ごしました。
◇
そして、ついに訪れた夜……私たちは、別班のC君を加えて、就寝することとなりました。
何でも、C君は班員との関係が良くないため、先生に部屋替えの相談したのだとか。結果、私たちが受け入れたのです。本人は「嫌われているだけだ」と言うのですが、相手の所業を聞くに、イジメとしか思えません。イジメをしていたクラスメイトに怒りを、まるで気がつかなかった自分自身に苛立ちを覚えながら、私は布団のなかで、意識を失いました。
コンコン。
ねぇ。
深夜のことです。真っ暗な部屋のなかで、私は一人、目を覚ましました。ノックと声が聞こえたからでした。こんな夜中に誰だと、扉に向かいます。携帯のライトで照らしつつ、ドアノブに手を伸ばして……思い止まりました。
先生のはずはありません。生徒の可能性もまた、限りなく低いでしょう。時間を確かめてみると、午前三時になったばかりです。しかも、嫌な予感が強まっているのです。
どっと冷や汗が噴き出しました。沸くように現れた恐怖が心臓を早めまして、指一本動かせなくなってしまいました。
コンコン。
ねぇ。
また、音が聞こえます。私は何とか頭だけ動かしました。敏感になった動物的感覚があらゆる恐怖の要素を拾いまして、思わず出所を探してしまうのです。すると、気がつきました。
声は部屋のなかからすることに――。
ただ、ノックは異様に大きいため、いまいち位置が掴めませんでした。ひゅっと息を飲んで、恐る恐る声の源に目を向けます。そこにいたのは、壁際でぐっすりと眠っているC君でした。
C君はむにゃむにゃと口を動かして、漏らします。
「ねぇ、晩御飯はオムライスが良いなぁ」
そう! 声の正体は、普通に話す声量の寝言であったのです! 私は呆れ返って、気が抜けてしまいました。
コンコン。
しかし、ノック音の正体は、まだ判明していません。何処から鳴っているのかも、分かっていないのです。動くようになった体で、A君、B君を叩き起こしまして、助けを求めます。二人は「わざわざ起こすな」とでも言いたげでしたが、ノックが聞こえた瞬間、異常な状況を察したのでしょう。電気をつけて、C君を揺らしまして、状況を伝えました。
「変なノック音がする。幽霊がこの部屋にいるかもしれない」
もちろん、突拍子もないことなので、C君は怪訝な表情をしました。ところが、返ってきたのは、衝撃の一言でした。
「霊なんていないけど……あ」
しまった、というようにC君は口を両手で押さえます。(この時は冗談かと思いましたが、後に霊が見えるのだと教えてくれました)だけど、ノック音を耳にすると、表情は一変。真剣なものになりました。
鋭い眼差しで部屋の中心に立つC君と、三人集まって怯える私たち。何度もコンコン、と鳴り響くなか、別の音が鳴り始めました。
いやぁぁぁ!
全員、起きろ!
耳をつんざく女性の金切り声と、私たちの担任、S先生の叫び声です。一部屋ずつ起こして回っているのか、頻りに扉の開く音がします。S先生だけではありません。あちらこちらから教師陣の声がするのです。
私はピンと来て、三人に言いました。
「荷物を持って、外に出ないと!」
◇
それから、全員、近くの公園で待機しました。私は三角座りで東を眺め、朝日を待っていました。緑が多く、虫が声高に鳴いていまして、個人的には悪くない時間でした。ただの現実逃避なのは、理解しています。しかし、仕方のないことでしょう。
だって、旅館が崩れてしまったのですから――。
コンコン、というのは、建物が崩壊直前である証だったのです。無論、専門家ではないのですから、何が起きていたのかは分かりません。ただ、あの薄気味悪さの正体とともに知りました。私には、優れた勘があるのだと。
当時の私は特殊能力に浮かれていまして、あまり深く考えていませんでした。ところが、しばらくすると、その結論自体に違和感を抱き始めたのです。
本当に私の勘は、旅館の崩壊だけを警告していたのかと。
後に、C君に聞いてみました。あの旅館に霊はいなかったのかと。すると、C君は答えてくれました。
「やけに血みどろなセーラー服の女が、旅館の隅々まで歩いてたよ」
――果たして、旅館が崩れたのは、経年劣化によるものだったのでしょうか。ノック音の正体とは、そして、S先生の声に被さって聞こえた悲鳴は、誰のものだったのでしょうか。真相は、闇のなかです。
一日目、宿泊先が畳まれる。 織田なすけ @bartholomew1722
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