削り氷に、あまづら

大隅 スミヲ

第1話

 うだるような暑さだった。

 みなもとの頼光よりみつは烏帽子の中から染み出てくるような汗を着物の袖で拭いながら、山道を歩き続けていた。

 途中までは馬に乗っていたのだが、あまりの暑さに馬がバテてしまったのだ。

 この夏は今までにない暑さだった。そのせいもあって、田は干上がり、秋の収穫は期待できないという見方が強まっている。聞いた話では帝が僧たちに命じて、神泉苑しんせんえんで雨乞いの儀を行わせるという話だが、果たしてそれで本当に雨が降るかどうかはわからなかった。

 神泉苑での雨乞いの儀式といえば、かつて嵯峨さがのみかどの頃に弘法大師空海による雨乞いの儀が行われたとされている。この時、弘法大師は大雨を降らせたという話が伝わっているが、その真偽は不明だった。

 そもそも雨は、僧が祈れば降らせることができるものなのか。そのへんが頼光には理解ができないのだ。

わか、そろそろ休憩を取りませんか」

 前を歩いていたつなが振り返ると、そう告げてきた。

 綱は頼光よりも少し年下の家臣であった。いまは渡辺わたなべのつなと名乗っているが、源氏の出であり、先祖を辿ると嵯峨帝に辿り着く人物である。綱は幼き頃から頼光に仕え、兄弟のように育ってきた。元々は頼光の父である満仲みつなかの家来であったため、他の満仲の家来同様に頼光のことをと呼んでいた。

 今回も頼光が、あるじである藤原道長みちながより、氷室ひむろへ行って氷を取ってくるように命じられた際、綱は洛外は危険が伴うと言って、同行を申し出たのだ。綱は頼光の従者の中でも、特に武芸達者である。弓を使えば飛んでいる鳥を射落とし、刀を使えば鬼の腕をも斬り落とすほどである。そんな綱がともをするのであれば問題ないだろうと、頼光の家中の者たちは考えたほどだった。

「綱、甘葛あまずらをかけた氷など、食いたいと思うか?」

「俺は食いたいとは思いません。そもそも、甘葛の味があまり好きではありませんゆえ」

「そうであったな。お前は、甘葛が嫌いであった」

 頼光は声を上げて笑う。

 この時代、日本に砂糖というものは存在していなかった。そのため、甘葛という植物から取り出した樹液を煮詰めて作ったものや水飴といったものを甘味料として使用していた。

「それにしても暑いな」

 烏帽子の隙間から流れ出てくる汗を頼光は拭う。

「若、水をお飲みくだされ」

「うむ」

 頼光は綱から竹筒を受け取ると、直接口をつけて水を喉の奥へと流し込んだ。水は沢で汲んだものだった。竹筒に入れた時は冷たかったのだが、いまは温まってしまっており美味くはなかったが、喉の乾きを潤せるというだけでもありがたかった。

 生い茂る木々からは蝉時雨が降り注いでいる。樹木の葉のお陰で太陽の光を直接浴びずに済んでいることはありがたかったが、風がまったくと言っていいくらいに吹かないため、暑さが逃げることはなかった。

「もうひと踏ん張りです。がんばりましょう」

 綱は頼光を励ますように言葉を掛けると先に立ち上がって、周囲に目を配った。

 どんな状況下にあっても、綱は頼光の身の安全を忘れないのだ。

 再び歩きはじめた二人は言葉を交わすこと無く、黙々と歩き続けた。会話をすれば喉が渇く。それがわかっているのだ。そのため、ふたりは休憩中以外は必要最小限の言葉しかかわさないようになっていた。

 しばらく歩くと、鳥が騒いでいることに綱は気付いた。

 数十羽のからすが上空を飛び回り、他の鳥が騒ぐようにして逃げていく。

「若、この先に何かありますぞ」

 警戒するような口調で綱は言うと、歩く速度を緩めた。

 腰には太刀を佩いており、背には弓とえびら(矢を入れる筒)があった。もしもの時は、それを使って戦うことも可能である。

 少し先にある大きな木の根本に黒い塊があるのが見えた。それは数十羽の烏だった。烏たちがついばんでいるものの姿が見えた時、綱は顔をしかめた。若い女だった。烏たちに啄まれても動かないということは、死んでいるということだろう。若い女は樹木に背を預けるようにして死んでいた。

 落ちていた小石を拾い上げると、綱は一匹の烏にその石を投げつけた。石をぶつけられた烏は断末魔のような鳴き声をあげるとその場に倒れ、他の烏たちは一斉にその場から飛び去っていく。

「女であるか……」

 烏がいなくなった樹木に近づいた頼光が呟くようにいった。

 女の着物は乱れており、胸元からは乳房がこぼれ落ちている。裾の部分は上の方まで捲りあげられ、白い太ももがあらわとなっており、陰部も丸出しとなっていた。

 顔の方は烏が啄んだせいで酷い状況だった。左目は潰れており、唇は裂けて無くなっている。

 首のあたりに刃物でつけられたと思われる傷跡があった。地面には大量の血のあとが残されているため、おそらく背中も斬りつけられているのだろう。

 着物を見る限り、女はそれなりの身分の者であっただろうということは推測できた。

 平安京みやこかどわかされたのか。それともこの近くに住む有力者の娘なのか。

 どちらにせよ、この女がこの場で斬り殺されたということだけは間違いなかった。

 頼光と綱は女の死体に向かって手を合わせると、そのまま道を進むことにした。

 死体があったということは、その下手人が近くにいるという可能性も否めなかった。死体の損傷は激しかったが、まだ新しかった。その証拠に烏には食い荒らされているものの、大型の獣や野犬には食われてはいなかったし、この時期にしては腐敗臭がそれほどでもなかった。

「若、念の為ですが、警戒を怠らぬよう」

「わかっておる」

 そのまま二人は道を進んだが、特に何事も起きることはなかった。

 日が暮れはじめた頃、小さな小屋があるのを見つけた。山中にある大木を組み合わせたような作りの小屋であり、小屋の中には人の気配があった。

 頼光と綱が小屋に近づいていくと、獣の唸るような声が聞こえてきた。

 足を止めた綱が頼光を下がらせ、腰に佩いた太刀へ手をかける。

「よせ!」

 人の声が聞こえた。すると獣の唸り声も消える。

「すまねえな、あまりここには人が来ねえもんで」

 小屋の中から出てきたのは、色の浅黒い男だった。男の足元には二匹の犬が寄り添うようにしている。先ほどの唸り声は、この犬の威嚇だったようだ。

「あんたら、旅の人か?」

「まあ、そのようなものだ」

「だったら、小屋に泊まってけ。この辺りは夜になると獣が出るでな」

「良いのか?」

 綱が口を開くよりも先に頼光が男に言う。

 その言葉に驚いた綱は、慌てて頼光にだけ聞こえる程度の小声で囁く。

「若、男の素性も知れませんし、先ほどの女の死体の件もあります。ここは……」

「せっかくのご厚意だ、甘えようではないか。すまぬが、厄介になるぞ」

 綱の言葉を無視するかのように頼光は言うと、男に頭を下げた。

 呆れた顔をしながらも、綱は頼光に合わせるようにして頭を下げる。

「気にすんな。狭い小屋だけど、寝る場所くらいはあるからよ」

 男はそう言って、ふたりを小屋の中へと案内した。

 小屋の中には、獣の皮などが干されており、男がこの山の猟師であるということがわかった。

 男によれば、この山で二匹の犬と共に暮らしているとのことだった。

 日が暮れると火を焚き、男は鹿肉の入った鍋を頼光たちに振る舞ってくれた。

 山の中は夜になると、昼間の暑さが嘘のように涼しかった。

 頼光もそれが気に入ったらしく「これは良いな」と言って、小屋の中で寝転がるとすぐに眠りに落ちていった。昼間の疲れもあったのだろう。綱は頼光の寝顔を見ながら、そんなことを思っていた。

「夜風にあたってくる」

 綱は猟師の男にそう告げて小屋を出た。木々の間から見える夜空はとても美しかった。

 遠くのほうで狼と思われる獣の遠吠えがしており、梟の鳴き声も聞こえていた。このような夜もあるのだ。綱は平安京みやこ育ちではなかった。父は武蔵国の人で、綱もそこで生まれた。綱が生まれてすぐに父は他界したため、源満仲の娘婿である源敦の養子となり摂津国で幼少期は過ごした。摂津では夜に狼が遠吠えすることがあったが、梟の鳴き声を聞いたのは初めてのことだった。

 しばらく夜風にあたっていると、小屋の裏手で何かが動いていることに気がついた。

 何であろうか。綱が近づいていくと、それは竹で作られた竿に掛けられた、女の着物であった。

 なぜこのようなところに、女の着物があるのだろうか。

 そう思うと同時に、昼間に見た樹木を背に死んでいた女のことが思い出された。

 まさか、あの女を殺したのは、この小屋の猟師なのではないだろうか。

 思わず猟師が女を殺すところを想像してしまう。

 いや、この猟師がそのようなことをするわけがない。旅人である我らを小屋に泊めてくれるような優しい人物だ。それはありえない。

 頭を振るようにして綱は思い直すと、小屋の中へと戻っていった。

 小屋の中ではすでに猟師も眠ってしまっており、綱はその穏やかな顔を見て自分の考えが間違っていたと思ったのだった。

 翌朝、頼光と綱は猟師に礼を述べて、出発した。

 猟師によれば、氷室はこの先の山を一つ越えたところにあるとのことだった。

 しばらく歩いたところで、綱は我慢できなくなり頼光に昨晩見た着物の話を聞かせた。

「そうか。そのようなものが……」

 綱の話を聞いた頼光は少し考えるような素振りを見せた後、再び口を開いた。

「昨晩食べた鍋。あれも女の肉が入っていたかもしれんな」

「え……」

「冗談じゃ。あれは確かに鹿肉であったぞ」

「若、冗談が過ぎますぞ」

 綱は胃の辺りを抑えながら頼光に言う。

 鍋に女の肉が入っていたということはなかった。あの女の死体は烏に顔が啄まれているだけで、身体は綺麗なままだったのだ。

 そのことを思い出した綱は、ほっとしながら竹筒の中の水で喉を潤した。

 頼光と綱はその日のうちに氷室へと到着することが出来た。

 氷室は武装した武士もののふたちによって厳重に警備されており、許可がなければ近づけないようになっていた。氷室というのは、それだけ重要な場所なのだ。

 頼光が藤原道長の遣いでやって来たということを説明して文を見せると、すんなりと氷室の中へと案内された。

 氷室の中の気温は外とは大違いであり、まるで冬場のような涼しさがあった。

「このような場所があったのか」

 頼光は感動の声を上げる。

 氷室は山の中にある洞窟を掘って倉庫のようにしたものだった。冬場、凍った池などから氷を切り出し、それを夏場までこの氷室に保管しておき、夏になると氷を求める貴族たちのもとへと運ばれるのだった。

 子どもくらいの大きさがある氷の塊を受け取った頼光と綱は、その氷をむしろで包んで背負うと、来た道を戻ることにした。

 帰り道は急がなければならなかった。時間とともに氷は溶けていき、水へと変わってしまうためだ。ただ運ぶ方は暑さから逃れることができるため、来る時ほどの辛さというのはなかった。

 その日のうちに山を越えたが、違う道を通ったのか、猟師の小屋を見つけることもできなければ、若い女の死体を見つけることもできなかった。

 おかしなこともあるものだ。綱はそう思いながら、足を急がせ、山の麓で預けていた馬に乗って、帰路を急いだ。

 これだけ急いで戻ったというのに、ふたりが平安京みやこに戻った頃には、氷は拳大くらいの大きさとなってしまっていた。

「よくやった」

 氷を届けた頼光に対して道長はそう声を掛けると、褒美として金品を与えたのだった。


 甘葛をかけた氷については、かの清少納言も枕草子の中に書き記している。

「削り氷にあまづら入れて、新しき金椀に入れたる」

 貴族たちにとって甘葛をかけた氷というものは、至高の食べ物だっただろう。その至高の食べ物を支えたのは、氷室へ向かい、命がけで氷を取ってくる者たちの努力があったからに違いない。

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