後編

 悪性リンパ腫になった祖母のために、父は仕事のツテを使ってどうにか臨床実験中のゾンビ化新薬を試そうとしたけど、祖母はそれを断りゾンビ化することなく天寿を全うして荼毘に付された。家でゾンビの世話をしなくて済んだ母は、とても安堵したようだった。


 そんな祖母の遺品を整理していたら、やたらレトロな機械があって、父に聞いたら「ラジカセというものだ」と回答を得た。ラジオを聴いたり、CDという外部記憶メディアで音楽を再生できるらしい。


 若かりし日の祖母が好きだったという男性アイドルグループのCDを見つけたので、さっそくラジカセを起動してみた。ラジカセのフタは透明だったので、CDがくるくると回転している様子が見える。テーブルに頬杖をついて、私は七色に光りながら回る円盤を眺めて、割れた音を流すスピーカーに耳を傾けた。


 ガサついた音がむしろレトロでいい。視覚同様に聴覚も限界がある。高音質だから良いとは限らない。普通の人間にとっては、ある一定レベルを超えた高音質の違いを聞き分けることはできないのだから。


 CDに記憶された男性たちの声は「サンシャイン」がどうとか歌っている。サンシャインとサンライトの違いってなんだろう。両方とも「太陽光」のことを指すが、サンシャインの方が少し詩的というか乙女な気がした。サンライトは響きが科学的に感じる。私は頬杖をついて、Aパートを聴いただけでも覚えてしまった耳馴染みのいいその詩的な「サンシャイン」を含むサビを口にする。


「翠ー! 朝陽くん、来てくれたわよー」


 一階から母の声が聞こえ、私はラジカセの停止ボタンを押すと、「はーい」と大声を出した。片付けは中途半端なまま、私は祖母の部屋を出る。そのまま地下まで階段をおり、地下の玄関に向かった。


「もう出れる?」


 野球帽を被った朝陽くんがハニかんだ笑顔を向けてくる。今度は一階にいる母に向かって「行ってきまーす」と私は大声を出した。地下道を並んで歩き、私はごく自然に彼の差し出してきた手を取る。この田舎でも比較的栄えている地域に行くために、私たちは地下鉄の駅へと向かって歩き始めた。


「おばあちゃん大変だったね」

「お葬式のとき、お手伝い本当にありがとねー」


 結局あれから何やかんや朝陽くんと連絡を取るようになって、何回かオンラインでデートをした後に私たちは付き合うようになった。母は彼が小さい頃から知ってて、ついでに公務員であるせいか非常に気に入ったようで、「急かしちゃダメよね」と事あるごとに独り言を聞こえるように言っている。母よ。十分、急かしているぞ。


「ゾンビはね、特殊な紫外線に弱くて、その光線を当てると灰になって消えちゃうんだ」


 再会した日の夜に約束通り連絡をくれた彼に、あの時ゾンビに何をしていたのか聞いたら、そう答えてくれた。


 さて、保健所のホームページからその仕組みについて詳しい記述を引用しよう。


***

 ある特定の遺伝子を持つ人間の皮膚に、光に対して高い反射性を持つ軟膏を塗布し紫外線を照射すると、その紫外線は反射した際に皮膚を触媒に新たなファクターを獲得します。

 この紫外線は、ゾンビに対して、非常に高い駆除効果が認められました。

 そして、不死人であるゾンビを塵のように光分解する様子から冥界の神ハデスの名にちなみ、UV-H(UltraViolet-Hades)と名付けられました。

***


 引用ここまで。


「つまり、この坊主頭に強力な日焼け止めを塗って紫外線ライトを当てると、頭がピカッと光ってゾンビを倒せるってこと?」


 交際後、初めてのリアルデートで訪れたラブホテルのベッドの上で、私は彼のツルツルの頭皮を撫で回しながら質問すると、彼はなされるがまま苦笑いで「そうだよ」と答えた。彼の頭皮は髪が一本もなくて本当にツルツルだ。この仕事につく際に、レーザー脱毛されるらしい。その分、給料はいいみたいだけど。


「仕事のために、強制的にハゲにされるとかヤバイね」

「でも、まぁ、誰にでもできる仕事じゃないし、ヒーローに選ばれたと思うことにしてるよ。倒してる様子はかなりダサいから市民の皆さんには見られたくないけどね」

「UV-HのHってさー、絶対に『ハゲ』の『H』っしょ」

「ひどいなー。翠ちゃんは」


 そんなくだらない会話をした初デートは、とても楽しかった。幼稚園から中学まで一緒だった時は別に恋愛に発展することはなかったのに、再会してからは安っぽい言葉だけど「運命」を感じるほど私たちはトントン拍子だった。喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。


「そろそろ、付き合って二年だね」


 わざわざ夜景が見える高層ビルのレストランで、そう切り出されて私は背筋と胃がキュッとなった。もしかして、くるのか。お互い二十七歳だ。くるのか。母のニヤニヤ顔が脳裏をよぎる。


「俺と結婚してください」


 差し出された指輪を受け取りながら、私はなぜか「うい……」と返事をしてしまい、朝陽くんは「なんでフランス語なの」とケラケラと笑った。


 両親に結婚について報告すると、とても喜んでくれた。特に、母は朝陽くんの両親がすでに他界していて介護の心配がないことのポイントの高さを、我がことのように喜んでいた。開けっ広げな母がいつか彼に直接このことを言ってしまうのでは、と少々気が気でない。


 高給取りの若きゾンビハンターである朝陽くんは「官舎はボロいから」と公務員属性を活かして三十五年ローンでマンションを購入した。銀行の審査がちょっぱやだった。恐るべし公務員。それから、私は「働いても、働かなくても、どっちでもいいよ」と言われた。怠惰な私は「働かない」を選んだ。ごめん、朝陽くん。


 身内だけの結婚式を挙げ、私たちは籍を入れた。朝陽くんは特に何も言わなくても……というか、私が気つく頃には、ほぼすべての家事をしてくれていた。フルタイムで働いているのに。私は日がな一日、天井を眺めてゴロゴロしていたが、彼は怒ったりもしなかった。


 代わりに、抜き打ちで訪れる母からなぜか怒られている。最近の母は、朝陽くんの方が実の息子で、私が可愛い息子をたぶらかした悪い嫁だと思っている節があり、私が認知症を疑うとプリプリと怒った。


 時々、気まぐれに私がたいして上手くもない料理技術を用いて夕飯を作って待っていると、朝陽くんはまるで「ネズミを捕ってきて、ドヤ顔で飼い主に献上する猫」を見るみたいな顔で私を褒めてくれた。


 常日頃から来世は猫好きの家で飼われる「お猫様」に生まれ変わりたいと思っていた私は「もはや、ここは来世なのでは?」と感じるほど、朝陽くんから手厚い世話を受けている。


 このように朝陽くんが提供してくれる日向のような暖かで穏やかな日々に、私はこれ以上はない幸せを感じていた。幸せである。ゴロゴロ。



 さて、幸せは長続きしない。誰でも知っている。人生は山あり谷ありなのだ。


 終わりの日は呆気なく唐突に訪れた。いつも通り朝陽くんはゾンビを駆除するために出勤して、いつも通りにゾンビを倒して帰ってくるはずだった。


「あっという間の出来事で……」


 緊急だと呼び出された隔離型の集中治療室の前で、彼の上司から説明を受ける。ガラスの向こう側にいる朝陽くんは、頭が右目を含めて半分なくて白子みたいな脳みそがこぼれ落ちてるのに、どうしてまだ生きてるのかといえば、ゾンビウイルスに感染したからだった。彼の綺麗なツルツル頭は見るも無惨な状態で、私は「ああ、もう撫で回すことはできないのだ」とぼんやりと思った。


「朝陽くんは、ゾンビウイルス感染時は安楽死を希望していました」


 私は右手の指の腹で、左手の親指の爪を何度も撫でながら俯く。


「……もう少しだけ、時間をください」


 あそこで鎮痛剤で寝かされているゾンビが、もう元の朝陽くんに戻ることはないのはわかっているが、それでもすぐに割り切ることはできなかった。彼の上司と担当医師は「もちろんです」と言ってくれた。


 私は看護師さんが持ってきてくれた丸椅子に腰掛けると、ベッドの上の頭が半分になった朝陽くんを眺める。


 齧られた個所からして、UV-H光線をゾンビに当てようとして、いつぞや見たようにゾンビに向かってお辞儀のポーズを取っていた最中だったのだろう。そのシーンを想像したら、あまりにもマヌケで、思わず「ブッ……」と吹き出してしまった。俯いて肩を震わせてる私の後ろ姿に、お医者さんも看護師さんも泣いていると思ったようで、不謹慎な私の態度はバレなかった。


 ひとしきり笑った後で、私はもう一度、頭を半分齧られた朝陽くんを見る。


「私は脳みそがこぼれたままの白子な朝陽くんでも良かったのに。ビジュアルかなり面白いし」


 父が祖母にゾンビになってでも生きていて欲しかったことと、祖母がそれ拒否したのを渋々受け入れたことを思い出す。こんな気持ちだったのだろうか。


 一週間後、私は彼の安楽死に同意した。



 ゾンビウイルスに感染したせいで、朝陽くんは遺骨も何もない。同僚のゾンビハンターさんのハゲ頭のUV-H光線ですべてを塵にされた。朝陽くんがいなくなってしまったマンションで空っぽの骨壺と位牌を眺めていると、ゾンビ警戒アラートが鳴り始めた。


 けたたましい鳴り響かせるスマホを私は壁に叩きつける。それから、形見分けでもらったラジカセの再生ボタンを押した。CDは回りながら虹色の光を放つと、男性アイドルの甘い歌声をガサついた音にしてスピーカーから垂れ流す。私は頬杖をついて、「サンライト」じゃなくて詩的な「サンシャイン」の方を含むサビを口にした。


 私の子宮は空っぽで、フィクションのラストにありがちな死んだ彼の忘れ形見を育てるなんてイベントも特に発生はしなかった。


 太陽光が先に狂ったのか、この世界が先に狂ったのか。この世界には、ゾンビがいる。


 私は、やっぱり、ゾンビが嫌い。



(了)

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ゾンビ・イン・ヒートアイランド 笹 慎 @sasa_makoto_2022

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