ゾンビ・イン・ヒートアイランド

笹 慎

前編

 私は、ゾンビが嫌い。この世界には、ゾンビがいる。最悪。

 狂った太陽光のせいで、世界は全部おかしくなった。


***


 太陽と地球が本気で人類殲滅作戦を始めて数十年が経ち、昔は連日五十度越えなんてアメリカのデスバレーくらいだったのに、今となっては日本でも五十度を余裕で超えている。三十度の日なんて長袖を箪笥から出すレベルだ。


 北極だか南極だかの氷を溶かさないように科学者たちは一生懸命だけど、私を含めた一般人たちは毎日ただただ「暑いわね」って話してる。凍結剤とか冷却技術の発展は目覚ましいけれど、それ以外の科学技術は百年前から進歩はあまりない。


 あまりの暑さに人々は家からほとんど出なくなって、必要なものはドローンが配達してくれたり、ちょっとした物ならデータをダウンロードして3Dプリンターで自宅で作成したり。それから、運動不足解消のために、どこの家も地下にトレーニングルームがあって、また、玄関は地上と地下の二つあり、地下道が整備された。今では地上の玄関はよっぽどのことがないと開けたりしない。


 だから、もう地上を出歩いてる酔狂な生物はゾンビくらいのものだろう。ただ、ゾンビの心肺機能はもう止まっているから生物といえるかは微妙なところだ。


 ゾンビウイルスは冬でも平均気温が三十度を超えた頃から流行り出した。元がなんのウイルスだったか私は知らないけど、ウイルスだって灼熱地獄と化した地球のせいでおかしくなったんじゃないかな。たぶんね。


 最初の頃は熱中症で倒れた人がしばらくすると元気になり、その後は熱中症を含めあらゆる病気でも怪我でも死ぬことはなくなったので、脳へのダメージは深刻なものの好意的なウイルスとして受け入れられていた。それで「不死の薬」として研究が進められたけど、どうしても精神面での重篤な脳障害の副作用を抑えることはできなくて実用化はされなかった。


 そんなこんなで、このウイルスは闇で売買されるようになって、永遠の命を得たい人々をゾンビにし続けた。闇で売買されるゾンビウイルスは粗悪なものも多くて、脳障害の中でも特に前頭葉を破壊して凶暴なゾンビに変えることもあった。凶暴なゾンビたちは人々を襲い、ゾンビ化を望んでない人たちにまで感染は広がり、やがて町中にゾンビが溢れた。


 そんなパンデミックが起きてから数年間は人類もとても慌てたけれど、最終的に狂犬病と同じポジションに落ち着いた。


 今では野良のゾンビを見かけた時だけ保健所に連絡をする。すると、駆除係の職員さんがやってきて、ゾンビをトラックに乗せて、どこかに連れて行ってくれたので、それで終わりだ。大切な家族がゾンビになってしまって、自宅で面倒を見ている人も多い。家庭の中に収まっている分には、国や地方自治体も干渉してはこなかった。



 ほとんどオンライン授業だった大学を卒業後、なんとなく都内で一人暮らしをしてみたものの、これまたほとんどテレワークでの仕事に高い家賃を払うのも馬鹿らしくなり、二年ほどで実家に戻った。しかし、衣食住が保障されている環境になるとフルタイムで働くのも急に面倒になってしまって、結局その仕事もやめてしまった。


 家事をたまに手伝い、両親と祖母から時々お駄賃を貰う二十五歳。それが私である。欲しいものがある時はVRキャバクラでバイトもするが、基本的にはプラプラと無職生活。二階にある自室の畳の上に転がって、今日も日がな一日、天井のシミを眺める。


 仮想空間で遊ぶのもお金がかかるし、なによりアバターのデザインを三年も同じものを使っていて、そんなダサい身なりで友人達に会うのも気が引けた。いま持っているVRグラスもOSのアップデート限界を迎えており、友人達が最新アバターを使っていたら動作しない可能性もあった。ま、なんやかんやと理由をつけているが、とにかく面倒なので誰とも会いたくないだけだ。


 しばらくすると、母の悲鳴が聞こえてきて、のそのそと一階へ降りた。おそらく台所にゴキブリか、庭にゾンビでも出たのだろう。地球がどんな環境になっても人間とゴキブリだけは絶滅しない気がする。


「ああ! みどりが来てくれて助かったわ」


 酷く怯えた表情の母が指さす方に目を向ける。庭にいるゾンビがうちの窓ガラスをカリカリとひっかいていた。個人的にゴキブリ退治の方が大変なので、ゾンビで良かった。私はポケットからスマホを取り出して、「ゾンビ通報」アプリをタップする。これだけなのに、なぜか母はできない。


「駆除の人、来るの三時間後だって。ママ、危ないから外に出ちゃダメだよ~」


 私は母からゾンビが見えなくなるように窓のカーテンを閉めながら、スマホに表示された保健所の職員たちの到着時間を告げる。母は「あ~、嫌だ。嫌だ」と二の腕をさすりながら、居間のテレビの前に戻っていった。


 少ししてスマホのゾンビ警戒アラートが鳴り、それは毎度毎度あまりにけたたましい音を立てるので私はうんざりした。私がゾンビが嫌いな理由の一番はコレ。近所でゾンビが出ると警報が出る。私はスマホの画面から警報通知を削除すると、運動でもしようと地下のトレーニングルームに向かった。


 エアロバイクを一時間ほど漕いでからシャワーを浴びる。冷たい緑茶を飲みながら、母の横に座って一緒になって美男美女の俳優たちによる恋愛ドラマを見ていると、珍しく地上玄関のチャイムが鳴った。


「保健所です。ゾンビの駆除に参りました。これから、お庭に入らせていただきます」


 インターフォン越しに「よろしくお願いします」と答える。画面には五人の保健所の職員が全身を防護服に身を包んで映っていた。


「今月から駆除方法が変わりまして、その場での駆除になりますが、特段お庭を汚すことはありませんので、ご安心ください。駆除方法について、詳しくは保健所のホームページでご確認願います」


 そう言って、彼らはインターフォンの画面からフェードアウトした。私はその「新しい駆除方法」が気になり、居間に戻ると先ほど閉めたカーテンを少し開けて庭を盗み見る。


 一人の職員がゾンビをさすまたで手際よくブロック塀に押さえつけ、別の職員が二人がかりで長さが一メートルほどある直方体の装置を庭に運び込んでくる。もう一人の職員は折りたたまれていたアルミ色のボードを広げて衝立のようにした。そして、最後の一人はゾンビの前に立つと、おもむろに防護服のヘルメット部分と脱いだ。


 私は思わず「あっ」と声をあげる。その職員の顔には見覚えがあった。幼稚園から中学校まで同じだった朝陽あさひくんだ。でも、彼の頭はお坊さんのように綺麗に毛がなかった。


 外気温は夕方の五時とはいえ、まだ軽く四十度を超えている。頭だけとはいえ防護服をとった朝陽くんはかなり暑そうだ。彼はサングラスのような黒いゴーグルを装着すると、ゾンビにお辞儀するように頭を下げた。それから、彼の斜め前に、直方体の装置は立てて置かれた。私は興味津々で窓から覗き込む。しかし、私から死角になるように、アルミ色の衝立てが置かれてしまった。何が行われているのか、わからなくてもどかしい。


 その時だった。突如、写真を撮るときのフラッシュのような光が衝立の隙間から漏れた。立て続けに二回の強い閃光。そして、少ししてから衝立が外されると、朝陽くんはもう防護服を着用し直していて、綺麗な肌色の坊主頭は隠されてしまっていた。


 あ、それはそうと、ゾンビ。朝陽くんの頭にばかり着目していたが、そういえばゾンビである。ゾンビは庭から霧のように何も跡形を残さずに消えてしまった。いかなる新技術なのだろうか。魔法のようだった。


 また、チャイムが鳴る。職員の一人が「作業終わりましたので」とインターフォン越しに告げた。その背後には引き上げる職員たちの後ろ姿が映っている。なぜか私は自分でもびっくりするほどの衝動に駆られて、弾かれたように地上玄関の扉を開けた。


 四十度越えの重苦しい湿気を含んだ熱風が家の中に流れ込んでくる。一瞬、怯んだけれど、衝動の方が勝った。


「あの……! 朝陽くんだよね?」


 ワゴン車に乗り込もうとしていた全身防護服を着た五人のうちの一人が振り返った。彼は他の職員に断りを入れると、私の方へ戻ってきてくれた。


『翠ちゃん?』


 防護服のスピーカーから少しくぐもった声が響く。私は暑さに息苦しさを覚えながらも頷く。これ以上、何の対策もなく外にいるのはキツイかも。その時、スマホがポケットの中で、ピロピロと音を立てた。


『……後で連絡するから』


 朝陽くんは私のポケットを指さして、そう言うので、私がスマホの画面を見ると、彼からのコンタクト申請だった。私は再び頷いて、ワゴンに向かって帰っていく彼の背を見ながら扉を閉めた。



(後編に続く)

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