業火の雛人形

 お雛様が怖い。ついでに言うと日本人形の類は大体気味が悪いと思うし、日本の民芸品みたいなもの……例えば狐のお面なんかも怖くて大嫌いだった。小さい頃は寝ないとごねる度、

「早く寝ないとお人形さんが来るよ」

と母に言われて、わぁわぁ騒ぎながら布団を被った覚えがある。


 私にとって、雛人形というのは恐怖の軍団みたいなものだった。

 他の家は知らないが、私の家は姉にも私にも別々に雛人形を買っていた。

 五つ離れた姉はの雛人形は大きなガラスケースに入っていた。

 お内裏様とお雛様、その下に三人官女、一番下は嫁入り道具と桃の花。そして端には姉の名前の木札が立てられた、三段飾りながらも華美で立派なものだったと思う。

 最も、私は人形の筆で描いたような顔が今にも動き出しそうで、それを見る度わぁわぁ泣いて逃げ出していたらしいから、見た目の記憶は曖昧だ。

 しかし姉は雛人形が好きだったと思う。雛祭り近くになると出てくる人形を見ては、いつも嬉しそうにうっとりとしていた。姉の雛人形のガラスケースにはオルゴールが付いていて、時折澄んだ音色の「うれしいひなまつり」が襖越しに聴こえた。


 私は私で三歳の時に雛人形を買ってもらった。が、そもそも雛人形自体が好きでない事は姉の雛人形の件で分かりきっていたので、お内裏様とお雛様だけの一段飾りを用意された。それでもまたその人形達が怖くてたまらず、結局の所二、三回しか出せなかったと母は言う。

 多少大きくなっても私の人形嫌いは直るどころか加速して、母はそのうち姉の雛人形も出さなくなった。

 姉は私を哀れんでか、それとも長女だからわがままは言えないと思ったのか、雛人形を出してくれと母に言わなかったそうだ。

 母は一度姉に謝ったらしい。

「お雛様出してあげられなくてごめんね……しまいっぱなしだから、今頃怖い顔になってるかもしれないわ」

 姉は何も言わず、悲しそうに俯いただけだったらしい。

 今にして思えば可哀想な話だが、その時は姉が文句を言わない事に心底ほっとした。


 私が十歳の時に事件は起こった。

 外にあった物置が燃えたのだ。その頃近所では放火と見られる小火が多発していて、近所でもゴミに火をつけられたりする事があった。うちは塀の外がゴミステーションになっていて、そこから物置に引火したらしい。

 物置にはお雛様が入っていた。

 火は消防署の人が消し止めてくれたので家の方は大丈夫だったが、古い物置はプラスチックの扉に引火し、中身の大半がダメになった。私は黒焦げのお雛様が這い出て来そうな気がして、片付くまで物置の方を見れなかった。


 姉は二十代半ばで結婚して出ていったが、私はと言えば結婚はせず、未婚のまま母となった。自分では彼氏だと思っていた相手が実は既婚者で、私は彼女ではなく不倫相手だったのだ。お腹に子供が出来た事を報告すると態度は一変し、裁判沙汰にまでなった。

 不幸中の幸いと言うか、相手が既婚者である事を隠していたから慰謝料は取られなかったし、何とか認知もさせて養育費も貰っている。

 娘は可愛い。両親の元に同居しているから生活も何とかなっている。

 娘を保育園に預けて働いて、慎ましくも幸せに暮らしていた頃、異変を感じ始めた。

 夜寝ていると、焦げ臭い気がして飛び起きるのだ。

 周囲を確認しても異常は無く、横では可愛い娘が寝ている。異臭もしない。

 そして、臭いこそ無いものの、鼻の奥に嫌な感じが残ったまままた眠りにつくのである。


 そんな事が数度あって、いい加減に慣れた頃だろうか。

 夢を見た。

 私は窓の外を見ていた。赤々と燃える物置。黒い煙。焦げ臭い匂い。その中に光るガラスケース。それは火に焼かれて、パンッと大きな音を立てて割れた。

 姉のお雛様だ。

 物置のプラスチックの扉は燃え落ち、本来の記憶なら見えていなかったその中までも、赤々と照らし出されていた。

 白い顔の雛人形。火に飲まれ燃え落ちる三人官女。悲しげなお内裏様が白い顔を焦がしながら崩れ落ちてゆく。

 最期に残ったお雛様は赤い火の中で、熱で変形したのか、ぐっと顎を上げて私を見上げた。

 赤い唇がかすかに動く。


 ――あんたのせいで


 そうだ。

 私は燃える物置を見ていた。

 お雛様が燃えてしまうのを願って、火が大きくなるまで親を起こさなかった。


 ――わたしの


 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい


 ――おひなさま


 目が覚めた。身体は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。

 そうだ、何で今まで気が付かなかったんだ。

 私はお雛様が嫌いだった。だから姉から雛祭りを取り上げ、姉の大切なお雛様を自分のお雛様もろとも燃やしたのだ。原因は放火だったとしても、燃えるまで待ったのは私だ。


 もちろん姉はこの事を知らない。


 翌日、姉から母に電話が入った。お腹に子供が居て、今三ヶ月だそうだ。

 丁度焦げ臭い臭いに飛び起きた頃、姉は妊娠したらしい。

 母は姉に「歳も近いから子供同士で遊べるね」なんて言ったみたいだが、その後顔を青くして、小声で何か言っていた。

 間の悪いことに電話はハンズフリーで、私にも姉の声は聴こえていた。

「嫌よ、あの子昔から空気読めなくてワガママ放題なんだから。悪いけど子供にもあんまり会わせたく無い」


 姉は雛人形が好きだった。

 雛人形を嫌って大泣きして、姉の雛人形も出せないようにした私を、姉は静かに、しかし心底嫌っていたのだ。

 そして姉は知らずとも、終いには私が燃やしてしまった。


「女の子だったら、今度こそお雛様飾ってあげるんだ。だから雛祭りの時は絶対に邪魔しないで」


 今でもたまに、燃える物置と雛人形を夢に見る。

 お雛様の薄く紅を引いた口から、姉の冷たい声がする。

 取り返しのつかない事をしてしまったのだ、今更何をしたとて許してもらえるとは思えない。


 娘が三つの時に雛人形を買った。日本人形では無くて、木製のモダンなインテリアみたいな、顔の書いてないお内裏様とお雛様だけの雛人形だ。

 娘はもう少し大きくなったら、他所の家と比べて不服に思ったりするだろうか。


 私はその後も幾度か男の人を好きになったが、良い恋愛は一度も出来ていない。

 きっと生涯、結婚には縁が無いのだろう。



 終

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【ホラー短編集】アドニスの缶 縦縞ヨリ @sayoritatejima

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