事後物件

平中なごん

事後物件(一話完結)

 学生の頃以来、長らく住んでいたボロアパートから引越しをした。


 就職して多少懐事情もよくなったので、小綺麗なマンションへクラスチェンジだ。


 まあ、これまでのボロアパートも狭くて古くて汚い以外は特に問題もなく、一応、ユニットバス・トイレ付きだし、とにかく家賃は安いし、贅沢言わなければ「住めば都」といった感じではあったのだが、やっぱり新しいマンションの部屋はそこに比べて格段に良い。


 日当たりはいいし、壁も真っ白で明るいし、間取りも二倍ぐらいに広いし、何より壁が薄くないので隣室からの騒音もなく静かだ。


 その快適な新居に住み始めて数日後のこと。買い物から帰ったところで偶然、隣室の奥さんと部屋の前でかち合い、なんとなく挨拶した流れで立ち話になった。


「いやあ、ここのマンションはいいですねえ。毎朝寝覚めもいいし、住んでるだけで元気になる気がします」


「あらそう? 以前はどんな所にお住まいだったの?」


 僕の素直な感想に、奥さんも自然とそう尋ねてくる。


「◯◯にある古いアパートだったんですけどねえ。まあ、住むには問題なかったんですが、とにかくボロいし汚いし騒音も煩くて」


「◯◯の古いアパート? ……それってもしかして、××って名前のとこじゃないわよねえ?」


 その問いに、僕は何気なくそう正直に答えたのだが、すると奥さんは眉間に皺を寄せ、なにやら意味深な口ぶりで再び訊き返してくる。


「え? ええ。その××ですけど、よくご存知ですね」


「ええっ!? あそこに住んでたの!? あなた、よく無事ね? どこか身体に悪いところとかないの?」


 なぜかそのアパート名はドンピシャで当たっていたので、少々驚きながらも僕が頷くと、それに輪をかけた驚きようで奥さんは頓狂な声をあげる。


「悪いとこ? いえ、いたって健康ですけど……」


「変ね……あそこに住んでた人は全員命を落とすか、そうでなくてもなんかどうか体を壊すって聞いたんだけど……」


 矢継ぎ早に尋ねられ、訝りながらも淡々と僕はそれに答えるが、すると奥さんの方もまた僕の反応を後追いするかのようにして、不思議そうに小首を傾げながら頬に手を添えてそう呟いた。


「い、命を落とす? ……え、もしかしてあのアパートって、なんか有害物質が建材に含まれてるとかですか? それとも、近くの工場で出してる有毒ガスが風向きによって流れてくるとか?」


 あの古さや立地からすると、そういったリスクもさもありなんだ……その呟きに目を見開き、そんな現実的な心配をして訊き返す僕だったが。


「いや、そうじゃなくてね。出る・・のよ、あのアパート。いわゆる事故物件ってやつ? そっち界隈じゃ有名よ?」


 奥さんは首を横に振ると、また違った種類での問題を無駄に声をひそめてその口にする。


「出るって、つまり、幽霊ってことですか?」


「ええ、そう。それも強力なやつが何体も。あまりに怨霊が多すぎて集合体化しちゃってるって話も聞くわね」


 俺は霊感ゼロなのでまったく気づいていなかったのだが、奥さんから聞いた話によると、どうやらあのアパートはけっこう有名ないわく付き・・・・・の物件であったらしい……。


 じつは奥さん、相当なオカルトマニアだったみたいで、長々と脱線も交えながら熱く語ってくれた話をわかりやすく要約するとだいたいこんな感じだ。


 まず、最初にも口にしてたよううに、あのアパートは〝事故物件〟であり、それもいわゆる心理的瑕疵かしというものがあるなんてもんじゃないくらい、ありまくっていた。


 老人の孤独死にはじまり、首吊り、練炭、リストカット…と自死も含めて人死ひとじにのオンパレード。中には殺人事件みたいなものなんかまでチラホラあったようだ。


 俺はそういうのあまり気にしていなかったのだが、奥さんのスマホで某事故物件検索サイトを見せてもらったら、そこのアパートの位置にはしっかりと炎マークが燃え上がっており、そうした事故内容が幾つもつらつらと書き込まれていた。


 普通、こういう瑕疵があった場合には契約時に申告義務というものが生じるはずなのだが、不動産屋からそんな話は微塵も聞いていない。


 まあ、某サイトの情報によると、俺の住んでた部屋の番号は記されていなかったので、部屋単位で見ればギリギリ事故物件じゃない…という、極めてブラックに近いグレイな判断をしてくれたのかもしれない。


 なるほどな……申告はなかったが、ボロとはいえ、どうにも家賃が安すぎやしないかとなんとなく思っていたのだ。その理由は、つまりそういうことだったというわけだ。


 また、そんな所なので心霊現象の話にも枚挙にいとまがない。


 金縛やラップ音は日常茶飯事、勝手に風呂の水が出たり、こげくさい臭いがしてきたり、孤独死のおじいちゃんや自殺した女が夢枕に立ったり…と、まあ出るわ出るわ、ありとあらゆる心霊現象が頻繁に起こっている。


 それに、霊障というやつだろうか? 住人達にも実被害があったらしく、精神的に病んでしまったり、重い病気にかかったりする者が続出し、中には突然、行方不明になったなんてケースもあったようだ。


 で、なんでそんなにもいろいろあるのかといえば、一説にそこが事故物件以前にもと墓地だった〝忌地いみち〟であるとか、〝霊道〟──霊の通る道の真上に建っているだとかも言われている。


 しかし、かくいうこの俺も実際そこに住んでたわけなんだが、別にそんな悪い雰囲気は感じなかったし、この通りにピンピンしている。


 たとえ自分の部屋で人死が出ていなかったとしても、ここまでヤバイとこならば何かしらの影響があってもいいと思うんだが……。


「御札とか貼ってなかったの? 前に住んでた人が高名な霊能者に頼んでお祓いしたとか?」


 大いなる疑問に俺が取り憑かれていると、奥さんがその理由について仮説を口にする。


「いえ、霊能者は知りませんが、御札なんて一枚も……あ、そういえば御守り……」


 その言葉に首を横に振ろうとした俺であったが、否定しかけたところでふと、ある思い当たる節が脳裏をかすめる。


「御守り?」


「ええ。御札はないですけど御守りならいっぱい家にあるんです。全国津々浦々、各地の神社仏閣で買ったものが」


 そうなのだ。こっちに越してきた今もなのだが、うちには御守りがごろごろと転がっているのである。


 俺は旅行をけっこうな趣味にしていて、旅先の有名な神社やお寺などにも必ず立ち寄るようにしているのだが、旅の記念というかなんというか、そこで御守りを買い求めるのも恒例となっているのだ。


 ま、そんなこんなで御守りがどんどんと溜まってゆき、そこらに放置しておくのもバチが当たりそうなので、神棚ってわけでもないが決まった場所に掛けて置いていたのである。


 もしかしたら、その大量の御守りが一種の結界のようなものを作り出し、それが俺を守っていてくれてたのかもしれない……。


「なるほどね。確かにそれはありえるわね……それに、神社やお寺を参拝するだけでもお祓いになるっていうし、あなた、旅行の度にセルフお祓いしていたのかもしれないわ」


 俺がその可能性を説明すると、オカルト通の奥さんもうんうんと頷いて、さらにその仮説を補完してくれる。


 なにはともあれ、こうして無事でいられたからよかったものの、まさか前に住んでいたアパートが、そんな超激ヤバ特級事故物件だったなんて……。


 それを踏まえて今思い返してみると、もしかして隣室の騒音がうるさかったのも、じつは生きた人間の立ててる音じゃなかったのかも……そういえば、左右両隣の部屋の人とは一度も顔合わせたことなかったような……。


 嫌な想像をしてしまい、今さらながらにも全身の血がさあ…と引いてゆくのを感じる。


 霊感ゼロとはいえ、ぜんぜん何も気づいてなかったというのはなんとも間抜けな話ではあるのだが……まったくもって「知らぬが仏…」というやつである。


              (事後物件 了)

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