第6話 死の周回

 田町についた。

 まわりの乗客の半分近くがドアに向かって移動をはじめる。その中で加藤耕平は背中を壁に向かって突っ張らせたまま立ち続ける。

 やがて入れ替わりに乗車してきた新たな人の群が周囲を埋めた。加藤耕平はほっと息を吐いた。なめらかな加速感とともに、窓の向こうの、今降りたばかりの乗客たちが一斉に後方へと流れ出す。

 さっきまで加藤耕平のすぐ近くにいた乗客たちは田町のホームに置き去りだ。この調子で山手線を半周もすれば、周囲の他の乗客も全て入れ替わってしまうことだろう。次にどうするかはそのときに考えればいい。当面は、これが人目に触れないよう、細心の注意を払うことがなにより重要だ。幸い隠すべきモノは標準サイズよりも小さく、遮蔽物となる加藤耕平は人並み外れて大きい。このときほど自分の巨体が頼もしく思えたことはかつてなかった。


   *


 新橋を出発。背中のモノは相変わらずそこにある。

 これさえ消えてなくなってくれるのならば、終電までずっとこうやって立ち続けたっていい。無意味な現実逃避とわかっていたが、そんな考えが何度も加藤耕平の頭をよぎった。


   *


 危なかった。

 加藤耕平は動き出した電車の窓越しに、一組の親子の後ろ姿を見送りながら、ふうと長い息を吐いた。

 秋葉原を過ぎてからは、朝だというのになぜか車内が空きはじめ、上野を出発したあとは誰もつかまらない吊革が見られるほどになってしまった。これでは乗客たちに周囲のことに目をやる余裕が生まれてしまうではないか。そう焦りだしたとき、若い母親に手を引かれた三歳ぐらいの男の子がすぐ隣に立ったのだ。

 まさかラッシュ時の山手線に子どもが乗ってくるとは思わなかったから、低い位置から見られるという配慮をしていなかった。子どもは背中のモノの一部を、おそらく手の先あたりを発見したのだろう。しきりに母親の袖を引いていたのは、そのことを知らせようとしていたからに違いない。だが母親が車内で化粧をし、スマートフォンのゲームをやりまくるというタイプだったので助かった。幸い二人はすぐ次の駅で降りていってくれたし、西日暮里からは車内も再び混み始めた。でもこんな幸運はいつまでも続かないと考えるべきだろう。朝のラッシュ時間帯は間もなく終わり、人に見られる危険度はますます高くなっていく。これでは終電まで立ち続けるどころか、さらにもう一周でさえ無理である。体力が持つ持たない以前に、とてもではないが心が持たないと思った。


   *


 再び新宿まで戻ってきた。ここを逃せばもうチャンスはない。加藤耕平は乗客の入れ替わりのタイミングに合わせ、思い切って行動に出ることにした。

 停車と同時に、えいっ、と勢いをつけて壁際から離れる。だがなんと、背中のモノは接着剤か何かで貼りついているかのようにつき従ってきたのだ。そのことに気づいたとたんに、加藤耕平は全身の体毛が逆立つのを感じた。大声で叫びそうになるのを奥歯を軋らせてなんとかこらえる。と、そこへ、左横から誰かが加藤耕平と背中のモノの間に割り込んできた。めりっと何かが剥がれる感触がして、背中のモノは車内の人混みの中へと紛れ込んでいった。

 今だ!

 加藤耕平は前のめりの姿勢でドアから一歩を踏み出した。車外の冷えた外気が何とも心地よく、ざくざくという足音が耳に新鮮だった。ほどなくすぐ後ろで女性の悲鳴が聞こえた。もちろん立ち止まることはしない。むしろ足を速めると、まわりの人の流れに乗り、南口コンコースを目指した。

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