第2話 新宿駅の死体
JR新宿駅の十四番線にステンレス製の車両がするすると滑り込み、ホームの縁でじっと身をひそめていた綿ぼこりのような雪片たちが小さな渦のダンスを踊り出した。
電車の正確でなめらかな停車と同時に各車両のドアが一斉に開き、圧縮充填されていた乗客たちがわらわらと解きほぐされながら混み合うホームにあふれ出る。線路を挟んだ向かいのホームでは発車を知らせる軽やかなメロディーが流れ、ざくざくという足音がホワイトノイズのように駅構内に充満している。
真冬の朝、都心のターミナル駅では、どこでも見られるありふれた光景だ。
女性の悲鳴がキンと冷えた固い空気を振るわせた。
今ホームに停車したばかりの電車の、先頭から数えて四両目、一番前寄りのドア付近でのことである。
悲鳴から少し遅れて駅員を呼ぶ複数の男のどなり声がホームの天井に響いた。
駅員が駆けつけると、開いたドアのすぐ脇に一人の小柄な男がうつぶせに倒れていた。かなり履き込んだと思われる色あせたジーンズとスニーカー、上半身には焦げ茶色のハーフコート、そしてキャンバス生地のショルダーバッグ。一見して学生と思われる身なりである。
駅員はこれまでの経験から、おそらく車内のひどい混雑で気分が悪くなり貧血でも起こしたのだろうと判断した。
だが一点、奇妙なことがあった。男はまるで気をつけをしているかのように、両手を真っ直ぐ体に沿わせていたのだ。もしこのままの姿勢で倒れ込んだというのなら、顔面を強打している可能性が高い。
「お客様、どうなさいました? お客様」
駅員は嫌な予感を抱きながら男の耳元で呼びかけた。
反応がない。
周りを囲む野次馬たちの視線にうながされ、駅員は男の肩にそっと手をかけた。
うっ。
その指先から伝わる異様な感触に思わず声をもらし、びくりと手を引いた。
そこへ同僚の駅員が人の壁をかき分け顔を突き出した。
「どうした?」
「救急車呼んでくれ。それとAED、急げ!」
弾かれたように同僚が駆け去るのを見送ると、心臓マッサージを行うため、駅員は倒れた男の右肩と腰に手をあてがい、ごろりと体を裏返した。
「ひっ」「うわっ」
周囲の人垣からいくつもの悲鳴が漏れる。駅員自身も思わず叫びそうになったが、ギリギリのところで喉の奥に飲み込んだ。かわりに腰が抜けてホームの上に尻餅をついた。
仰向けにされた男は不自然なまでに目を大きく見開き、口を斜めに歪めた苦悶の表情で駅員を睨みつけたのである。だがよく見れば、その瞳は完全に乾いて艶を失っていた。
死んでいる。
駅員だけでなく、そのとき男の顔を見た者全員がそう直感した。
高く尖った男の頬にひとひらの薄い雪片が降りかかった。雪片はそのまま溶けずにしばらくとどまり、ホームの反対側に入ってきた電車が巻き起こす風に飛ばされ、ふわりと高く舞い上がった。
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